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No5 TOEICの点数が高い=年収も高いは◯◯に限る!

派遣会社からの仕事の紹介

さて派遣会社からは、1週間もせずにすぐ仕事の紹介がありました。

「ある上場企業の製造メーカーで翻訳の仕事があります。品質マニュアルなどの翻訳の仕事です。前任者が妊娠して退社するのでその後任としていかがですか?」と言われたのです。

「なかなかいい仕事だぞ」とは思いましたが、その会社が家から車で40分程度かかることもあり「ちょっと遠いのが気にかかります。」と言いましたが、、、、

派遣会社の営業さんは「まあ、そんなこと言わずに面接だけでも受けて下さいよ。いい話ですよ。お願いします。」と熱意&強引さを見せてきたので、とりあえず面接に行くことになりました。

面接もあっけなく30分位で終わり、「是非来てください。」とその場で入社が決まりました。前回の記事で「英語の仕事は正社員ならいいけど、派遣だと報われない」というような事を書きましたが、実際はそうでもありません。

英語が出来ると派遣社員でも強い!

派遣社員でも英語が出来るとかなり優遇されます。「派遣社員の定年は35歳」という話を聞いた事はありませんか?事務系の派遣社員は35歳を過ぎると一気に仕事の紹介が無くなり、職にあぶれる、というのが理由です。

手に職のない事務職だけしか出来ない派遣社員は、企業側がどうしても20代の若い女性を好むので、30代はどんどん隅に追いやられ、ついに35歳を過ぎるとお払い箱になる、という恐ろしい話です。

これは100%真実ではありませんが、かなり良いポイントをついていると思います。

しかし英語が出来ると(TOEICの点数がある程度あれば)派遣社員35歳定年説は適用されません。

事実、私が初めて翻訳の仕事を紹介されたのが、33歳の時で、それから10年以上たちますが、途切れることなく仕事を紹介されています。もうすでに40歳を過ぎていますが、いまだに数社から仕事を定期的に紹介されます。

そんなわけで、私は前の仕事を退職してからのんびりするヒマも無く、次の会社に入りました。

ここではある機械をアメリカの会社と共同で製造しており、それを日本の団体に納めていました。アメリカの会社で書かれた英文マニュアルを訳したり、日本のエンジニアが書いた和文マニュアルを英訳したりというのが、今度の私の仕事でした。

しかしそれだけではなく、マニュアルに載せるイラストも修正したりするのも仕事の一環でした。

職場が変われば、環境も変わる

仕事をするにあたってまず驚いたのが、「社員の質が前の職場と全然違う」ということでした。前職では気のいい田舎のおじさんというような人がほとんどで、良く言えばアットホームでしたが、「仕事が出来る・優秀」という感じの人は少数でした。

しかし今回の職場は東大卒、京大卒、アメリカの大学院卒、という人達がおり、言葉づかいからして違いました。私にものを頼む時も丁寧な言い方で依頼してくれました。

頭が切れていかにもエリート、と言う感じの人が多数いました。またアメリカから来ている駐在員の方が何人かオフィスにおり、英語が日常的に飛び交う環境でしたので、「ついに私も国際的な職場で働けるようになったんだ!」と感激もひとしおでした。

翻訳の仕事

仕事の翻訳の内容ですが、今思えばそれほど難しいものではありませんでした。(その頃は英語力が今ほど無かったので難しいと感じていましたけどね)。

まず日本語で書かれたマニュアルの文章を私のような派遣社員が訳します。それを日本人で英語が出来るエンジニアの正社員が修正します。これが手順でした。

ですからそれほど専門用語を知らなくても対応が可能でした。ある程度の英語の文法や単語が分かっていて英文を作る事が出来れば何とかなりました。

それにこの頃はまだ2009年のリーマン・ショック前で、企業がたくさんの派遣社員を雇う余裕がありました。ですから私のような翻訳担当の派遣社員が同じフロアだけでも10人程度もおり、一人一人の翻訳の分量も莫大ではありませんでした。

しかしリーマン・ショック以降、派遣社員はほとんど契約を切られた、と風のうわさで聞きました。その頃私はすでに外資系の会社に秘書として転職していたので、現場ではどんな混乱があったかは分かりません。

専属の通訳人への憧れ

マニュアルの翻訳だけでなく、英語があまり得意でない社員さんのメールの内容を和訳/英訳したり、海外から毎日届く技術情報を所定の人達に転送する業務もしていました。

日頃は残業することもそんなになく、せいぜい月に10時間程度でしたが、マニュアルの翻訳の〆切が近づくと毎日2,3時間以上は残業し、時には夜の11時近くまで残って働きました。

また「〆切までに訳が終わるかどうか」というプレッシャーで、夜良く眠る事が出来なくなった事もあります。前職よりも国際的な職場で優秀な人達に囲まれて充実はしていましたが、仕事内容は濃くなりました。

同じフロアにアメリカから来た5,6人の駐在員がおり、彼らとは日常的に顔を合わせる機会がありました。日本人の社員さん達は、高学歴とはいえ、理系ですのでみんながみんな英語が出来るわけではなく一部の人が英語が堪能、という状態でした。

そこで専属の通訳の女性が雇われており、私はその方に猛烈な憧れを抱いていました。トイレや休憩室で彼女に会う度に「いいな、素敵だな。私もあの方のように通訳が出来るようになりたい。」と毎日毎日思っていました。

そしてそんな私の想いが届いたのか、彼女とお昼ご飯を一緒に食べる事が出来るようになったのです。お昼を食べながら、彼女のしている通訳のこぼれ話や、アメリカと日本との文化の違いや、アメリカ人についてのうんちくなどを聞くのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

彼女から貪欲に何でも吸収するつもりで話を聞いていました。私の一番幸せな時間でした。

入社して1年ほどたつと、アメリカ人と日本人のエンジニアの間の簡単な通訳を週に1回程度ですが任されるようにもなりました。

翻訳で入った他の派遣社員の女性たちが「通訳は出来ません」と断った時に、私は「やります!」と率先して手を挙げたからです。

通訳が上手に出来る自信はありませんでしたが、「このチャンスを逃したくない!」という一心でした。この体験により「私は今後、翻訳よりも通訳をしていきたい」という気持ちが固まっていくのでした。

続く

No7 「通訳者としての経験を積むために」~英検3級の契約社員から外資系の役員秘書になるまで~

【まとめ】セブ島にある有名・評判な語学学校の一覧表

外資系企業日本法人の役員秘書

元々は英語に全く関係がない日本企業で派遣社員として働いていました。

英検3級、初めて受けたTOEICは440点。自力で何とか550点になるも停滞。そこから英語関係の仕事などを経て770点になり、更に勉強を続けて935点を取得しました。

仕事は契約社員やパートの仕事からスタートし、翻訳業務、TOEIC講師、通訳、外資系企業の秘書など経験。

現在はアメリカが本社の外資系企業の日本法人で役員秘書をしています。

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