ハルカ(HLCA) 代表 海仲由美

はじめまして、語学学校ハルカ(Happy Life Cebu Academy)代表の海仲由美と申します。

2014年4月にセブシティの3つのタワーからなる4つ星ホテルクラウンリージェンシーホテル内の一部に宿泊施設と学校を置く医療英語コースを中心にした語学学校です。
▶ 参照:HLCA(ハルカ)|現地の医療現場も体験できる医療英語に特化したセブ島の語学学校

この度、俺のセブ島留学さんで当校をご紹介させてもらう機会を頂きました。
せっかくですので、HLCAがどのような学校なのかはもちろんのこと、自分自身の看護師としての経歴と英語との関わり、フィリピン留学の可能性、開校に至った経緯、看護師や医療職者の英語学習の必要性、キャリアアップについて、お話し出来ればと思います。

今回はまず自分の看護師としての経験と、英語との関わりについて書きました。

看護助手から看護師を目指して

私は短期大学の医療保健科・医療秘書コースで学んだ後、一旦病院に就職し医師外来・検査予約管理、患者への検査説明等を業務とする医療サービス課で働き始めました。

その後患者さんに一歩近づいてケアしたいという思いから看護助手に転職。
「ここは厳しくて3か月続く人珍しいんです。」という就職支援スタッフからの言葉に、難しいことほど挑戦したくなる性格から迷わず挑戦しました。

実際医療現場で働き始めると今まで感じたことのないやりがいを覚え毎日の仕事、患者さんとのやりとりが楽しくて仕方がありませんでした。

患者さん、同僚、看護師さんから看護師になることをすすめられ、最終的に看護部長から呼ばれ、「看護師になりこの病院に戻ってきてほしい」と言われ本気で看護師になることを考えました。

47歳で看護師になった母に相談し「今のあなたならできる」という一言で看護学校受験を決意!

8人の大家族を支えるため年を取ってから看護師になった母の背中を見て育った私は、生半可な気持ちではこの仕事は務まらないということを強く感じていたため、憧れはあったものの私にはできないかなという思いがあり挑戦できずにいましたが、ここから医療の道への一歩がスタートしました。

国際教育に力を入れている看護学校に入学

4年現役から遅れていた私は地元で比較的社会人学生が多く、アメリカに姉妹校を持つ看護学校へ入学を決めました。

生徒の中には帰国子女、ワーキングホリデーで英語を取得した人、教師の中にはアメリカの看護師免許取得者も。
定期的にロサンゼルスとのインターネット授業や学校でも英語の授業があり、2年次には約2週間のアメリカ医療施設研修に参加しました。これが私にとって初めての海外。24歳の時でした。

患者さんを安心させる一言もかけられなんて・・・英語の必要性に悩まされた看護師時代

見るものすべてが初めてで新鮮!離島でのキャンプ生活や教会で島民を招待しての食事提供、UCLA大学訪問や実際の救急車に同乗し、患者の搬送に携わることができました。

患者さんを安心させる一言もかけられなんて・・・英語の必要性に悩まされた看護師時代

しかしその当時英語力はなく、もっと英語力があれば・・・と思う場面が多々ありました。

アメリカ研修

アメリカ研修当時の写真(オレンジ色のマフラーが私です 苦笑)

脳外科・整形外科専門病院での勤務

国家試験に無事合格し、地元の病院で勤務し始めました。まずは一人前の看護師にならなくてはと勉強しながら勤務の毎日でした。

関西国際空港近くの病院だったため、航空機内で体調を壊した人や薬物の密輸疑いの外国人を入院させ胃の中に入れた薬物を排泄させるまで監視する受け入れ施設でもありました。

医療はどんなに地位のある人も犯罪者も分け隔てなく平等に提供する。それが看護の教えです。

ある時ひとりの男性パイロットが意識不明の状態で運ばれ、脳出血と診断され入院することになりました。患者さんはインドネシア人、英語は話せます。手術後意識が戻りICUでケアを担当することになりました。

脳の状態で意思疎通が難しいうえに言葉の壁があり、誰一人として英語で会話ができるものはいません。そして私もその一人。。。

状況のわからない本人に加え家族もインドネシアから駆け付け不安な顔で見守る中、「患者さんを安心させられる一言もかけられなんて情けないな…。」と自分の英語力のなさにがっかりでした。

英語のコンプレックスに悩まされる

病棟勤務が丸3年になったころ、手術室への部署異動が言い渡されました。手術器械の名前を一から覚える日々が始まりました。

カタカナです。

また医療機器は海外からの輸入物やメーカーが多くそれらはカタカナとして表記されていました。また解剖学的な部分は器械にも英語が使われていて、手術中も頻繁に飛び交います。

外国から手術見学に来られる医師を迎えたときも「Hello…」で会話はストップしてしまいました。アメリカに留学経験のある医師は英語で手術の手技を説明しながら手を動かしています。

あるとき麻酔科医が何か読み物を読んでいたので「何の勉強をされてるんですか?」と話しかけのぞいたところ全て英語で書かれた海外の論文でした。「あ、あ、そうなんですね。すごいですね。英語で…。」と後ずさりしたのを覚えています。

ある時整形外科の日帰り手術を担当した際、ブラジル人の労働者が工場の機械で手を損傷したという事例でした。私はいくつかの英語での表現をメモし手術着に忍ばせました。

安心してもらえる声かけがしたかったのです。

今考えるとインドネシア人もブラジル人も母国語は英語ではないけれど、日本人以外はみんな英語を話す人と思いこんでいて、なんて外を知らなかったのかと恥ずかしいです。実際これらのかたは英語を話せましたが…。

実際にその患者さんを迎えると言葉が出てこない…。そんな場面で紙なんか出して読んでなんてできませんでした。

このように英語のコンプレックスが私を押しつぶしそうになっていました。

単語や表現を覚えることと英会話は違う

地元の土地柄もあり周りには空港勤務の英語を話せる日本人の友達、そしてオーストラリアやイギリスから来ている英会話講師の友達がいました。

普段なんとなくコミュニケーションが取れていたつもりでいたのに、前に述べたような患者さんに声をかえられなかった場面から、自分はなんとなく会話が聞き取れ単語で返していただけということと、紙に書いて表現を覚えても実際の場面はその場その場で変化するため、生きている会話に対応するためにはやはり英会話力が必要なんだと気が付きました。

コンプレックスをスキルアップにつなげたい

看護師5年目になるころ、私は欧米での看護師取得についてのウェブサイトを読みあさっていました。

「留学し英語を習得し、欧米の看護師を目指してみてはどうだろうか。。。」

そこで知ったことは、大学の看護コースの入るための条件である学力が非常に高いこと、語学学校で一から英語を学び大学に行こうとするとかなりの年月、費用がかかるということでした。

それからイギリスの障がい者施設でのボランティアインターンについて調べました。実際いった人の感想を見ると「英語ができなかったので利用者のかたと意思疎通が全くできず辛かったです。」というものでした。

障がい者施設でのケアに従事するということは自分でうまく意思疎通ができない人の思いを引き出し安心してケアを受けてもらい快適に過ごしてもらうこと。英語もろくに話せない私が行っても逆に迷惑をかけてしまうんじゃないかと思って断念しました。

もうわかった。まずは基礎の英語力をつけないことには何も始まらない!!

わたしは日本から近く費用も抑えられマンツーマンで授業が受けられるフィリピン留学を知り、「これしかない!!」と出発の半年以上前から予約し、退職や日本を離れる準備にとりかかっていきました。

HLCA 代表
海仲 由美

医療英語コースを中心にした語学学校、ハルカの公式サイトはこちら

 

【まとめ】セブ島にある有名・評判な語学学校の一覧表

医療英語語学学校ハルカの代表
2004年 関西女子短期大学 保健科医療秘書コース卒
2008年 泉佐野泉南医師会看護専門学校卒 
正看護師免許取得後、整形外科・脳外科専門病院にて病棟・手術室・ER勤務
2013年 セブ島へ4か月の留学 
2014年 Happy Life Cebu Academy設立
同年 女性のためのフィリピン留学協会設立 理事に就任

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