爆破・殺害予告!フィリピン・ペプシが起こした国内史上最大の暴動
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1992年にフィリピン・ペプシ社は「ナンバー・フィーバー」というキャンペーンを開始、ペプシの瓶(当時は缶ではなく瓶)に書いてある番号が当たりであれば、最高100万ペソ(=4万ドル)の賞金が貰えるというものでした。キャンペーンの成功に気をよくして当選番号を追加したが、、、
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今回はフィリピン・ペプシが1992年に起こし、死者を出す暴動までに発展した、歴史的なマーケティングミスについてご紹介したいと思います。

ビクトリア・アンジェロのストーリー

フィリピン、マニラ – 何週にもわたりフィリピン中の新聞、ラジオ、テレビに踊り続けたペプシの売り文句は「今日、あなたも億万長者になれるかも!」でした。

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マニラの中でも貧しいとされるスラム街で、トタン屋根の掘っ立て小屋に暮らすビクトリア・アンジェロ(Victoria Angelo)は、その誘惑に打ち勝つことはできませんでした。

5人の子供を持つ専業主婦で、夫のフアニート(Juanito)は毎日4ドルを稼ぐために三輪車タクシーをこぎ続ける日々。そんな彼女はいつしか、食事やおやつの度にかならずペプシを飲むようになりました。毎朝、家族みんなで当たりがついているボトルキャップがないか祈りを捧げ、毎晩、近所の人たちと小さなテレビに集まってはその祈りが届いたかを確認していました。

そんな時、奇跡が起こったのです!

1992年 5月25日、その日の夜のニュースで、349がついているボトルキャップを持っている人は誰でも100万ペソ、およそ4万ドルが納税義務なしで獲得できる、と報じられたのです。

テーブルの上にこれまで集めたキャップをまき散らして探し、ビクトリア・アンジェロは叫びました、「これでうちも億万長者よ!」

彼女の声は興奮に満ち、家族に向かってこう言いました。

「子供たちに学校を卒業して大学まで行かせられる!」「夫は自家用車を買える!」「そして自分は本当の家を買える!!」

ペプシの悪夢

しかし彼女の夢は、ニューヨークに本部を置くペプシ本社には悪夢のような出来事でした。

実はこれ、とんでもないマーケティングのミスで(世界中を見ても最悪の部類に入るミスだと言えますが)、ペプシは間違った番号を発表してしまったのです。

1人だけが100万ペソの賞金を得るはずだったのが、なんと80万個ものボトルキャップに349という番号が印字されていたのです。(=320億ドル、日本円では兆の単位)

すぐに何千人ものフィリピン国民が賞金を要求し始めましたが、ペプシは支払いを拒否しました。

ペプシが何百ドルも費やすことになってしまったこの紛争は、フィリピン流のコーラ戦争を巻き起こします。ペプシの記録によりますと、最低でも32台の配達用トラックに石を投げられ、火をつけられ、横転させられる事態となりました。武装した人々がペプシの工場や事務所に手作りの爆弾を投げ込む事件も発生しました。

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警察によりますと最悪のケースでは、2月13日 、マニラ郊外に停車していたペプシのトラックに破砕手榴弾が投げ込まれ、落ちてきた手榴弾により教師1人と5歳の女の子1人が死亡、6名がけがをしています。

フィリピンのペプシ社の幹部は、多くの殺害予告を受けたため、四六時中ボディガードをつけたり、営業時間を変えたり、旅行に出たりしなければなりませんでした。ペプシの配達トラックには重装備をした警備が乗り込みました。ペプシ社は、ベイルートでの経験がある1人の担当者を含む、フィリピン人ではない役員2名以外は全て引き上げさせました。

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その後、新しい世代の人々にとってはペプシを訴えることこそが選択肢となりました。フィリピン国内で起こったペプシに対する刑事・民事訴訟は、元フィリピン大統領、故フェルディナンド・マルコスとその妻イメルダが、1億ドルを横領した(*)として起こった訴訟の数を上回るものとなりました。

最終的には2万2千人以上の人がペプシに損害賠償を求める689の民事訴訟を起こし、さらに詐欺罪として5,200以上もの刑事告訴が起こされたとペプシは語っています。

まだほとんど始まっていませんが(この記事は1993年、当時のもののため)、フィリピン下級裁判所は1993年7月、現地のペプシ幹部10名の逮捕状を認めました。しかしペプシがこれに控訴した結果まだ誰も逮捕されていません。

しかしもっと特筆すべきは、毎日停電に悩まされ、特有の汚職や貧困がアジアのどの国よりはびこっているこの国で、ペプシに対する反対運動が怒りに満ちた群衆を表に向かわせる引き金になってしまったのです。

皮肉にも、政府がこれまでできなかったやり方、つまり反ペプシ運動によって、共産主義反乱軍、陸軍大将、こぎれいなマニラのミセスから田舎に裸足で暮らす農民までがひとつになりました。彼らの手には349が印字されたキャップが握られていました。

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マニラの高層ビルが立ち並ぶオフィス街で、何百人もの人々がのぼりを掲げ、太鼓を打ち鳴らしながらデモを行いましたが、そこで宣教師であり反ペプシ活動家でもあるバンビ・サントス(Bhambi Santos)は「これで人々はひとつになりました。ペプシはフィリピン国民を騙したのです」と拡声器で怒鳴り続けました。

現地の瓶詰業者の19%を所有するペプシコーラ・インターナショナルのスポークスマン、ケネス・ロス(Kenneth Ross)は、会社としての姿勢は明らかだと話します。「我々は脅しやテロには屈しない」とニューヨーク市パーチェスで語りました。「我々が昨年、フィリピンで直面したのはまさにそのようなものでした」。

しかし、ペプシの缶から注射器が発見されたというデマが流れた後の米国ペプシの冷静な危機管理とは違い、フィリピンではペプシ社幹部らはパニック状態でした。ボトルキャップのミスが発覚し市民が暴徒化した際には、恐れをなした幹部たちは夜明け前に会議を開き、349が印字されたキャップを持っている人には全て20ドル相当を与えることを決めたのです。

「彼らは2つの過ちを犯しました」と、1人の幹部が匿名で答えました。「まず、午前3時に何かを決めるべきではない。そして彼らは、対象者はせいぜい何千人かで収まると思っていた」。

恐れていたように、少なくとも486,170人の市民がキャップを持って溢れかえっていました。200万ドルしか賞金として予算計上していなかったペプシは、結局いわゆる「善意のしるし」として1億ドル以上も余分に支払う羽目になったのです。またペプシ社は、政府の消費者保護期間に6,000ドルの罰金を支払うことを認めました。

「友好的にこの件を解決するため、考え付くできる限りのことはしました」と、ロスは語ってくれましたが、ボトルキャップのミスが起こった経緯については、決して口を開こうとはしませんでした。「今の時点ではこれ以上の金額を割り当てるつもりはありません」。

しかしペプシの懸念はもっともで、それを如実に語っているエピソードがこちらです:バスケットボールが人気を集める文化にもかかわらず、自社のプロバスケチームの名前をペプシ・コーラ・ホットショッツからセブンアップ・アンコーラズ (7-Up Uncolas)に変更しました。

さらに重要なのは、ペプシの社長クリストファー・シンクレア(Christopher Sinclair)はその年の4月初旬、フィリピン社長フィデル・ラモス(Fidel Ramos)との極秘会議のためマニラに飛びました。ラモス側が言うには、今回の失態で海外からの投資を誘致しようとしている政府の努力が無駄になる、とシンクレアが警告したと言います。しかしラモスは、今ペプシが立たされている苦境は投資家に二の足を踏ませるものではないと考えていました。「これは特別なケースですから」

ペプシは同様のプロモーションを世界中で行っていました。1992年にはチリでも、つぶれて読めなかったファックスのせいで間違った番号を発表してしまい、現地で裁判が行われています。しかし、ペプシ世代が立ち上がったのはフィリピンだけでした。

フィリピンではそれまで、ペプシは大変人気でした。世界で12番目に大きな炭酸飲料市場であり、かなり激しい競争がありました。1970年代後半にはマルコス支配の絶頂期にあり、ペプシは巨大市場を牽引していましたが、それにはまた多額の費用も伴いました。ペプシは、ロスが言うところの「不正計上と粉飾利益」のためおよそ9,000万ドルもの損失を出しています。

それ以来、コカ・コーラが市場の実権を握っていましたが、ここで起こったのがこの「ナンバー・フィーバー」でした。1992年2月にこのプロモーションが開始されてからというもの、ペプシとその他ブランドの売り上げは約40%増加しました。

勢いづいた幹部たちは、当初12週間の予定だったこのキャンペーンを5週延長することにしたのです。この時にできた新しいキャッチフレーズが、「億万長者になるチャンスが増大!」でした。

キャンペーン期間、51,000人以上が現金を当てました。その多くはいちばん安価な100ペソでしたが、17人が100万ペソを当てペプシの広告に大々的に取り上げられました。

悲劇は、5月25日、チャンネル2がいつものように当選番号を発表していた時に起こりました:349です。翌朝までに何千人もの当選者がペプシの瓶詰工場を取り囲みました。ペプシはゲートを施錠し、有刺鉄線のバリケードを作るという対応を取らざるを得ませんでした。

多くの人がCoalition 349(同盟)のような反ペプシ組織に参加しました。

爆破・殺害予告!フィリピン・ペプシが起こした国内史上最大の暴動
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そのうちの1人であるパシエンシア・サレム(Paciencia Salem、64歳)の夫は、1992年のデモの際心不全で亡くなったが、自分も同じようになっても構わない、と話しています。

「ここで死んだとしても、私の霊がペプシと闘いに戻ってきます」と彼女は強く言いました。「これは彼らの過ちであり、私たちが間違えたわけじゃない。なのに支払いたくないと言っている。だから私たちは闘っているんです」。

参照元:http://community.seattletimes.nwsource.com/

* millionaire(百万長者)→イメージが湧かないので億万長者と言い換えています。実際、当時のフィリピン人の給料からすると100万ペソは億万長者ぐらいの価値があると思いますので。
*レートは記事当時のものをそのまま使っています(現在のレートとは異なる)。
*参照元にはマルコスの横領は100億ドルと書かれていますが、恐らく1億ドルの間違いかと思いますので修正しています(ウィキより)。

コメント

ペプシコーラ(フィリピン)は1992年までコカコーラにフィリピン市場を牛耳られていました。そのため、何とか巻き返しを図るために打って出た策がこの「ナンバー・フィーバー」という宝くじキャンペーン。

キャンペーン自体は途中まで大成功。フィリピン国内でペプシを飲む人の数を圧倒的に増やすことに成功し、ペプシの知名度を一気に引き上げました。そんな中で起こったのかが、マーケティング失敗例として世界でもトップ5に入るこの大惨事だったようです。

聞いた所によると、当選したフィリピン人達はお金を受け取る前から気持ちが大きくなり、人にごちそうしたり、車を買ったり、家を買ったり。。。と浪費しまくっていたようで(フィリピン人は浪費家が非常に多い)、そのせいでか、ペプシが払えないとなったときの反発がかなり大きかったようです。

なお、現在はフィリピン人の中でその話を言う方はほとんどいなく、ペプシコーラはフィリピン国内(少なくともセブ島)ではコーラと並んで普通に飲まれています。若い世代の方はこの事件を知らない方も多いのかもしれませんね。

斉藤

【まとめ】セブ島にある有名・評判な語学学校の一覧表

海外ニュースの翻訳担当
沖縄県でフリーランスとして活動しておりますOffice Ninaと申します。タイムリーな記事を読みやすくお届けするのがモットーです!

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