英語力ゼロ親子のセブ島留学記 ~セブ島旅行からの留学決意~

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英語力ゼロ親子のセブ島留学記その1
英語力ゼロ親子のセブ島留学記その2

1月、入試まで5ヶ月

さぁ年も明けセブでの入試まで5ヶ月。
もちろんこの時点で娘の英語力はまだまだ。

娘と同じ学校の幼稚部年少クラスに入る予定の息子についてはあんまり書いていないけど、基本的には英語が喋れなくても合格するらしい。

まぁそれにしても娘に関しては焦ってきたよね流石に。

マズイよねぇ〜。もうこうなったら面接でジャンピング土下座してでも子供達を受からせようなんて考え始めた訳。

それでもダメならもう裏金しかないな。

ワタシノムスメ、ガッコウイキタイオネガイシマスダカラ。
俺のフィリピン人風日本語で交渉するしかない・・・。

少し話は学校からそれるが、裏金なんて!と思うのは日本人だからで、ここセブでは様々なところで裏金が横行している。
自分もセブで車を運転していて三回ほど意味不明の交通違反の取り締まりにあったけど、警察官の要望通り現金を渡したら笑顔でスルー。3,000円二回と300円一回。もちろんこの学校には裏金を受け入れそうな気配はないが、舛添氏もビックリなほど普通に裏金が存在する。

話を戻して、前回は12月に20日間娘と自分でセブに滞在していたところまででした。

今回は1月になり日本に帰ってきたところから。
ここから3月末まではとにかく英語と数学を自宅近くの教室で勉強した。
毎日毎日、家に帰ってきても「わかんなーい!」なんて言いながら毎日夜遅くまで頑張っていた。

この教室は小学校の卒業とともに辞めたのだが、この頃の娘の英語レベルを本人に聞いてみたら、日本の高校2年生ぐらいじゃないかなとの事。とは言ってももちろん実際の高校2年生レベルのテストが出来る訳ではないと思う。

正直、これだけで受験はバッチリと言えるレベルではない。5月に控えた入試に大きな不安を残すレベルだった。

そりゃ無理はない。いくらまだ脳が柔らかく吸収力があるとは言え、英語教育が始まって10ヶ月で英語生活をする学校で対応出来る英語力なんてつくはずがない。

だって俺は36年生きてきたけど日本語もままならないわけだからww

でもまぁよく頑張っている。
親である自分とは正反対だ。

3月、入試まで3ヶ月

英語力ゼロ親子のセブ島留学記3 〜セブ移住から最終追い込み〜

3月後半の小学校卒業式を終え、3月末についにセブへ移住する事になる。

それまでの数日間はとにかく遊ばせた。日本の友達と毎日遊ばせた。もう帰ってこないわけじゃないけど、遊ばなきゃ頑張れないよね。

3月末、ついに移住(とは言っても1年後に一時帰国予定)の時が来ました。1ヶ月後にセブで合流する予定の息子と妻を日本に残し、自分と娘はもちろん受験対策の為に一足先にセブへ向かった。

受験対策その1

ここから約1ヶ月半の受験日まで、昨年8月にお世話になった日本人経営の語学学校NILSさんに再度お世話になる事にした。
前回とは違い、当時住んでいたコンドミニアムから歩いて3分ほどの距離だったので教室まで通う事に。

たった3分の距離、しかもIT Parkというコールセンターやレストランなどがたくさんあり、24時間たくさんの勉強ができそうなフィリピン人がいる安全そうな地区だけど、やっぱりここはフィリピン。この通学時間3分も万が一のことがあってはならぬという事で、毎日先生にコンドミニアムのエントランスまで送迎してもらえる事になった。

教室にはたくさんのフィリピン人講師に日本人スタッフ、生徒さん達はほとんどが大学生や大人の人達。その当時は12歳の娘がその学校では最年少だった様だ。

気になるカリキュラムだが、これについては受験するシンガポールスクールセブにどうしたらいいか聞いてみた。すると「セブの本屋に売っている、小学校6年生レベルの教科書を買って勉強してください」との回答が。

受験範囲は小学校でのカリキュラム全般から出題されるとの情報も手に入れた。これもNILSの方に色々と考えていただき、用意した教科書を使って授業を進めてもらった。

しかしここで日本人の娘にとって一つのカルチャーショックが。
それは日本の学校の様にシーンとした雰囲気ではなく、最近の曲を先生が歌ってたり世間話したりワイワイガヤガヤな環境。
そりゃ日本から来たらそう思うのも無理はない。

俺も満員のエレベーターっていう密室の中で、急に一人で誰かしら大声で歌い始めるって場面に何度も遭遇したからww
でもまたこの雰囲気を娘は気に入っていて、毎日楽しそうに通っていた。

が、ここで一つ問題が起きた。
それはフィリピン人教師が小学校6年生レベルの問題(特に数学と化学)がわからない。

やはりインターナショナルスクールのカリキュラムと、現地公立学校のカリキュラムは違う様で、大学を卒業していてもインターナショナルスクールの小6レベルわからない様だった。
もちろんこの語学学校にはしっかりとした学歴を持った優秀な先生たちが揃っているのだが、この点については意外な盲点だった。

ちなみに当時の娘いわく、この語学学校の先生がわからなかったインターナショナルスクールの数学や化学は、日本では普通に小学校卒業レベルらしい。ということは日本の方がカリキュラムとしてはレベルが高い様だ。

英語力ゼロ親子のセブ島留学記3 〜セブ移住から最終追い込み〜

娘にとって勉強だけではなく大学生のお兄さんやお姉さんと過ごす日々もいい経験だ。
お昼ご飯は毎日先生と近くのローカルレストランなどで食べていた様だが、日が経つにつれ日本人の学生さんたちとも仲良くしていただき、大学生や大人に混ざってランチを楽しんでいた様だ。
土日以外の平日、9時から5時まで来る受験日まで英語の勉強は続いていった。

受験対策その2

それともう一つやっていた事があった。
これがこの後の受験時に大きな効力を持つ事になる。

それは自分と娘での面接の練習。

ほぼ毎晩やっていた。
知っての通り自分には英語力はない。この当時、すでに自分より娘は英語の書き読みは優れていた。しかし、コミニュケーションに関しては自分の方が上手だった。

そりゃ12歳と34歳じゃ比べるのもおかしいかww

面接の練習とは言っても、自分には英語力もないし、自分の人生で学校の面接といえばスポーツ推薦なので入学が決まっている前提で受けた高校入試の面接ぐらい。ただ日本で会社経営をしていたので面接する側は慣れていました。

じゃあどうやって練習したか。

まず自分が日本語で質問をして、娘も日本語で答える。これを今度は英語で受け答えしてみる。これの繰り返し。

ただ何を聞かれるかなんて日本の学校でもわからないのに、セブのインターナショナルスクールとなれば何も手掛かりがない。
この学校用の受験対策本でもあれば何も難しくないのにね・・・。

父である俺は考えた。
34年間生きてきた中で5本の指に入るほど考えた。面接対策はどうするか。

ってか面接官も人間だ。感情がしっかりこもっていれば大丈夫なはず。

そういえば自分が会社で面接する時も、「最終的には相手の意志がどれだけ強く感じられるか」だもんな。

とにかく自分と娘は毎晩繰り返し面接の練習を行った。
特にこの質問。

あなたはなぜこの学校に入りたいのですか?

これを日本語と英語でひたすら練習し続けた。ほぼこの質問一点に絞って。
毎晩コンドミニアムでも、居酒屋で自分がビール飲みながらでも練習を続けました。

すでに自分を上回った英語力を身に付けた娘と、企業面接官経験豊富な英語能力の乏しい父。

まずは何を言うか。
どの部分が重要か。
イントネーションや抑揚も。
面接官の先生にどれだけこの学校に入りたいかという意志を伝えられるか。
TEDもたくさん観た。

自分も必死になって娘とともにやり続けた。具体的な文章や言葉は忘れてしまいましたが、大事な部分は練習を重ねお互い理解し身体に覚えさせていきました。

色々と娘と話していく中で、娘には意外な一つの大きなプレッシャーがあることがわかりました。

それは自分が受かれば弟も入学出来るけど、自分が失敗したら弟とこの学校に通えないというプレッシャー。12歳の彼女にとってはとても大きなプレッシャーになったはずです。

そのプレッシャーをかき消すように日中はNILSで勉強、夜は面接の練習という日々を送っているうちに5月になりました。
息子と妻も合流し、さぁいざ受験!!

ついにここまできましたねぇ〜。
さぁどうなるのか!!

続きは次号で!

飯村 建樹

続きはこちら
英語力ゼロ親子のセブ島留学記4 ~合格発表~
 

【まとめ】セブ島にある有名・評判な語学学校の一覧表

株式会社エイチビー 代表取締役社長
IYU Corp. CEO
1979年生まれ。横浜商科大学高等学校卒。
現在日本とセブ島でカーコーティング事業を営んでいる。学生時代はテニスに明け暮れていたため、勉強とは縁のない日々を過ごし25歳で起業。

その後の2年間年商100万円という苦境をバネにして27歳で法人成りを果たし、現在は日本国内で年間数万台の受注実績を有する。
またセブ島では初めてとなるカーコーティング会社を設立し、現在も挑戦を続けている。

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