第1部4章 独ソ戦(12/12)仮想、日ソ開戦!ソ連を降伏に追い込める可能性はあったのか

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第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

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第1部4章 独ソ戦(11/12)ソ連を救ったスパイ・ゾルゲとコミンテルンの陰謀

日本はなんのために戦ったのか

その9.もし対ソ戦を始めていたら……

ー もし、日本がアメリカではなくソ連を攻撃していたら? ー

独ソ戦
日本が撮影したノモンハン戦争の写真(35枚)より引用

「もし、日本がアメリカではなくソビエトを攻撃していたら?」と題された記事が、米外交誌『National Interest』2016年7月9日付けの号に掲載されました。この「もしも」については世界中の様々な媒体を通して取り上げられていますが、アメリカの外交専門誌として権威のある『National Interest』に掲載されただけに、その内容は示唆(しさ)に富んでいます。

この記事を執筆したのは、軍事ジャーナリストとして知られるマイケル・ペックです。日本が独ソ開戦後に北進に踏み切り、ドイツと共にソ連を挟撃していたならば歴史はどう変わっていたかについて、ペックは客観的に分析しています。

ペックの分析によれば、1941年時点において満州に配された関東軍と極東ソ連軍の戦力は拮抗しており、どちらかが一方的に有利になることはなかったとしています。

ノモンハンでの戦いを見ても明らかなように、戦車などの機械化戦力ではソ連がはるかに日本を上回っていました。しかし、日本は軽装備ながらも日中戦争で戦い慣れしているだけに、得意な潜入作戦と夜戦を活かしてソ連軍と対等に戦えたと予想しました。

さらに日本の強みは、優秀な海軍の艦砲射撃と航続距離の長い零戦部隊がいたことです。制空権を制することで、重要拠点であるウラジオストク港を日本軍が制圧できただろうと分析しています。

極東ソ連軍にとっての弱みは、西方からの補給線がドイツの侵攻により支障を来すと予測されることです。

またペックは、スターリンがドイツと日本との二正面戦争を回避するように動いたことも予測されるとしています。首都モスクワの防衛とシベリアを秤にかければ、モスクワを守ることに全力を傾けるだろうことは当然です。

日独は三国同盟を結んでいるとはいえ、運命を共にするほどの強い絆で結ばれているわけではないため、単独講和の余地は十分にあったとペックは指摘します。

つまり、スターリンが日本と早々と休戦を進め、シベリアをあきらめる代わりにモスクワ防衛に戦力を集中させた可能性があるとの指摘です。

たとえシベリアを失っても、そのことがソ連崩壊を招くわけではありません。すでに冬将軍に痛めつけられていたドイツ軍は、正史とは異なり、たとえ極東ソ連軍がモスクワに駆けつけられなかったとしても、結局はモスクワ攻略に失敗していただろうとペックは分析しています。

それでもドイツ軍の受けるダメージは正史に比べればはるかに低いと考えられるため、レニングラード攻防戦でドイツ軍が大敗するような事態にはなっていなかったと予測します。

ペックの分析はここまでですが、モスクワ陥落には失敗したとしてもドイツ軍の戦力はまだ十分に残されているだけに、独ソ戦の帰趨はまだわからないことになります。

日本とソ連が戦った場合、アメリカが参戦するか否かも大きな問題です。ペックは「日本が真珠湾攻撃をしなかったら、アメリカは日本に宣戦布告していたか?」と疑問を掲げるのみで、答えを出していません。

しかし、当時のアメリカの世論を見る限り、真珠湾攻撃がなければ日本に宣戦布告する状況にはなっていなかったと考えるほうが自然といえるでしょう。

対米戦は即、対米英ソ戦に繋がりましたが、対ソ戦がすぐに対米英戦に繋がったわけでないことは、日本の運命を大きく変えることになったかもしれません。

そうであるならば、もしペックの指摘するように戦況が進んだとしても、日本がソ連との休戦、あるいは講和に応じることなくさらに北進を続けていれば、独ソ戦でドイツが勝利を収める綾はあったことになります。

ヒトラーの遺言が訴えているように、日本が北進を選択していたならば、ソ連を降伏に追い込める可能性があったことは否定できないといえます。

ー アメリカの将軍ウェデマイヤーの回顧 ー

「もし日本が北進していたならば?」というテーマについて『National Interest』のように現代から振り返ることも大切ですが、当時、どのように考えられていたのかも極めて重要です。

そこで、アメリカ陸軍参謀として第二次世界大戦におけるアメリカ軍の作戦立案を行ってきたアルバート・ウェデマイヤーの分析も紹介しましょう。

独ソ戦
wikipedia:アルバート・ウェデマイヤー より引用
【 人物紹介 - アルバート・ウェデマイヤー 】1897年 - 1989年
アメリカの軍人。最終階級は大将。蒋介石の参謀長となり、中国戦線およびビルマの戦いにおいて米陸軍と国民革命軍を指揮し、日本軍と対峙。大戦後の冷戦期には、ベルリン封鎖に対する空輸作戦の主要な支持者となった。反共主義者の大物の一人としてもてはやされ、アメリカ各地で講演活動を行った。

ウェデマイヤーは作戦参謀としての専門家の視点から、日本が当時、ソ連に攻め込むことの理を説いている一人です。

ウェデマイヤーは日本がもっと慎重に、かつ賢明に振る舞うことができれば、日米開戦を回避できたと指摘しています。具体的には独ソ開戦の後、日本が真珠湾を攻める代わりにウラジオストクからソ連の沿海州、東シベリアを攻めていれば、独ソ戦はドイツが勝利しただろうとの見解を示しました。

そうなれば日本がインドをイギリスから解放した上で日独が中東で握手することが可能だったとし、第二次大戦は長期の膠着状態に陥っただろうと推測しています。そのことは日本にとって「長期不敗の体制」を作ることを意味します。

さらにウェデマイヤーは著書『第二次大戦に勝者なし』のなかで次のように述べています。

日本が重要な経済資源の開発を可能にする、戦略的基地を確保することにより、南西太平洋地域において、日本の立場を強化することができる、と答えた。日本は、南西太平洋に確固たる地位を確保することにより、パイカル湖以東を占領する目的でソ連に対し、激しい攻勢を開始することが可能となるであろう。

こうした対ソ作戦は、かならずドイツのソ連進撃と歩調を合わせて実施されるはずで、この作戦が成功すれば、日本本土につきまとっていた最後の脅威が取り除かれ、日本は東アジアにおいて〈共栄圏〉を確立するのに困難を感じなくなるものと思われた。

第二次大戦に勝者なし〈上〉ウェデマイヤー回想録』アルバート・C. ウェデマイヤー著(講談社)より引用

初めに出てくる南西太平洋上の「重要な経済資源の開発を可能にする、戦略的基地」が具体的にどこを指すのかがこの文だけでは不明ですが、重要資源を石油と考えれば蘭印と推測できます。

そうであれば、ウェデマイヤーの分析は蘭印に日本が攻め込んでもアメリカが日本に対して宣戦布告をしないとの前提に基づいた論といえます。

蘭印への武力行使は対米戦争を生むとの認識が日本の軍部にはありました。アメリカが経済制裁のみに留まるのであれば、ウェデマイヤーの指摘のように蘭印を抑えた上での北進こそは日本にとっての理想的な展開であったかもしれません。

結局のところ、チャーチルもウェデマイヤーも主張していることは同じです。

「日本は第二次大戦で勝者となれる唯一最大のチャンスがあった。それは独ソ戦勃発時に北
進してソ連を攻撃し、ドイツと組んでソ連を東西から挟み撃ちにすることだった。この絶好
の機会を日本はみすみす逃してしまった。日本が北進せず南進して、アメリカとの戦争に突
入してくれたことは、われわれにとって最大の幸運だった」

日米開戦の悲劇 ジョセフ・グルーと軍国日本』福井雄三著(PHP研究所)より引用

チャーチルやウェデマイヤーの指摘と照らし合わせたならば、松岡外相が主張した即時対ソ開戦は現代から振り返るほどには暴論ではなかったのかもしれません。

ただし、日本の北進には多大なリスクがつきまとっていたことも事実であり、手放しで北進こそが正解だったと言えるほど単純な問題ではありません。

ー 北は希望、南は必然 ー

南進に代わって北進策を選ぶ上で最大の障害となったのは、石油の確保でした。北進によってソ連を挟撃することで日独軍がソ連を降伏に追い込める可能性があったとしても、机上の空論では意味がありません。

対ソ開戦となれば南部仏印進駐後と同じように、英米蘭による石油の対日全面禁輸が即日発動されたことは間違いありません。たとえ北進によって戦況が日本に有利に運んだとしても、石油の問題を解決できないことは明らかです。

北樺太の油田を守ることはできますが、産出量は少なく、日本の石油消費量をまかなうことは到底できません。

軍務課長の佐藤賢了は「支那事変をかかえたまま対ソ戦を始め、しかも物資の何もないところに行って一体何になるのか」と述べ、「対ソ戦をやったら自殺だ」と北進に強く反対しました。

独ソ戦
wikipedia:佐藤賢了 より引用
【 人物紹介 - 佐藤賢了(さとう けんりょう) 】1895(明治28)年 - 1975(昭和50)年
大正-昭和時代前期の軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍省軍務局員のとき国家総動員法案を審議中の衆議院委員会にて「だまれ」と議員を一喝し問題となった。戦後のインタビューで「国防に任ずる者は、たえず強靱な備えのない平和というものはないと考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん(汝平和を欲さば、戦への備えをせよ)。その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」と語った。

南支那方面軍参謀副長として北部仏印進駐を進めた後に軍務局長となり、東条の側近として知られた。戦後は最年少のA級戦犯となり、極東国際軍事裁判で終身刑の判決を受けて服役。釈放後は東急管財社長を務め、ベトナム戦争反対運動に参加した。開戦時の陸軍中枢においてアジアの植民地解放に最も熱心であり、死の直前まで面談者には大東亜戦争は聖戦だったと主張していた。

北進したくとも、資源のない国である日本には北進できない事情があったのです。

しかし、独ソ開戦後すぐに対ソ戦に入ることはできなかったとしても、ウェデマイヤーの指摘するようにまずは蘭印の石油を確保した後に、真珠湾ではなく北進を始めていれば歴史は変わっていたかもしれません。

もっとも蘭印を武力で抑えることで対米英戦争を誘発する危険もあり、その場合は北と南の二正面作戦を迫られるだけに、正史以上に困窮した可能性も捨てきれません。

現に陸軍では次のような情勢判断が為されていました。

北は希望南は必然北をやれば南は必らず火がつく
議一年以内南北同時にやる様に押し込まるべしと云うのが陸軍省の情勢判断なり

経済学者たちの日米開戦:秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』牧野邦昭著(新潮社)より引用

「北は希望・南は必然」との言葉に、日本が北進ではなく南進を選んだ理由が込められていると言えるでしょう。北に希望を繋ぎながらも、石油確保の必然性のもとに、南進せざるを得なかったのです。

「もし北進をしていたら?」については様々な書籍で取り上げられていますが、北進しなくて良かったとの指摘も多く為されています。

もし対ソ戦を始めて敗れた場合には、日本はドイツと同じように北日本と南日本に確実に分割され、北はソ連、南はアメリカの占領するところになったと予測されるからです。そうなっては、今日のように経済大国として発展した日本はなかったことでしょう。

歴史上の if をいくらあれこれと推論したとしても、ほんとうのところは誰にもわかりません。しかし、それでも当時の世界情勢は独ソ開戦を受けて日本の北進を阻止するように英米ソが動いたことはたしかであるだけに、日本の北進にまつわる if は、今に至るも多くの人の知的好奇心を刺激し続けています。

次からはいよいよ日米開戦の直接の原因となった日米交渉について見ていきます。

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