FEA新マネージャーは英語劣等生!?「余は如何にしてセブの住人となりしか」

皆さんはじめまして。

セブ島の語学学校 ファーストウェルネス(以下、FEA)プレミアム校で、今年の7月からマネージャーを務めている原山と申します。この度、縁があってブログを書かせていただくことになりました。

「俺のセブ島留学」では、おすすめ語学学校として FEA をご紹介頂いているので、学校の紹介をはじめ、私のこれまでの経験、語学習得、セブの情報など様々な内容をご紹介していきたいと思います。

今回は、初めての投稿ということもあり、僭越ながら私が如何にしてこのセブの地に辿り着き FEA マネージャーになったかを簡単に紹介したいと思います。

海外に憧れた幼少時代

私が育ったのは、千葉県佐倉市という人口17万人ちょっとの、そこそこの規模の街です。東京のベッドタウンとして80年代以降開発が進み、私の一家もその頃に横浜から越してきました。

佐倉は成田空港に近いということもあり、ご近所さんが航空会社勤務だったり、外国人が住んでいたりと、海外の風を感じることができる場所でした。

おまけに私が小学生だった80年代は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた時代。TVCMでも「24時間戦えますか?」のフレーズで、ジャパニーズビジネスマンが世界を席巻する姿が描かれたまさにノリノリの時代。

私の周りでも海外赴任で家族揃って米国に移住する人や、その逆で日本に戻ってきた帰国子女の同級生などがゴロゴロいる環境でした。

そんな環境で周囲の影響を受けたため、海外に対する強烈な憧れを抱きました。ただ我が家は、海外旅行に連れて行ってくれるような家庭ではなかったので、手の届かない海外にただ憧れるだけの日々を過ごしました。

その頃、「将来は海外に住む!」とよく言っていました。

英語劣等生だった中学時代から語学に目覚めた高校時代

そんな海外憧れ少年だった私ですが、中学校時代にもっとも苦手だった教科が英語。どれくらい苦手だったかというと「 under 」を「ウンデル」と発音して先生に呆れられたり、「関係代名詞? 現在完了形?・・・なんのこっちゃ?」というレベル。

まったくなんで同じ人間なのに言葉が違うんだ!と理不尽な怒りを覚えていました。

そんな私に突然転機が訪れます。それは高校入学を控えた入学説明会。その会場で生徒指導の教員が放った一言でした。

「本校は予習してくることを前提に授業を進めます」

正直私は「ヤバイ」と思いました。すでに中学時代に諦めていた英語。これは本格的に授業についていけなくなるという危機感が芽生えました。そこで私がとった行動は、言われた通りに「予習」。

当時真面目だった(いや、今でもそうですが)私は、辞書片手にしっかり予習をして授業に臨むよう心がけたのです。その結果は意外にも定期テストで苦手な英語の成績がクラスの中でトップだったのです。

この時、「あれ?ひょっとして英語ってきちんと勉強すれば出来るんじゃない?」という感覚が俄かに生じ、これを機に英語をはじめ語学そのものに興味を持ち始めました。

この時の体験がなければ、その後イギリスへ渡ったり、ましてやセブで仕事をすることなどなかったと思います。それくらい私にとってはインパクトのある出来事でした。

日本脱出計画

大学を卒業し、就職氷河期をくぐり抜けてようやく大手の旅行会社入社しました。当時、応募人員20,000人に対し採用25人という狭き門を通過した我々は、いわゆる「キャリア組」という扱いでした。

ところが入社1年目から活躍する同期をよそに、私は営業成績が上がらず完全に落ちこぼれ組。自称「へなちょこサラリーマン」と称していた時代です。朝7時に出社し翌朝1時頃まで残業が当たり前。

土日に家にいると「今日は来ないのか?」と会社から電話が入り、挙句は残業が多すぎて労働基準法に抵触するので「残業つけるな」と所属長から指示が飛ぶ、一部上場企業とは思えない今では完全アウトな職場でした。

毎日仕事をしていても全然楽しめず、定年まで続けると思うとゾッとしました。そんな日々を過ごすうち、幼い頃の海外生活の夢が再び湧き上がってきました。

「このままでは貴重な青春の日々を無駄に過ごす」
「いま行かなきゃ一生行けない!」

・・・という思いが募り、一大決心をして仕事を辞め渡英することにしました。

英語を身につけたら、少しは自信を持てるかもしれないという考えもありました。完全に「逃げ」の日本脱出計画でした。

日本語封印のイギリス生活

憧れの海外。しかも英語の本場イギリス。でも言葉ができなければ始まりません。私は語学学校に通うことにしました。

そこで出会ったのが日本人留学生のMくん。彼は私より2歳年上でしたが、大学院を卒業して外資系企業にもうすぐ就職という社会人一年生。

当時大変人見知りだった私は、見知らぬ異国の地で友人ができるか非常に不安だったのですが、物怖じしないMくんと一緒にいたおかげで色んな国籍の人たちと仲良くなることができました。

私が入学した当時、その学校には日本人は私とMくんの二人だけ。そんな彼と初日のランチタイムに学校の外に出た時です。ようやく二人で日本語で会話ができると思った矢先、彼は「What do you want to eat?」と英語で話しかけてきたのです。

その瞬間、彼の英語学習にかける意気込みを感じ取りました。結局、それ以降我々二人は常に英語で会話を交わすことになりました。その後、新たに留学してきた日本人もこれに倣い、その語学学校では「日本人同士でも英語で会話」という習慣ができました。

これは結果として私の英語力向上にかなり役立ちました。

FEA新マネージャーは英語劣等生!?「余は如何にしてセブの住人となりしか」

結局イギリスに滞在していた約二年間、私は一度も日本語を話しませんでした(これ本当)。

仕事と英語

イギリスではケンブリッジという街にあるホテルで働いていました。ビザ取得の厳しいイギリスで、よくもまあ仕事にありつけたものだと思います。

採用面接も当然英語で行われたのですが、人事担当者の「お客様は我々に何を求めていると思いますか」という問いに、「 I think they expect our great hospitality. 」と答えたと思います。担当者は笑顔で大いに頷いていました。

実は、当時の私は「hospitality」という単語の意味をよく知りませんでした。ただ、ホテルなどのサービス産業の場面でよく耳にする言葉だなと認識していたので、(すぐに答えなきゃいけなかったのもあり)意味もわからず一か八かで言ってみたのです。

我ながらよくそんなことできたものだと思います。今じゃ絶対できない・・・。

私はレストラン部門に配属されたのですが、当時のメンバー構成はボスがフランス人、他にもスペイン、イタリア、アルバニア、ロシア、カナダ(フランス語圏)出身のスタッフに囲まれまさに多国籍。

イギリス人のスタッフは一人だけでした。我々の共通言語は英語。でもミーティングで白熱するとフランス語に変わるのです!実は私以外のメンバーはみんなフランス語が堪能。英語より楽なのです。

「あれ?英語だけじゃここではやっていけない?」そうしてイギリスにいながらフランス語を学ぶ羽目になりました。

FEA新マネージャーは英語劣等生!?「余は如何にしてセブの住人となりしか」

イギリスの職場で発見したことがあります。それは、「日本で身につけた仕事は海外でも通用する」ということ。

具体的には、
(1)自分の仕事に責任を持って必ず実行する。
(2)言われなくても自ら仕事を見つけ出す。
(3)常に先を読んで行動する。
(4)サボらない・・・等。

日本では当たり前のこれらのことを実行しただけで、スタッフからの信頼を得ることができました。別の見方をすれば、日本で活躍できる人は英語さえできれば海外で活躍できる可能性があるのではないでしょうか。

ただ、海外で活躍するためには日本基準だけでは駄目だという事も実感する出来事がありました。

帰国して数年経ち、米国大手のIT企業で働き始めた頃です。東京オフィスと言いつつスタッフは多国籍。初日の入社オリエンテーションから数週間の業務研修も全て英語です。
新製品のマーケティングチーム立ち上げに参加した私たちに、ある日次のような指示が来ました。

「この製品を世に出す前に社内でデモをやります。社内に告知して100人のユーザーを集めなさい。チームを2つに分けてそれぞれのプロモーション案をコンペに掛け、勝った方の案を実行します」

日本企業では大体2週間くらいかけて案を練り、会議にかけてひと月くらい後に実施という感じです。

ところがこの時の指示は「2日後にデモを開始します。今すぐチームを2つに分けて午後にはそれぞれの案を完成させなさい。明日の朝一で米国本社にTV会議でプレゼン、勝った方のプロモーション案を採用。その日の午後には社内告知し、明後日には開始」というものでした。

それからは悩んでいる暇はありません。限られた時間でカタチにするため、役割を分担して各自担当作業に没頭。なんとかプレゼン案を完成させ夕方に練習。

翌朝にTV会議でアピールして見事我々のチームの案が採用されました。しかし、このスピード感は日本企業では絶対敵わないと痛感しました。英語を身につけ世界で活躍するには、こうした世界基準のスキルも求められるということも知っておきたいものです。

FEA新マネージャーは英語劣等生!?「余は如何にしてセブの住人となりしか」

始業前にみんなでW杯観戦。※この頃の話はいずれ別の稿で紹介するつもりです。

そしてセブへ

既に30代後半に差し掛かっていた私は日本で骨を埋めるつもりでした。ところが縁があってセブの某語学学校のマネージャーの打診がきます。最初は断っていたのですが、半年近く口説かれました。

ちょうどその頃、海外の友人たちは40近くなっても一年かけて世界一周の旅に出たり、仕事を辞めて別の国でビジネスを立ち上げる人たちが現れました。

そんな彼らを見ているうちに、「こんな歳で海外で働くチャンスはもうないかも。行ける時にチャレンジしてみようか」と思うようになりました。

そんなキッカケがあり、私はセブに降り立ちました。そして今年の7月からは現職の FEA プレミアム校で働いています。プレミアム校を本当に「プレミアム」にするための戦いがそれから始まったのです。

その奮闘記についてはまた別の機会に。
それではまた。

▶︎FEAの公式HPはこちらから

FEAの学校紹介についての記事はこちらから。
▶︎英語力0!29歳女子に優しい語学学校探し【FEAプレミアム校】
▶︎ファーストウェルネス(FEA)セブシティ校の宿泊施設と周りの環境
▶︎ファーストウェルネス・セブプレミアム校の概要(主に宿泊施設)をお伝えします。

【まとめ】セブ島にある有名・評判な語学学校の一覧表
CoReDi Connection 代表 ・ファイナンシャルプランニング ・企業マーケティングコンサル moro moro project 代表 ・台日友好音樂會「音繋」主催 大手旅行会社で営業職を務めた後、2004年に渡英。英国のホテルで約2年にわたり多国籍のスタッフとともに働く。 帰国後、大手金融機関の新規事業部立ち上げに参加。企業のM&A、海外進出支援、CO2削減の取り組みなど多種にわたる事業に従事。上場企業の社長・役員に直接コンタクトを取り、電話&メールのやり取りだけで3ヶ月で2億円を売り上げ話題に。 その後、検索エンジンで有名な米国大手IT企業の新規プロジェクト立ち上げにスーパーバイザーとして参加。新製品の日本市場導入準備を担当、のちに法人向けクラウドウェアサービスを担当し、再び多国籍のスタッフとともに働く。 2015年に渡比。 2017年までセブ島の韓国系、日系の語学学校マネージャーを歴任。 現在はセブを拠点に東京、台北などで複数のプロジェクトを手がける。

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