レアジョブ物語 前編

今日では、フィリピンに進出する日本企業もあまたあります。そのなかには華々しい成功を収めた企業もありますが、レジェンドと呼べるほどのサクセス・ストーリーはそうはありません。

そうした数少ない成功譚(せいこうたん)の巻頭を飾るのは、間違いなくレアジョブです。フィリピンで成功した日本企業として多くの人が、真っ先にレアジョブの名をあげています。

レアジョブは2007年10月に設立されました。加藤智久氏と中村岳氏、そしてフィリピンのマリー・シェミュエル・ウニダ氏の3人が創業者です。

そのスタートは、最低資本金をほんの少し超えた程度の心細い船出です。しかし、レアジョブは瞬く間にオンライン英会話のトップ企業へとのし上がり、2014年には東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場するまでの急成長を遂げています。

レアジョブの軌跡こそは、フィリピンの地におけるレジェンドと呼ぶにふさわしいものといえるでしょう。

果たしてレアジョブはどんな戦略を駆使することで、短期間のうちに上場企業へと成長したのでしょうか?

3人に関する情報をネット検索から集めてみたところ、その膨大な量にまずは圧倒されました。ことに加藤智久氏へのインタビュー記事については、その数も内容も圧巻です。

そこで今回は、レアジョブ創業者の加藤智久氏が高校生だった頃から話を始め、レアジョブを創業してから成功へ導くまでの軌跡を追いかけてみます。

日頃から多くの経営者の方にフィリピン人のマネジメントについての苦労話を聞かされる私としては、レアジョブが具体的にどのようなマネジメントを行っているのか、かねてから大いに興味をもっていました。

レアジョブが行ったフィリピン人に対する独特のマネジメントは、フィリピンで起業する人たちにとって多くの示唆(しさ)に富んでいます。これについても、本文中でじっくり紹介します。

なお、文中では敬称は省略させていただきます。

起業までのステップ

ホームステイ

大前研一主催の「一新塾」に高校生で参加

何のために勉強するのか?

今日のレアジョブがあるのは、加藤が「起業」という選択をしたからこそです。これまでの安定した人生をかなぐり捨て、一寸先が闇ともしれぬ起業へと加藤は思い切りよく踏み込みました。

しかし、それはけして単なる思いつきや、勢いに流された行動ではありませんでした。加藤が起業へと至ったルーツをたどっていくと、高校時代までさかのぼることができます。

名門進学校として知られる開成高校で加藤は、後にともにレアジョブを創業することになる中村と出会い、高校生活を通して友情を育みました。でも加藤にとって高校は、けして楽しい場所ではありませんでした。

「自分はなんのために勉強しているのか?」

その答えを見つけることができないまま、悶々(もんもん)とした日々を過ごしていたからです。

このまま「良い学校から一流大学に進学し、一流大企業に就職する」という敷かれたレールの上を歩いて行くことに、加藤はどうしても納得できない思いを抱いていました。

「自分はこれから先、どう生きるべきなのか、今は何のために勉強しているのか?」、その答えは学校では得られないことがわかっていました。

加藤が読書にのめり込むようになったのは、この頃からです。答えを求めて、加藤はたくさんの本を読み漁るようになります。

起業へのターニングポイント

好きな著者は色々とできましたが、特に考え方にひかれたのは経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーで代表を務めたことで知られる大前研一でした。大前研一の本は中学生の頃から読んでおり、共感するところが多かったのです。

その頃はまだ起業したいという志があったわけではないものの、大前と会えるところがあると聞き「一新塾」への入会を決めました。

大前研一主催の私塾「一新塾」は、「新しいネクストリーダー養成学校」として設立された政策学校です。

周りは政治家や起業を目指す大人ばかりです。高校生として入塾を果たした加藤は異色の存在、もちろん塾内では最年少です。

一新塾に入ったことで加藤は、起業家や政治家・NPOの代表・冒険家など様々な人と出会い、話を聞く機会に恵まれました。

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彼らに共通しているのは自分の手でレールを敷き、力強く進んでいることでした。それは、これまで父親の背中しか見る機会のなかった加藤にとって、まったく未知の新しい「人生の在り方」でした。

加藤の父親は銀行員として堅実な人生を歩んでいました。いわばそれは、すでに敷かれたレールの上を歩いて行く人生です。

このとき、加藤ははっきりと気づきます。自分は敷かれたレールの上を歩いて行く人生よりも、一新塾で出会った彼らのように「自分でレールを敷いていく生き方がしたいんだ」と……。

恐らくこのとき加藤は、たとえ荒れ地とわかっていても自らレールを敷いて進む生き方に、よりワクワクする思いを感じていたのでしょう。

まだ、具体的に何かがしたいわけではないものの、「何のために勉強をするのか」という問いに対し「自分は自らの手で人生を切り開いていくために勉強するのだ」という答えを得た加藤は、再び高校生活に戻っていきます。

加藤は、大学は商学部を選びました。

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メンターに導かれた6カ年計画

- 自分は何にでもなれる -

仕事上、または人生の指導者・助言者のことを「メンター」と呼びます。加藤が起業家として成功を収める上でも、メンターの存在は大きく物を言っています。

この当時の加藤にとって一番のメンターは、中高大の先輩に当たる藤沢烈でした。加藤が一橋大を選んだのも、すでに一橋大に進学していた藤沢の影響が大きかったのかもしれません。

藤沢は後にマッキンゼーを経てNPO法人RCFを設立し、震災復興のコーディネート業務を手がけることで「Mr.復興」と呼ばれた人物です。

高校生の頃から、加藤は藤沢に大きな影響を受けていました。ことに「自分は何にでもなれる」という藤沢の持論は、加藤を大いに感化したのです。

たとえば政治家になると決めたなら、藤沢はそれを「いつ達成するか」「そのためにはどういうプロセスが必要か」を考え、次にそれらのプロセスをスケジュールに落とし込んでいきます。

すると「この1年間は何をしなければいけないのか」が見えてきます。「今月はこれをしよう、今日はあれをしよう」とスケジュールを作っていけば、政治家になるまでに必要なすべてのプロセスがはっきりと見通せるようになります。

あとは、そのスケジュールに従って行動するのみです。だから自分は何にでもなれるんだと、藤沢は信じ切っていました。

- 原体験を求めて -

加藤は藤沢の話を自分なりに解釈しました。必要なのは「どうなりたいか」を思い描くことであり、それをプランに落としこむこと、それを日々実行することなのだと。そうすることでどんなことでも成し遂げることができると、加藤もまた確信しました。

その上で立てたのが、「大学6カ年計画」です。大学は本来4年で卒業ですが、勝手に2年プラスすることにしました。その2年間を使ってはじめの1年は留学、あとの1年は海外で暮らすというプランを立てました。

なぜなら大学時代に、これから何をすればよいかという礎となるものをつかみたかったからです。その思いは、一新塾で冒険家の高野孝子や政治家の小池百合子、Jリーグ創設者の川淵三郎らをはじめ、様々な人の体験談を聞くなかで培われました。

たとえば、高野孝子は極地の冒険で神秘的体験をしたことが原点となり、子供たちの環境教育活動を始めました。小池百合子はエジプト留学中に動乱に遭遇し、政治の大切さを痛感したことで政治家を志すようになりました。

他の人たちも同様で、おおよそ二十歳くらいのときに人生を変えるような大きな体験をしていることが、不思議と共通していたのです。

「自分で人生を切り拓いていきたい」という想いはあっても、具体的に何がしたいのかを加藤は探しあぐねていました。だからこそ、自分も人生を変えるような原体験をしてみたいと切実に願ったのです。

藤沢に相談したところ、「そういう体験は大学の外に求めるしかないよ」とアドバイスを受けたことで、「大学6カ年計画」を実行しようと決めました。

留学を取りやめインターンへ

留学の準備を進めていた加藤は、藤沢の紹介で経営者と学生の交流会に参加し、そこで出会った一人の経営者と意気投合しました。一新塾のグループで考えていたモバイルを使った政策の構想を伝えたところ、たまたま経営者の温めていたアイデアと一致したことで、話が大いに盛り上がったのです。

経営者からは「今度また新しくIT系ベンチャー企業を立ち上げるから、その立ち上げメンバーにならないか」と誘われました。

これは人生における大きな分かれ道です。インターンとはいえベンチャー企業の立ち上げメンバーに名を連ねるからには、大きな責任が伴います。19~20歳ぐらいの学生が背負うには、あまりに重すぎる責任です。

普通なら大いに悩むところですが、加藤はさっさと留学を取りやめて、インターンとして働くことを選びます。

当時はちょうどインターネットバブル真っ盛りの頃です。IT系ベンチャー企業の立ち上げから関われることは、加藤にとって留学以上にワクワクする楽しさに満ちていました。

後年加藤はインタビューで、「今の学生は安定志向で内向きだと言われる。そんな彼らが、外に一歩踏み出すために必要なことは何だろうか?」という質問を投げかけられたとき、

「重要なのは、迷ったら積極的な選択肢を選ぶこと。悩んだ時にほんのちょっとだけ積極的な行動を選んでみてください。すると、道が開かれ、それが積み重なると大きな変化に繋がる」と答えています。

「どっちを選んでもメリット・デメリットがあるのだから、ワクワクする方を選ぶ方がよい」という考え方は、加藤のこれまでの生き方そのものです。

大学1年の終わりに休学届を出すと、加藤はベンチャー企業で働き始めました。

実り多いインターン時代

- 順調な滑り出し -

ベンチャー企業に入社したとはいえ、はじめから大きな仕事を任されたわけではありません。待遇はあくまで新入社員扱いでした。コピー取りやお茶くみから始め、社長についてメモをとる仕事などをこなしました。

そうした仕事をこなすことで次第に信頼されるようになり、やがて本格的に新規事業を担当するようになりました。はじめに任された仕事は、自社モバイルサイトの中のコンテンツサービスを作ることでした。

しかし、この事業は大失敗に終わります。肝心のモバイルサイトへの集客が、思うように運ばなかったためです。

売上げがほとんどゼロのまま半年が過ぎ、資金も底をつきかけて潰(つぶ)れるかと思っていたとき、韓国系の企業に買収されました。

事業内容がガラリと変わり、PC向けポイントサービス事業で新しい企画を任されることになります。この仕事は小さな成功を収めました。半年間で1000万円の粗利を弾き出したのです。

このとき、大学を休学してから1年が過ぎていました。今後、どうするかを考え、1日だけ学校に戻ることにしました。1年ぶりに大学に戻った加藤は、会社で働いている方が面白いと感じている自分に改めて気がつきました。

思えばベンチャーには、結構変わった人たちが集まっていました。みんなで力を合わせ、今までにないサービスを作ってお客さんを喜ばそうとしている姿を見て、加藤は心の底から楽しさを感じたのです。

ゼロから何かを生み出す喜び、同じ夢を見る仲間と作り上げていく楽しさ、出来上がったものを喜んで使ってくれる人たちを見たときの達成感、それらすべてが加藤にとってワクワクする体験でした。

「自分もいつかは起業してみたい」という思いが、加藤のなかで次第に膨れあがっていきました。結局加藤は週1日だけ学校に通い、残りの平日4日と土曜日に会社で働き続けることにしました。

その頃は会社全体の事業も順調に伸びており、加藤の担当する事業も人と資金が投入され、規模が拡大していました。まさに順風満帆かと思われていた矢先……。

- 失敗から学んだこと -

事業は思わぬほころびが生じ、継続できなくなりました。このときの失敗を振り返り、後に加藤は次のように語っています。

「この失敗の反省を端的に言うと、僕は1人で仕事をしている分には優秀だった。しかし、複数の人が動き出し、マネジメントが始まった瞬間に僕はうまくやれなかった。つまり、0から1を生み出すのは得意だが、1を100に持っていく能力が足りなかったということが言える」

レアジョブを立ち上げた理由×加藤智久氏 より引用

< 「僕にはまだマネジメントはできなかったし、人を使うということも難しかった」 その事業のシステム開発は、売上げのうち何%かを支払うという成功報酬型で外注に出していたため、外注先に多大な迷惑をかけることになりました。外注先の被った損害は、およそ3,000万円でした。 その外注先のベンチャー企業は「オン・ザ・エッヂ」という会社、後のライブドアです。謝りに行くと、対応してくれたのはオン・ザ・エッヂ創立者の一人である堀江貴文でした。 「過ぎ去ったことはどうでもいいから、これから同じ間違いを起こさないために何ができるかを、一緒に考えましょう」

怒鳴られたり、ののしられることを覚悟して出向いた加藤は、堀江の人間としてのスケールの大きさに打ちのめされました。今の自分では、堀江と同じビジネスの土俵で戦っても勝ち目はないと思い知らされた加藤は、ベンチャー企業でのインターンを終え、大学へ戻ることを決意しました。

一度大学に戻って勉強し直して、またベンチャーの世界に戻ってこようと覚悟を決めたのです。

大学を休学してインターンとしての経験を積んだことで得た一番の収穫は、実際にベンチャー企業で働くことで、「自分が生涯をかけてやりたいことはこれだ!」という確信を持てたことでした。

でも、今の自分ではまったく力が及ばないことを思い知らされました。自分に何が足りないのかを客観的に見ることができたことで、今後自分が何を学び、どんな力を身につけなければいけないのかをクリアに見通せるようになったのです。

起業に失敗はつきものです。失敗を恐れていては、前に進むことはできません。大切なことは失敗を恐れることではなく、失敗から何を学ぶかです。加藤は自らの体験を通して、多くのことを学んだのです。

大学復学、Skypeとの出会い

スカイプ

財務会計と英語

挫折感を引きづったまま、加藤は2年生の夏に大学に戻りました。自分に足りない「1から100」にもっていく能力を補うために、財務会計のゼミに入りました。インターン時代を通して、数字に強くなれば将来予測やマネジメントに役立つことがわかったからです。

また、意識して英語の学習に力を入れるようになりました。なぜなら、インターン時代に苦い経験をしているたからです。あるとき、シンガポールからかかってきた電話を取ったときのことでした。

加藤の英語は相手にまったく通じず、しどろもどろの対応しかできませんでした。アメリカ在住経験をもつ社長に電話を代わってもらったとき、「英語ができないことで、シンガポールの人と英語を使ってビジネスをするチャンスが失われた」ことに気がつき、加藤は大きなショックを受けたのです。

ビジネスがグローバル化しているなか、起業する上で英語ができないことは致命傷になると気がついた加藤は、本気で英語に取り組むようになりました。努力の甲斐ありTOEICのスコアは900点以上を叩き出しましたが、それでもまだまったくと言ってよいほどしゃべることはできません。

このときの体験は、後にレアジョブの事業として取り組むオンライン英会話の事業モデルに多大な影響を与えることになります。

サーフィンとビジネスの共通点

サーフィン

ゼミや英語の勉強とともに、この頃の加藤が夢中になって取り組んだのはサーフィンでした。サーフィンにのめり込むうちに加藤は、サーフィンとビジネスに多くの共通点があることに気がつきます。

サーフィンは単に波に乗る技術だけを競うスポーツではありません。むしろ波待ちをしている間のポジショニングこそが、勝負の分かれ目です。

たとえば正面から押し寄せてくる波には、どうあがいても乗れません。横幅50mほどの波のうちサーファーが乗れるポイントは、実は1m四方ほどしかありません。その範囲で、右端または左端からクルクルときれいに回る波を見つけて乗るのが重要なのです。

理想的なポジショニングを見極め、いち早くポイントにたどり着いて待っていた者だけが波に乗れます。つまり、どこでどんな波を待っているのかがとても大切になります。

このことは、起業でもまったく同じことがいえます。どんなビジネスを起業しようとも、乗れる波が来なければ失敗に終わります。起業を成功に導く第一の条件は、波があるということです。

勝負は七割方、波待ちで決まります。どの市場に波が押し寄せるのかを素早く判断して、用意周到に待ち構えている者だけが勝利を手にできるのです。

将来、ベンチャー企業を起業したいという志をもつ加藤にとって、どこに大波が押し寄せてくるのかは、常に関心のあることでした。

加藤が念願の「大波」と出会えたのは、大学5年時に旅したメキシコでのことでした。

Skypeの衝撃

通常は大学3年の終わりから就職活動に入りますが、加藤はあえてその時期には動きませんでした。加藤が就職活動を始めたのは4年の終わり頃です。5年生のはじめに内定が出ましたが、就職活動の時期をずらしたことで、卒業までに学校に行かなくても良い期間が1年間できました。

それは大学入学時に立てた「6カ年計画」に沿った行動であり、はじめから予定していたものでした。

浮いた1年を使い、長期海外旅行に出ることにしました。中国語を学ぶために中国に半年、サーフィンがしたくてメキシコに4ヶ月間滞在しました。

そのメキシコの地で、加藤はあるものと出会い、大きな衝撃を受けます。

Skypeでした。

ヨーロッパで生まれたSkypeは、その後アメリカのシリコンバレーを中心に広まりました。彼らがよく旅行に訪れていたのがメキシコだったため、メキシコにはSkypeを使った国際電話ブースが設置されていたのです。

加藤はまずSkypeを使った国際電話ブースの料金が、他に比べて十分の一くらいに設定されていることに驚きました。

当時は海外から日本に電話をかけようとすると、1分100円くらいかかりました。ところがSkypeを使ったブースからは、1分10円くらいでかけられたのです。

しかも、Skypeのユーザー同士であれば、国をまたいでも無料で通話できると知り、加藤はさらに驚きました。音質も悪くありません。もっと加藤を興奮させたのは、Skypeを使うことで動画を使ったテレビ電話が実現することでした。

当時はインターネットといってもテキストや画像がほとんどで、動画さえほとんど見かけなかった時代です。それなのにSkypeのユーザー同士であれば、互いの顔をリアルタイムに見ながら無料で会話が楽しめると知り「これこそがインターネットだ!」と思わず叫んでいました。

加藤はこのとき、追い求めていたビジネス上の大波こそがSkypeであると直感します。Skypeを使った市場は必ず大きく成長するはずだから、自分はその波に乗ろうと決めたのです。

Skypeを利用したビジネスでの起業を決意し、加藤は歩き始めました。

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