レアジョブ物語 前編

外資系コンサルに就職、副業を開始

外資系コンサルを選んだ理由

内定はいくつか出ていましたが、加藤が選んだのは外資系の戦略コンサルティングファームであるモニターグループでした。

外資系コンサルを選んだのには、二つの理由があります。ひとつは将来の起業に備えてマネジメントをしっかりと学びたかったこと、もうひとつは英語を使いこなせるようになるために、仕事で英語をより使う環境に身を置きたかったからです。

英語を使ったコミュニケーション力を鍛えるには、まさに理想的な職場でした。入社して初めて任されたプロジェクトのマネジャーはドイツ人で、その下のリーダーが韓国人、ほかにもう1人の韓国人と中国人がチームのメンバーでした。

日本語がまったく通じない環境のもと、いきなり英語をがんがん使うことになったのです。TOEICのスコアは900点以上とってはいるものの、これまで読み書きしか勉強してこなかったため、英語はまったくしゃべれませんでした。

やむなく初めのうちはメールに書くことでコミュニケーションをとりながら、苦労して必死に英会話を学んでいきました。

こうして次第に英会話力が上がり、まもなく英語を使ったコミュニケーションをスムーズにとれるようになったのです。

はじめから3年で辞めると決めていた

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外資系コンサルに就職したのは、あくまで将来の起業のためでした。インターン時代の経験から加藤は、自分は0を1にする力はあるものの、1を100にする能力に欠けていると痛感していました。1を100にするために、数字でプランニングしていくコンサルティング的な能力を身につけることを目的に、加藤の新社会人生活が始まりました。

入社する時点で決めていたのは、「3年たったら辞める」ことでした。そう決めたのは、戦略コンサルから起業する場合には、主に2つのケースがあると教えられたからです。

ひとつは戦略コンサルを3年以内に辞めて起業するケース、もうひとつは戦略コンサルに腰を落ち着け、パートナーまで登り詰めてから起業するケースです。

後者の場合は人脈も広がっているため、いざ起業する際には出資者も集めやすくなるものの、何年も経験を積みながら社内での昇進を目指す必要があります。そうしたキャリアを目指すのは自分のスタイルではないと、加藤は直感しました。

3年以上留まると、「コンサルに染まってしまうのではないか?」といった不安もありました。戦略を創ることは経営者にとってひとつの能力に過ぎず、それが経営者の仕事のすべてではありません。

インターン時代の経験から加藤は、経営者にとって大切なことは大きなビジョンを描き、それに向けて人々の気持ちを動かしていくことだと学びました。だからこそ、戦略コンサルの仕事は3年で卒業し、次のステップに進もうと決めたのです。

いざ働き始めると、毎日の仕事はかなり刺激的でした。外資系コンサルは世界中にオフィスをもっており、世界的に名が知れた名門大学の出身者もたくさんいました。ハーバード大卒や北京大卒、ソウル大卒など優秀な仲間とともに仕事ができることは、ワクワクする楽しさにあふれていました。

しかし、それ以上に加藤をワクワクさせたのは、自分で事業を興す計画をあれこれと練ることでした。

共同創業者探し

起業に向けて加藤が真っ先に考えたことは「一緒に創業する仲間が欲しい」ということでした。

もちろん起業は一人でもできますが、自分一人でできることは限られています。信頼できる優秀な仲間とともに起業に向けた準備がしたいと、加藤は切望しました。

そこで、日曜の夜に起業に向けた勉強会を友人とともに開くことにしました。社会人1年目から3年目の人たちを10〜20人くらい集め、起業してから1〜3年目ほどの若手の起業家を毎回1人ずつゲストに招き、話を聞きながら様々な質問を浴びせました。

このような勉強会の場を設けた目的の一つは、共同創業者と出会うことです。

その目的は達せられました。中高を通じて親友だった中村が、勉強会に度々出席してくれたからです。

中村は、東大工学部から大学院を経てNTTドコモに入社していました。加藤が知る限り、大学院を出るまで中村は、起業にはあまり関心をもっていなかったはずです。しかし、社会人になって考えが変わったようです。

「一緒に副業をやらないか?」と持ちかけると、中村は即座に了承してくれました。こうして加藤と中村は互いに本業のかたわら、近い将来の起業に向けて、いくつかの案を持ち寄っては副業として取り組み始めました。

失敗に終わった中国語オンラインスクール

かねてから加藤は、Skypeを使ったネット関連ビジネスこそがこれからの大きな波になると見ていました。そこで中村とともに、さまざまな案を練りました。

その果てにようやく形になったのは、Skypeを使った中国語オンラインスクールでした。リスクの小さな起業を実現するために、副業から実際に試して学ぶことが加藤たちの目的です。

当時は中国とのビジネスが注目されていた時期でもあり、中国語を習おうとする人が増えるに違いないと読み、ターゲットを中国語に定めました。講師は知り合いの中国人に頼み、システムのプログラムは中村が担当しました。

ウェブサイトも作り込み、いざオープンしてみると……。結果は期待を大きく裏切るものでした。まったく集客できなかったのです。

知人に勧めてみたところ、周囲から返ってきたのは「中国語じゃなくて、英語ならやるよ」という反応ばかりでした。

はっきりわかったことは、中国語に対するニーズがまったくと言ってよいほどなかったことです。中国語を勉強したい人の数は英語を勉強したい人の数と比べると、圧倒的に少なかったのです。

ニーズとは別に、スキルの問題もありました。「これはペンです」を英語に翻訳してくれと言われたときに「This is a pen.」といえない日本人は、ほとんどいません。ところが中国語に翻訳してくれと言われても、大多数の日本人は答えに詰まってしまいます。

まだ初歩的なレベルにさえ達していない段階で、いきなり外国人から習うのはキツいという声が多かったのです。

加藤と中村は早々と中国語に見切りをつけました。ニーズとスキルの面から見ても、オンラインスクールにもっとも適しているのは英語しかないと、失敗を通して改めて気づかされました。

英会話オンラインスクールへと方向転換

中国語用のシステムはすでにできあがっていたため、英会話に切り替えればシステムを無駄にせずに済みます。中村はオンライン英会話システムへの修正と機能追加に着手しました。

Skypeを使った英会話オンラインスクールを構想するにあたり、加藤が心がけたことは「自分が欲しかったサービスを提供する」ことでした。

加藤自身、英会話には苦労してきました。外資系コンサルに入社した頃、同僚が外国人ばかりでしたが、英会話ができなかったために悪戦苦闘しました。その原因は、日本の入試制度にしてもTIEICにしても読み書きばかりが問われるため、これまで読解力や英作文の能力を鍛える勉強はしてきたものの、英会話の練習をほとんどしてこなかったためです。

「もし、あの頃、こんなサービスがあったらうれしかったのにな」と思える英会話オンラインスクールを世に問いたいと、加藤は決めていました。そのためには、Skypeを使って自宅に居ながらにして、気軽に英会話の練習量を増やせるシステムを構築する必要がありました。

講師をどこから、どうやって集めるか?

- ふるいをかけて残ったのはフィリピンだった -

さしあたって一番の問題は、英会話の講師をどうやって集めるかでした。選択肢は二つありました。ひとつはNOVAやETCのような英会話学校の講師経験者を集めること、もうひとつは海外の講師を使うことでした。

単に講師の頭数を揃えるだけでは駄目で、このビジネスを成功させるためには良い講師を継続して集められる仕組み作りが必要だと、加藤は直感していました。良い講師を集めるためには、それなりに魅力的な報酬を支払わなければいけません。

となると前者の場合、日本での英会話講師の相場以上の報酬を用意しなければならないため、その分をレッスン料に上乗せすることになります。

Skypeを使った英会話オンラインスクールの優れたところは、なんといってもその価格にあります。低価格での提供ができなければ、魅力は半減してしまいます。

海外で講師を集めるのであれば、この問題も解決できます。給与が安い国であれば日本との物価差があるため、その国での相場以上の高い報酬を支払ったとしても、依然として低価格でのレッスンを提供できるからです。

加藤は英会話の講師を海外に求めることにしました。給与が安いことを前提に、英語を話せる人が多い国というふるいをかけると、対象はアジア圏に絞られました。

候補として残ったのはマレーシア・シンガポール・インド、そしてフィリピンでした。インドは訛(なま)りが強すぎることがわかり、除外。マレーシアとシンガポールは英語を使う国ではあるものの、歴史的背景としてイギリス英語が中心のため、日本人には合わないと判断しました。

日本人が慣れ親しんでいるのは、アメリカ英語です。そうなると、白羽の矢が立つのはフィリピンでした。フィリピンはアメリカの植民地であった歴史があるため、使われているのはアメリカ英語です。フィリピンでは英語が第二の公用語に定められており、多くの人が流暢(りゅうちょう)に英語を話せます。その英語はネイティブではないものの正確で、日本人にもわかりやすいという特徴があります。

Skypeを使った英会話オンラインスクールの講師に、フィリピン人はまさにうってつけでした。

- 優秀なフィリピン人講師を見つける手立て -

給与の安さも理想的でした。国民一人あたりのGDPを比較すると、日本とフィリピンでは10倍以上の開きがあります。日本では安過ぎる報酬でも、フィリピンで働く人たちからすれば相当高い報酬です。

フィリピンであれば高い報酬を背景に、優秀な講師を継続して集められるに違いないと加藤は確信しました。

そうと決まれば、残る問題は「どうやってフィリピン人の優秀な英会話講師を集めるか?」です。

もし、あなたがこのときの加藤の立場であったなら、具体的にどうしますか?

知り合いにフィリピン人は一人もいません。フィリピンに関するコネもツテも一切ありません。

それでも加藤は即決しました。実際にフィリピンに行こうと!

勤め先の外資系コンサルに夏休みをもらうと、加藤は一人で飛行機に飛び乗りマニラを目指しました。

与えられた期間は一週間のみです。しかも加藤は、その一週間を下見や情報収集に費やす気など一切ありませんでした。また、数人の優秀な英会話講師を見つけるだけで終わらせる気もありませんでした。

加藤が目標として見据えたのは、フィリピンで継続して優秀な英会話講師を集めるための仕組みを作ること。そのために必要なのはフィリピン人のなかから、信頼できる共同創業者をなんとしても探し出すことです。

「たった一週間で、一度も会ったこともない人の中から信頼に足る共同創業者を見つけ出す」こと! それはどう見ても無理ゲーでした。

なぜネイティブにこだわらなかったのか?

今でこそフィリピン留学やフィリピン人講師によるオンライン英会話は当たり前になっています。でもそれは、最近になってやっと定着したことです。

加藤がレアジョブを起業する前の日本は、ネイティブ絶対主義といえるほどにネイティブにこだわっていました。英語はネイティブのように話さなければならない、といった風潮が強かったのです。

ネイティブでない講師が英会話を教えるなんてあり得ない、それが当時の日本の常識でした。

「ネイティブではないフィリピン人講師によるSkypeを使った英会話オンラインスクール」という加藤の描いたビジネスモデルは、こうした常識に真っ向から挑戦する試みでした。

いわば「ネイティブ絶対主義」への挑戦です。

それでも加藤には十分に勝算がありました。英語はネイティブのように話さなければならないという思い込みは時代遅れもいいところで、世界のトレンドから数十年は遅れていると見切っていたからです。

外資系コンサルにてネイティブから非ネイティブまで多くの外国人の同僚に揉まれるなか、大切なのはコミュニケーションツールとして英会話を使いこなすことなのであって、ネイティブのように流暢にしゃべる必要などまったくないと加藤は実感していました。

「英語は世界の共通言語になっているのだから、けしてネイティブだけのものではない」という世界的なトレンドに、日本も近いうちに切り替わるはずだと確信したのです。

「ネイティブの発音に近づく英会話」と「ネイティブの発音にこだわらずに通じる英会話」のどちらを目指すのかで、学ぶ内容も方法もまったく違ってきます。

「ネイティブ絶対主義」という常識を打ち破り、加藤は「通じる英会話」という実をとることを選んだのです。

後年、加藤は英語が通じる喜びを重ねることこそが、英会話の上達には欠かせない要素だと述べています。

「以前、『初めて英語が通じた喜びの瞬間は?』という質問を大勢にしたことがあったのですが、いちばん多かった答えが『海外に行ったときに、キオスクなどで waterと英語で言ったら、ちゃんと水が買えたとき』というようなたぐいのものだったのです。僕はここにすべてが集約されていると思うのですが、意思の疎通や目的が達成された瞬間が最もうれしいんですね」

デタラメでもいい! 英会話は「楽しい」が大事 英語教育を変えるキーパーソン 加藤智久(4)氏 より引用

「今までは海外に行かないと味わえなかったそういった瞬間を、レアジョブ英会話のレッスンで!」、それこそが加藤がレアジョブ英会話で提供したいと思っている価値のひとつでした。

こうした価値を提供する上で、講師がネイティブである必要はまったくありません。

今日、フィリピン留学の人気が高まっているのも、まったく同じ事情によります。ネイティブの発音に惑わされることなく、通じる英会話を身につけること。

フィリピン人講師とのマンツーマンのレッスンを通して英語が通じる喜びを何度も体験すること、そうすることで楽しみながら英会話を短期間で身につけることができます。

フィリピン留学やオンライン英会話を利用する人が増えていることは、「英語は誰のものでもない」という世界の常識に、日本もようやく追いついてきたことの証拠といえるでしょう。

人生を変えたフィリピンでの一週間

無理ゲー攻略は「ドラゴンクエスト」方式で!

- わからなかったら、わかる人に聞けばよい -

はじめて訪れるフィリピンの地で、信頼できる共同創業者を一週間以内に探し当てるという無理ゲーに加藤は一人で挑みました。

フィリピンには一人も知り合いがいません。誰かを紹介してもらおうにも、フィリピンにツテがある知人さえいませんでした。

それでも加藤は、いつも海外に行くとき以上に不思議とワクワクしていました。Skypeを通して英会話レッスンを行うという加藤の描いたビジネスモデルを実現するための最初の扉が、フィリピン訪問によってこじ開けられる予感がしていたからです。

小雨が降りしきるなか、加藤を乗せた飛行機はマニラのニノイ・アキノ国際空港に着陸しました。タラップから降りたとき「魚くさいような、甘ったるいような、かいだことのない臭いがした」と、加藤は語っています。マニラの街は、灰色にくすんでいるように見えました。

どうやって目当てとなる人物を探し当てるべきか、加藤はすでに決めていました。無理ゲーの攻略は、街で出会う人に次々に聞いて回る「ドラゴンクエスト」方式で臨むしかないと腹をくくっていたのです。

予約していたホステルに着くと、受付でさっそく質問を投げかけました。

「僕は日本でオンライン英会話のサービスを始めるんだけど、良い講師を集めるには、どこに行ったらいいか教えてくれないか?」

いきなり話を切り出しても通じるわけがなく、受付のスタッフは顔を見合わせてキョトンとするばかりです。加藤は日本から用意してきた紙を1枚差し出し、それを指さしながら、さらに続けました。

「フィリピンにいる講師がインターネットを通して日本にいる日本人にレッスンを提供する、そんなサービスを僕は友人たちと準備しているんだ。日本で英会話を習おうと思ったらとても高い。でもこのビジネスモデルなら英会話レッスンの値段を数十分の一の値段に下げられる。

だからフィリピンに来て講師を探している。正確に言うと、講師が欲しいんじゃない。いい講師をたくさん集められるような、フィリピン人の創業パートナーが欲しいんだ」

Vol.02 世界と働く! 26歳だった僕は徒手空拳でフィリピンに渡り、共同創業者シェムを見つけた|加藤智久「レアジョブ奮戦記」 より引用

説明を終えても、受付のスタッフは口を開けたままポカンとしていました。自分の英語が拙くて伝わっていないのかとも思いましたが、反応をうかがってみると、どうやら英語は理解できたけれど唐突すぎて話がまだ理解できないようでした。

- フィリピン大学インターナショナルセンターへ -

加藤はさらに噛み砕いて説明を続けました。

「正直に言うけど、僕はフィリピンは初めてで、知り合いも誰もいないんだ。でも僕にはどうしても日本人に英語を教えてくれる講師が必要なんだ。どこに行けばいいかまったく見当もつかないから、どこに行けばいいのか教えて欲しいんだ」

すると、ようやく答えが返ってきました。

「それなら、フィリピン大学のインターナショナルセンターに行ってみたらどうかな」

国立フィリピン大学はフィリピンで最も優秀な大学であり、日本の東大にあたります。たしかにフィリピン大学であれば、講師や創業パートナーを探す上でなにかしらのヒントを得られるに違いないと思い、加藤は教えられた通りの場所に向かいました。

もちろん、すぐに正解にたどり着けないことはわかっていました。教えてもらった場所が駄目なら、また会う人ごとに同じ質問を繰り返すだけです。そうすることで、きっと創業パートナーと巡り会えるはずだと、加藤は信じていました。

迷いながらも、フィリピン大学のインターナショナルセンターにたどり着きましたが、そもそもここがどういう場所なのかもわかりません。ガードマンに聞いてみたところ、ここはドミトリーでフィリピン大学に留学している日本人や韓国人、アフリカ人などが泊まっている寮であることがわかりました。

それを聞いて加藤は落胆しました。留学生を探しに来たわけではないからです。それでもすぐに気を取り直し、また誰かに「どこに行けばよいのか」を聞こうと思い、フラッとホールの中を歩いてみました。

- ヒントは落ちていた -

ドラクエでは行き詰まったときに建物のなかを探検することで、次に進むためのヒントを得られることが多いものです。ここにも何か手がかりとなるものが落ちているかもしれないと思い、加藤は10m四方のホールをつぶさに観察しました。

手がかりは掲示板に落ちていました。1枚のビラが加藤の目に留まったのです。それは、バイト求人のビラでした。

加藤は「これだ!」とひらめきました。

次の瞬間には通りかかった女子学生に、「勝手にビラを貼っても良いのでしょうか?」と少し興奮した面持ちで尋ねていました。

「学務課に行って承認のハンコを押してもらう必要があります」とだけ告げると、女子学生は足早に立ち去っていきました。

加藤はカバンから、日本から用意してきたビジネスモデルを簡単に記した図表を取り出しました。その余白に手書きで書き加えました。

「RareJob need English Tutor」(日本語訳:レアジョブは英語講師を急募します)

その日はもう遅かったため、翌朝、加藤はコピーを30部作りって学務課を訪れました。しかし、「規定でこれ以上はハンコを押せない」と突き返されてしまいます。ハンコを押してもらえたのは8部だけでした。

インターナショナル・センターをはじめ、大学生協や教育学科棟などに求人のビラを貼って回りました。あとは求人ビラに記したメールアドレスに応募が届くのを待つだけです。

まもなく、加藤にとって運命的な出会いが訪れます。

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ドン山本
タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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