海外出稼ぎ

第1章 それでもフィリピン人は海外を目指す

世界を実際に旅してみると、至る所でフィリピン人を見かけることに驚くかもしれません。 東京はもちろん、ローマ・パリ・シンガポール・香港・クアランプール・ドバイ・バーレーン、アメリカ・カナダ・ヨーロッパの各都市やサウジアラビアやクウェートなどの中東地域に、数千人を超えるフィリピン人のコミュニティができています。

彼らのほとんどは、出稼ぎに出た労働者か移住を果たしたフィリピン人です。たとえば香港やシンガポール、クアラルンプールでは、日曜ともなると街中を歩くだけで多くのフィリピン人女性とすれ違います。

サウジアラビアなど中東のホテルでは、支配人から始まってレセプションやベルボーイ、室内係やコック、清掃人など従業員のほぼすべてがフィリピン人というケースも珍しくありません。

グアムやサイパンのレストランやバーラウンジでは、フィリピン人バンドばかりが目につきます。ホーチミンやシドニーでも、フィリピン人バンドの演奏にあたる確率はかなり高いように思えます。

台湾ではフィリピン人の工員に良く出くわします。陸地ばかりではありません。海洋に目を移せば、さらに多くのフィリピン人を見かけます。日本をはじめ、多くの国の豪華客船の乗組員をよく見てみると、フィリピン人があまりにも多いことに驚くことでしょう。

実は世界の船員のほぼ四分の一は、フィリピン人で占められています。

フィリピン人は世界のどこであろうと恐れることなく、出稼ぎに出ています。まさに根っからの海洋民族らしい活躍ぶりです。

フィリピンから海外に出て働いている人は、世界中に420万人以上いると推定されています。さらに海外に移住したフィリピン人を加えると、その数は1500万人を超えると言われています。

http://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Download/Report/2016/pdf/C17_ch02.pdf より引用

フィリピンの人口は2014年に1億人を突破していることから、国民の1割以上は海外で暮らしていることになります。日本から出て海外に滞在している日本人は、2016年の時点でわずか134万人ほどです。同じ島国であり、同じ程度の人口を抱える日本と比べてみれば、いかに多くのフィリピン人が海外に進出しているかがわかります。

フィリピンではなぜ、これほどまで多くの人々が海外に出ているのでしょうか?

今回は、フィリピン人海外出稼ぎ労働者にスポットを当て、何回かに分けて深掘りしてみることにします。海外出稼ぎ労働者の実態を追うことで、フィリピンが抱える問題が浮き彫りになってきます。

1.現代の奴隷なのか?

中国大陸と東南アジアとが交差する香港の人口は、2018年時点で740万人ほどです。そんな香港に30万人を超える外国人家政婦がいます。その大半は本国から出稼ぎにきたフィリピン人かインドネシア人です。

彼女たちは雇い主の家族と共に暮らしながら、日曜日を除いて週に6日間、1日当たり16~20時間も働いています。

彼女たちにとって唯一の休日となる日曜日には、九龍や離島を結ぶフェリー埠頭へ向かう道沿いにあるセントラル周辺は、フィリピン人家政婦で埋め尽くされます。

数年前の日曜日に香港のセントラルを訪れたとき、高層ビル群をつなぐ回廊に段ボールを敷き詰めて座り込み、楽しそうにおしゃべりに興じたり、食事をしたり、トランプをして歓声を上げるフィリピン人家政婦の集団を目の当たりにして、圧倒されました。

階段の両脇もフィリピン人家政婦が固めており、彼女たちの足を踏みつけないように歩くだけでも一苦労です。近くの公園も、ピクニックに興じるフィリピン人家政婦に占拠されているかのようでした。少なく見積もっても数万のフィリピン人家政婦が押し寄せているように、感じられました。

休日に同郷の友達と会って楽しい時間を過ごすため、日曜ごとに彼女たちはセントラルに集まってきます。近くの教会で行われるフィリピン人を対象としたミサに参列することも、目的のひとつです。1日に何度もミサは行われますが、参列者をさばききれないままホールはいつでも超満員です。

しかし、彼女たちが日曜ごとにセントラルに集う本当の理由は別にあります。それは、雇い主の家族に追い出されるからです。

香港では法律上、日曜日には必ず家政婦に休みを与えなければいけない決まりになっています。雇い主の家族からすれば、働かない家政婦は目障り以外の何ものでもありません。

香港は狭い地域に人口が密集しているため、世界で最も家賃が高いことで知られています。そのため、家政婦専用の部屋を用意する余裕などありません。日曜日に家族団らんで過ごす習慣をもつ香港の人々にとって、働きもしない家政婦が家のなかをうろつくのは耐えがたいことです。だからこそ、体よく追い出されるのです。

家を追い出されたフィリピン人家政婦は、夜まで時間をつぶさなければいけません。かといって映画を見たり、カフェに行ったり、ショッピングする金銭的余裕などありません。

そこで、お金を使うことなく時間をつぶすためにセントラル周辺にたむろするのです。

そのあたりの事情はインドネシア人家政婦にしても同様です。インドネシア人家政婦が集うのはコーズウェイベイ駅の近くにあるビクトリア公園です。

日曜ともなるとビクトリア公園は、イスラム教徒のシンボルともいえるブルカをかぶったインドネシア人家政婦で埋め尽くされます。

フィリピン人家政婦にしてもインドネシア人家政婦にしても、睡眠時間が4時間ほどしかとれない過酷な労働を毎日強いられ、たまの休日には強制的に家を追い出されるという仕打ちに、「現代の奴隷」とも呼ばれる外国人労働者の悲哀が象徴されています。

海外に出て仕事をすると聞くと、華々しい活躍ぶりを想像しがちですが、そんなことはありません。

海外で働くフィリピン女性の多くを占めるのは家政婦です。香港や中東ではフィリピン人家政婦が差別と偏見の狭間に立たされ、精神的にも肉体的にも虐待を受けていると、数え切れないほど報告されているのです。

ときには命の危険にさらされることもあります。実際に雇い主から受けた虐待がもとで命を落としたフィリピン人女性もいます。しかし、事件として表面に出てきているのは氷山の一角に過ぎません。

海外に出たまま連絡が取れなくなっているフィリピン人も、数千人規模でいるといわれています。不法滞在者として自ら姿を隠しているフィリピン人もいるため、その実態は政府でもつかみきれていません。

「現代の奴隷」と蔑まされても海外に出なければいけない事情を、フィリピン人海外出稼ぎ労働者の多くが抱えています。

その実態については、これから少しずつ解き明かしていきます。

2.かつていた「ジャパゆき」さん

- ジャパゆきさんとは? -

日本へ出稼ぎに来て働いているフィリピン人も多数います。日本で働いているフィリピン人として、ことに年配の方にとって馴染みが深いのは「ジャパゆきさん」ではないでしょうか。

「ジャパゆきさん」とはアジア各国から日本に出稼ぎに来て、パブやクラブで働く女性のことを指します。今ではすっかり死語になった言葉ですが、1980年代から2000年代の日本には「ジャパゆきさん」と呼ばれるフィリピン人女性が毎年8万人ほど来日していました。

彼女たちは都会はもちろん、地方に至るまで日本のあちらこちらに散らばり、フィリピンパブを中心にホステスとしての業務をこなしていました。

彼女たちはフィリピン政府が「海外パフォーミング・アーティスト(Overseas Performing Artist: OPA)」と名づけたプロのダンサーや歌手としての資格を得て来日していました。いわゆる興行ビザでの来日です。

彼女たちはエンターティナ-として扱われ、専門的な技能をもった外国人労働者として来日が許されていたのです。海外から大物アーティストが来日する際に発行される興行ビザと同じ構図です。

ちなみに2002年には 7万3685人のフィリピン人エンターテイナーが海外へ出稼ぎに出ましたが、日本以外の国に行ったのはわずか439人に過ぎません。フィリピン人エンターテイナーは、そのほぼすべてが日本向けに養成されていたことがわかります。

- 社会的弱者としてのジャパゆきさん -

エンターテイナーとして興行ビザで入国したフィリピン人女性は、歌手やダンサーとして興行を行うことが許されていますが、それ以外の仕事に就くことは禁じられています。

しかし、実際には彼女たちの全員が「ホステス」業務に従事することを強制されます。性的なサービスに従事しなければいけないことを、来日してはじめて知るフィリピン人女性も数多くいました。

さらに問題となったのは、店によって売春を強要されたり、拒むことで虐待を受ける事例が発生したことでした。大多数のフィリピン人女性はホステス業務だけをこなしていましたが、心ない経営者にあたると売春を強要されるケースがあったのです。

こうしたことが明るみとなり世界的な批判を浴びたことで、政府もようやく解決に向けて動き出し、2005年を境に興行ビザの発給条件を厳しく改めました。そのため、現在では興行ビザが発給されるのは、かつての10分の1ほどに激減しています。

フィリピンパブが当時に比べてめっきり減ったのは、こうした事情に加えて水商売自体が衰退しているためです。

- 批判される日本の人身売買 -

それでも来日するフィリピン人女性の数自体が、当時の10分の1に減ったわけではありません。興行ビザを取得する正規ルートでの入国が難しいとなると観光ビザを利用して来日し、そのまま不法就労に走るフィリピン人女性もいるからです。

こうした不法就労の手引きには、日本の裏社会が深く関わっているといわれています。来日したフィリピン人女性はただでさえ社会的弱者としての扱いを受けています。まして不法就労を続けるフィリピン人女性ともなると、輪をかけて不利な状況に追い込まれています。

現にフィリピン外務省は2016年の8月3日に「違法に日本に渡ると、人身売買の被害に遭う危険性がある」という注意勧告を、出稼ぎ希望の女性たちに向けて発信しています。観光ビザによる入国や日本人男性との偽装結婚が、その主な手口です。

かつてと比べればエンターテイナーとして働くフィリピン人女性は減っているものの、不法就労するフィリピン女性は逆に増えています。「ジャパゆきさん」という言葉は聞かれなくなっても、現代においても虐待を受けるフィリピン人女性はいるものと考えられます。

米国務省がまとめた世界での人身売買の実態を綴った2016年度の年次報告書によると、日本に対して「人身取引撲滅のための最低基準を十分に満たしていない」と厳しい評価を下しています。

先進国でこのような評価を受けたのは日本だけです。日本人として大いに恥ずべきことといえるでしょう。

- フィリピン人労働者の新たな受け入れ -

世界的にも特殊なエンターテイナーとしての受け入れに代わり、日本で働くフィリピン人として注目されているのは看護・介護職です。2006年にフィリピンとの間で合意された経済連携協定に基づき、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れがはじまっています。

現在、日本の看護・介護の業界は深刻な人手不足にあえいでいます。特養待ちの老人は40万人を超えるともいわれていますが、人手が足りないために新たな施設を作る動きも鈍ったままです。

この業界に専門的な技能をもったフィリピン人が雇用されるようになれば、慢性的な人手不足も解消されることでしょう。しかし、現状は日本語の難しい能力試験が課されたり、滞在期間の条件などが厳しく、まだわずかな人数しか雇用されていません。今後は少しずつ門戸が開かれていくことが期待されています。

また、現在のところ家事労働者に就労ビザは認められていませんが、外国人による家事労働者を受け入れることができる特区として東京・神奈川・大阪が指定されています。海外で広く見られるように、女性が社会進出を果たす上でフィリピン人家政婦の雇用は大きな力になります。個人でも家政婦としてフィリピン人を雇用できる日が、まもなく訪れるかもしれません。

エンジニア等のエリート職で就労するフィリピン人技術者の数も、確実に増加傾向にあります。

3.日本に根強い東南アジアの人々への偏見と差別

日本のなかには白人に対しては腰を折るものの、フィリピンをはじめとする東南アジアの人々に対しては居丈高に振る舞うという空気が、昔から根付いています。入国管理局の職員にしてもそのような傾向があることを、よく耳にします。

東南アジアの人々に対する日本人の優越意識は、彼らの貧しさに基づくことが多いようです。テレビや雑誌などで取り上げられるスモーキーマウンテンやスラムの報道によってフィリピン人の多くが貧困にあえいでいることを知り、偏見が生まれます。

フィリピン人女性は貧しく、お金のためならなんでもするという誤った偏見をもつ日本人も、残念ながら少なからず存在します。そうした偏見こそが、かつてのジャパゆきさんの身に降りかかる悲劇を育てた温床です。

しかし、ただ貧しいからといってそのような偏見と差別を受けるいわれは、フィリピンの人々にはありません。貧困はけして罪などではありません。

今でこそ世界で最も豊かな国のひとつになった日本ですが、たかが百年ほど前までは極めて貧しい国だったことを知っていますか?

現在は多くのフィリピン人にとって日本はあこがれの国です。日本に出稼ぎに行きたいと希望するフィリピン人はあまたいます。

でも百年ほど前までは、立場が逆でした。貧しいがために日本人の多くがフィリピンに出稼ぎに出た時代があったのです。

4.かつては日本人がフィリピンで出稼ぎ労働をしていた

- 「からゆきさん」を知ってますか? -

教科書には載っていないことですが、日本の近代史は海外に働くために出て行った移民抜きでは語れません。明治元年の1868年以来、多くの日本人が職を求めて海外に出て行きました。

ハワイやアメリカ本土・カナダ、メキシコ・ブラジルなどの中南米、ロシアや中国・朝鮮・満州、オセアニアや東南アジアへと、出稼ぎに出た国や地域はさまざまです。男性は道路工事や大工・農夫・漁民として、女性は女中、あるいは娼婦として海を渡っていきました。

日本人女性が娼婦として海外に働きに出ていたという事実は、知らない人が多いかもしれません。「ジャパゆきさん」という言葉は、実はある言葉をもじって作られたものです。語源にあたるその言葉とは「からゆきさん」です。

「からゆきさん」とは19世紀後半から20世紀はじめにかけて、東アジアや東南アジアに渡って娼婦として働いた日本人女性を指す言葉です。そのほとんどは、13歳から18歳までの少女たちです。

貧しい農家の娘たちが親に売られ、あるいは海外に出れば稼げるという甘言にだまされて連れ出され、シンガポールや中国・香港・ボルネオ・タイ・インドネシア・フィリピンなどに運ばれました。

当時のアジアは欧米の植民地とされており、欧米の軍隊からは日本人の娼婦を求める声が強かったためです。アメリカやイギリスをはじめ、本国では娼婦を禁止しておきながらも、植民地では長きにわたって公娼制度が維持されました。強い軍隊を駐留させるためには、公娼制度を温存することが重要とされたためです。

ちなみにフィリピンにおいては、米軍基地目当ての売春宿や性病検診と登録制が1990年代になっても廃止されませんでした。

良い出稼ぎ口があると連れてこられた少女たちの大半は、娼婦として働かなければならないことを現地に着くまで知りませんでした。しかし、借金に縛られているため逃げることもできません。もし逃げ出したら借金を親元に請求すると脅され、娼婦として客をとらされたのです。

全部で何名のからゆきさんたちが海を渡ったのかは不明ですが、一説によるとその数は20万とも30万ともいわれています。

彼女たちの多くは風土病やマラリヤ・性病などに倒れ、故国の土を歩踏むことなく二十歳前後で命を落としました。貧しさが生んだ悲劇です。その悲劇は今も性的虐待を受けている一部のフィリピン人エンターテイナーとも重なります。

- フィリピンでの出稼ぎに道を開いたベンゲット道路の難工事 -

20世紀初頭のフィリピンは、日本人労働者の主な出稼ぎ先でした。その歴史は、避暑地として有名なバギオの道路建設からはじまります。

ルソン島中部のパンパンガ・デルタからバギオ市を結ぶ標高差千五百メートルを駆け上がる古道はベンゲット道路、あるいはケノン道路と呼ばれています。有料区間の33キロは見通しの利かないカーブの連続です。剥き出しになった岩肌の間を縫うように続いている道路が人力だけで切り開かれたと聞き、驚かずにはいられません。

地元の人と話し込んだ際、筆者が日本人とわかると決まって出てくるのがベンゲット道路の話でした。地元の人たちは、この道路が日本人によって作られたことをよく知っています。

ベンゲットの道路工事は「言語に絶する未曾有(みぞう)」のものであったと、当時の記録には綴られています。世界に誇るアメリカの優秀な技術と巨額の費用、千人を超える労働者が駆り出されたベンゲットの道路工事は、着工から3年が過ぎても開通の見通しがまったく立たないという状況でした。

そこで、工事責任者のケノン少佐は最後の切り札として、日本人労働者を招く決断を下します。アメリカ本国で日本人移住者がなにもない荒野を開拓して花園に変えて見せた手腕を、ケノン少佐は高く評価したからです。

「日本人があらゆる仕事の分野において他国人より優秀なる点、特にそのいかなる困難をも恐れざる勇気とたゆまざる忍耐力に着眼し、未曾有の難工事ベンゲット道路の開墾は日本人をおいては成就しがたしとの結論を下し……」と、植民協会報告書に綴られています。

道路を作るには断崖絶壁を切り開いていくよりなく、邦人労働者は日本人としての名誉を賭して、この難工事に命をかけて挑みました。毎日のように邦人労働者の誰かが谷底深くに姿を消していきました。山崩れのために一度に十数名が生き埋めにされることも、幾度かありました。

日本で待っている家族に送金するため、彼らは命を危険にさらしてまでも作業を続ける必要があったのです。砂を噛むような非栄養的な貧弱な食料、衛生設備の不備など、さらに輪をかけて労働環境は最悪でした。

4年が過ぎた1905年1月、ベンゲット道路はついに完成しました。この工事に従事した邦人労働者1500名のうち、その半数の700名が工事中の事故、あるいは病に倒れ亡くなっています。

当時の記録には次のように綴られています。

かくの如く、ベンゲット工事は未曾有の難工事であり、近世日本植民史上の一大非惨事であり、国民的屈辱の歴史であったのだ。

「Ⅱアジア・オセアニア編」 今野敏彦・藤崎康夫共著 新泉社より引用

700名を超える尊い人命が失われましたが、彼らの死はけして無駄ではありませんでした。難工事を成し遂げる高い能力を日本人がもつことを示したことで、ダバオをはじめとするフィリピン各地へと邦人労働者は招かれるようになったのです。

日本にも貧しさゆえに海外に出稼ぎに出るよりなかった屈辱の日々があったことは、記憶に留めておきたいものです。

5.労働人口の移動は世界中で起きている

世界がグローバル化するなか、情報や商品・金融ばかりでなく、人の移動もまた盛んに繰り返されています。フィリピンは現在、世界最大規模の労働人口の送り出し国になっていますが、労働力の移動はなにもフィリピンばかりで発生しているわけではなく世界中で起きている現象です。

そこには一定の法則があります。労働力は常に経済力の弱い国から豊かな国へ流れる、という絶対法則です。経済的に豊かな先進国では、労働力の需要が常時といってよいほど発生します。一方、発展途上国は労働力が余ることが多いため、労働力の輸出に積極的です。両国の思惑が一致することで、労働力の移動は加速します。

水が高いところから低いところへ流れるように、労働力もまた経済的に弱い発展途上国から豊かな先進国へと流れていきます。その結果としてもたらされるのは、搾取と差別の構造です。

経済的な格差は、支配する者と支配される者、搾取する者と搾取される者、差別する者と差別される者の区別を鮮やかに線引きします。そうした構造は一般的に「植民地なき植民地主義」と呼ばれています。

今でこそ先進国の多くは植民地をもってはいません。しかし、領土を占領することだけが植民地主義ではありません。領土を支配しなくても、経済的に支配と被支配の関係にあれば、それはひとつの植民地主義と考えられています。

その意味では現在のフィリピンは、多くの先進国から「植民地なき植民地主義」のターゲットにされているともいえます。海外出稼ぎ労働者が多いことは、フィリピンにとってあまり好ましくない状態といえそうです。

先に紹介したように日本もまた、かつては労働力の送り出し国であり、数え上げられないほどの屈辱に耐え忍んできました。しかし、戦後の急激な経済成長により、今では労働力の受け入れ国に転換しています。同様なことは韓国もたどっています。

日本も韓国も国内で雇えない労働力を海外に送り出し、その間に国内に雇用を創出するための政策を施し、経済力が高くなる時機を待ちました。やがて時機が到来すると海外に出稼ぎに出ていた人々を一斉に呼び戻し、労働力を国内に還元することで今日の豊かさを築いてきたのです。

日本と韓国がたどってきた道を、フィリピンもまたなぞろうとしています。

次回は、フィリピン人海外出稼ぎ労働が国策として進められていることを紹介しながら、フィリピン経済がいかに海外就労者に依存しているかを見ていきます。

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ドン山本
アジア在中のジャーナリスト
タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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