第1部 2章(5/7)欧米列強はこうして植民地を支配した

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第1部 侵略か解放か?日本が追いかけた人種平等の夢

2章 白人による有色人種殺戮と略奪の500年

前回の記事の続きとなっています。前回の記事はこちらから。
第1部 2章 4/7 なぜアジアは狙われたのか?欧米列強のアジア侵略

2-10.アジア植民地支配の3段階

これまで見てきたように、白人によるアジア侵略は大航海時代にはキリスト教の布教を口実に行われ、18世紀以降は「文明化」という正義の旗印を立てて行われました。

しかし、欧米列強が植民地の争奪に明け暮れた原動力は、本国への富の還元にほかなりません。植民地支配の実態は宗主国と地域によって大きく異なりますが、おおよそ3つの段階にまとめることができます。

その1.第一段階 脅迫と殺戮による恐怖政治

第一段階は支配権を確立するための脅迫と殺戮です。東南アジアに栄えていた小国を征服するための手段は、そのほとんどが軍事力の行使でした。ヨーロッパ列強の植民地支配は、圧倒的な武力を背景とした恐怖政治とともに行われたのです。

その地域にとってはよそ者に過ぎないヨーロッパ列強が支配権を握るために、旧王族やその親族、取り巻きたちを一掃することは、ごく普通のことでした。

たとえば、3回にわたるイギリス・ビルマ戦争に敗れたビルマでは、昨日までの王城を刑務所として使うことで王室の権威を失墜させるとともに、国王と王妃、4人の王女をインドに追いやりました。

王位継承者第一位の王女は、すでに妻がいる兵卒に報酬代わりに与えられ、他の王女たちは最貧層に身分を落とされています。

旧支配者に屈辱を与えることで、大英帝国が新たな支配者として君臨することをビルマの人々に知らしめたのです。

引用:19世紀に起こったイギリスとビルマ王国の戦争

それでもなおイギリスの植民地支配に抵抗するビルマ人は多く、各地で反乱が起きました。これらの反乱を武力をもって鎮圧するために投入されたのは、すでに植民地支配されていたインド兵たちでした。

イギリスによる反乱鎮圧は過酷を極めました。反乱が起こった地方の指導者や有力者、関係者、さらには見せしめとしてその家族までが処刑されています。ビルマ人の団結と復興を呼びかける識者や国士も、その多くが殺されました。

逆らえば殺されるという恐怖を住民に植え付けることで、ヨーロッパ列強は植民地を思うがままに支配したのです。

その2.第二段階 多民族を利用した分割統治

植民地支配の第二段階は、植民地の分割統治です。宗主国であるヨーロッパ列強が恐れたことは、植民地となった住民たちが一丸となって自分たちに刃向かってくることでした。軍事力では圧倒的に勝るとはいえ、植民地の人口比率からすれば宗主国側の人口はごくわずかに過ぎません。

反乱を抑え、宗主国の意のままに住民たちを支配するために、ほぼすべての植民地で分割統治が行われました。植民地化された地域は、もともと統一国家ではなく小国が乱立していました。そのため、強引に一括りとして植民地化された地域は、はじめから多くの対立関係を抱えていました。

宗主国はこれらの対立を巧みに利用し、民族や現地勢力をわざと反目させて分断することで統治したのです。

先ほどビルマを例に「脅迫と殺戮」について紹介しましたので、今回もビルマでの分割統治を見てみます。ビルマの分割統治で利用されたのは、山岳地帯に住んでいたモン・カチン・カレン族です。ちなみにカレン族の一部は「首長族」と呼ばれている人々です。

イギリスはこれら山岳民族をキリスト教化してから都市に移住させ、主として警察と軍隊に配しました。さらに、仏教徒が多いビルマを解体するために、イスラム教徒のインド人を年間十万人単位でビルマに送り込んでいます。インド人は金融業を一手に担いました。

極めつけは華僑(かきょう=中国本土から海外に移住した中国人およびその子孫)の招き入れです。これによってビルマの経済は華僑に握られることになりました。

では、ビルマの主人であったはずのビルマ人はどうなったのかといえば、その多くが最貧層の小作人に甘んじるよりありませんでした。

植民地化した地域に異民族を移住させ、その異民族を介して先住民族を支配することは、イギリスのお家芸です。そうすることで住民の憎悪はイギリスではなく、異民族に向けられるからです。

植民地に、イギリスが自分たちの手先として送り込んだ異民族の多くは華僑でした。マレーシアでもオランダ支配下のインドネシアでも、同じ手口が使われています。

植民地になるまでは民族ごとに棲み分けされていたにもかかわらず、ヨーロッパ列強が植民地支配をたやすくするために異民族を大量に移住させたことにより、民族と宗教の対立は現在に至るまで東南アジア諸国を苦しめています。

東南アジア諸国はもともと多民族国家ではありません。無理やり多民族国家という構造を作り出したのは、ヨーロッパ列強による分割統治が原因です。

その3.第三段階 巧みな、なだめ政策

植民地支配の第三段階は「巧みな、なだめ政策」です。圧政を敷いているだけでは、現地の人々の我慢もいつかは限界に達します。そうなると反乱が起き、鎮圧に手こずることになります。

そこで宗主国は、鞭ばかりではなく飴も与えようとしました。多くの場合、自治や独立をちらつかせることが効果的でした。インドはイギリスから独立を認めるような発言を度々受けては、それを信じ、インドとはなんの関係もないイギリスの戦争に多くの兵士と資金を提供してきました。しかし、実際にインド独立が実現することは大東亜戦争前にはありませんでした。

上流階級だけに高等教育を授けることも、この段階ではよく行われました。植民地時代の上流階級とは、政府の役人など支配者である体制側についていた人々です。つまり、宗主国の手足となって働く人々です。

本国への留学も行われましたが、あくまで上流階級の子弟だけに許された特権です。一般の現地人が高等教育を受ける機会は、ほぼありませんでした。

ことに、あからさまな愚民化政策を推し進めたのはオランダです。オランダの植民地インドネシアでは、インドネシア人を無知蒙昧(もうまい)なままにしておく政策が300年以上の長きにわたって実行されました。

インドネシア人への初等教育はオランダによって制限され、多くの人々が読み書きや簡単な計算さえできない状況におかれました。そこには、インドネシア人はオランダ人に隷属するだけでよいのだから余計な知識はいらない、という人種差別が透けています。

オランダはインドネシア人が団結して反乱を起こすことを心底恐れていました。集会や団体行動は厳しく規制され、3人以上集まって話をするだけでも逮捕されました。もともとは小国が乱立していたインドネシアには複数の言語がありましたが、共通語を作ることさえ堅く禁じられたのです。共通語を介して団結されることを恐れたためです。

下手に教育を施せば、自分たちのおかれた状況が理不尽なものだと気づかれ、団結して反乱を起こされるリスクが生じます。植民地を失うかもしれないという恐怖が、オランダを愚民化政策へと走らせました。

しかし、極端な愚民化政策は内外から批判を浴びることになり、20世紀初頭にオランダは植民地政策を転換しました。それでも上級の学校に進むことができるのは、上流階級に属するほんの一握りの子弟だけでした。

その4.文明化の名の下に行われた愚民化

オランダほどの悪意をもって愚民化政策を進めたわけではないものの、結果的に愚民化を招いた植民地も数多くありました。たとえばインドです。

イギリスの支配を受けることで搾取され続け、インド人は次第に貧しくなっていきました。そのため、学校に通える子供たちが減り続けたことで、学校がどんどん閉鎖に追い込まれていったのです。

アメリカの宗教家チャールズ・ラッセルは綴っています。

「過去150年間英国は、国民教育において何等の措置を講ぜず、今日のインドにおいて読み書きしうる者は、英国侵入当時におけるよりも少ない。また、英国侵入前の方がインド人は富み栄えていたのである。1750年頃までインドの村落には必ず学校があり、人口の6割は読み書きができたのである。しかるに今日9割すなわち3億2千万が文盲であって、過去150年間読み書きし得た者の総数は2260万に過ぎない。かかる英国が果たしてインドを統治するに適するであろうか」

GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス」西尾幹二著(徳間書店)より引用

またスコットランドの社会主義者ケア・ハーディも次のように語りました。

「マックス・ミュラーの調査によれば英国の侵入前ベンゴール(ベンガル地方)に8千の小学校があり、全インドにわたり子供の読み書きを教えるところがあった。然るに今、それらはどこへ行ったのであろうか」

GHQ焚書図書開封10: 地球侵略の主役イギリス」西尾幹二著(徳間書店)より引用

イギリスの植民地となり貧苦に喘いだインドの人々は、初等教育さえ満足に受けられない状況に追いやられたといえるでしょう。

インドにおいても高等教育を受けられるのは、体制側にいた上流階級の子弟に限られました。たとえば、インド独立の父とされるマハトマ・ガンディーは、イギリス領インド帝国ポールバンダル藩王国の宰相の子です。

ヨーロッパ列強は「文明化」を口実に東南アジアを侵略しました。しかし、文明化にとって欠かすことのできない教育には、どの国も無関心、あるいは悪意をもって教育を遠ざけた実態があります。一般的には教育を遠ざける政策を「文明化」ではなく、「非文明化」と呼びます。

続きはこちら
第1部 2章(6/7)植民地化されたインドネシアとインドの悲劇

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ドン山本
タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。 その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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