前半ではフィリピン人が銀行口座にお金を入れない7つの理由を詳しく説明してきました。

後半では、フィリピンでも取り入れることが予定されている国民IDについてここで詳しく説明していきたいと思います。

4.国民ID制度の光と闇

その1.国民ID制度とは?

2018年8月6日、18歳以上のフィリピン人とフィリピンに在住する外国人に対して、一人ずつ番号を割り振り管理する「国民ID制法」にドゥテルテ大統領が署名したことにより、その実施が正式に決定されました。

国民ID制度は、実現のために300億ペソ(約600億円)もの予算が割かれる大事業です。この制度は、海外在住者を含めたフィリピン全国民と在住外国人に適用される予定です。

対象者には身分事項の登録が義務づけられ、登録後に12桁の番号が記された国民IDカードが発行されます。ここまでは日本で導入された「マイナンバー制度」に似ていますが、フィリピンでは名前・性別・誕生日・生誕地・住所・国籍や携帯電話などの連絡先(任意)・顔写真に加え、さらに目(虹彩)のスキャンと指紋も登録しなければなりません。

顔写真・虹彩・指紋の登録が目指しているのは、生体認証技術に基づく個人の識別です。これらの情報はフィル ID(Phil ID)と呼ばれる単一の国識別システムに組み込まれ、国民IDカードに紐付けられます。

その2.国民ID制度はどう役立つのか?

先にもふれた通り、現在フィリピンには30種類以上の公的身分証明書(IDカード)が存在します。公的機関や民間の各種サービスを利用する際にIDカードの提示が求められますが、その際、IDカードの種類が多すぎるために確認作業だけでも膨大な時間と労力が必要でした。

また、IDカードのなかには安全対策がもろく、偽造が容易なために詐欺に悪用されるものもあり、セキュリティ上の問題が以前から指摘されていました。

国民ID制度の導入により、政府は今後、公的身分証明書を国民IDカードに統一する意向を示しています。これによりセキュリティ上の問題がクリアされるとともに、事務手続きの簡素化が図れるため、役所などの公的機関を利用した際の待ち時間の短縮が期待されています。

フィリピンでの役所仕事の遅さは、日本とは比べものになりません。たとえばクルマの免許証にしても申請者があまりに多いため、申請してから発行までに半年から1年ほど待たされることがあります。

こうした事務手続きの緩慢さは、汚職がはびこる温床になっています。半年や1年も待たされるよりは、賄賂(わいろ)を渡すことで発行までの期間を短くしようと考える人が後を絶たないからです。

ドゥテルテ政権が国民ID制度の導入を決めた背景には、「汚職をなくしたい」との思いも絡んでいます。

公的身分証明書が国民IDカードに統一されることで、銀行口座を新たに開く際に必要な書類にしても国民IDカードのみで足りることになります。

これまで貧困層はIDカードを作るための手数料さえ用意できずに困っていましたが、国民IDカードは無償で提供されるため、誰でも持てます。

つまり、銀行口座を新設する際に必要な証明書を、フィリピン国民であれば誰でもすぐに提示できる、ということです。

これにより口座を開くためのハードルは、一段と低くなったといえるでしょう。

国民IDカードの発行は2019年に500万人、2020年までに2600万人を予定しています。2023年までには海外在住のフィリピン人にも発行され、2025年にはすべてのフィリピン人と在住外国人に Phil ID が割り当てられる見通しです。

しかし、国民ID制度には手放しで歓迎できない闇の部分があることも指摘されています。

その3.国民ID制度に隠された闇とは

- 監視社会の恐怖 -

日本でも「マイナンバー」制度が導入されたときには、情報流出の恐れとともに国家が国民を一元管理する管理社会の怖さが取り沙汰され、活発に議論されました。

フィリピンで始まる国民ID制度についても、同様の恐怖が指摘されています。顔写真ばかりでなく虹彩や指紋まで登録されるとなると、日本の比ではない管理社会が到来する可能性があるだけに、専門家の間で物議を醸しています。

コンピュータを介した生体認証技術は今、その精度を急ピッチで上げています。近未来を描いたSF映画などでは、街中の至る所に設置された監視カメラが捉えた映像をコンピュータが
解析し、誰がいつどこでなにをしたのかを記録するシーンをよく見かけます。

生体情報を含む国民ID制度の導入により、そのような徹底した管理社会を政府がその気になりさえすれば実現できる下地が、整うことになります。

そうすることで犯罪の抑止に繋がることは歓迎すべきことですが、その反面、プライバシーの観点から問題があることもたしかです。

さらに国民ID制度で問題とされているのは、IDカードを使った詳細な履歴が記録として残されることです。

単に本人確認だけを目的とするのであれば、もとより履歴を残す必要はありません。では、なぜあえて履歴を残すのでしょうか?

政府は透明性を確保するためだと説明しています。IDカードを使った申請がきちんと行われたかどうかを本人が確認する上で、履歴は必要だとの論です。

しかし、履歴を残すことは国民ID制度が制定された目的を越えていると、専門家は苦言を呈しています。身元確認を簡素化することを目的に国民ID制度の法制化が進められています。その目的を達成するために、履歴を残す必要は一切ありません。

技術および権利擁護団体メディアオルタナティブ財団(FMA)の法律およびポリシーアドバイザーであるプライバシー弁護士ヤム・ヤコブは、履歴を残すことが「データ監視」の道を開くかもしれないと警告しています。

もしかすると国民ID制度の導入により監視がデフォルトになる社会が、フィリピンに訪れるかもしれません。

- 監視社会はなにをもたらすか -

国民ID制度の施行に伴い、具体的には次のような個人情報が蓄積されていくと考えられています。飛行機や船でいつどこへ移動したのか、クレジットカードを使って購入した物品やサービスのすべて、政府機関に何を請求したのか、送金センターを通じて誰にいくら送金したのか、学校の入学・卒業の記録、務めた会社や仕事の履歴、通院や入院・手術についての記録、所持している銀行口座の記録等々……。

これらは予想されているデータのほんの一部に過ぎません。実際にはもっと多くの情報が集められ、蓄積されていきます。あまりにも多くの個人情報が一元管理されるだけに、不安を拭えません。

データプライバシー弁護士のセシリア・ソリアは、履歴を残すことで「実際には一人ひとりの関係書類を作成しようとしている」としか思えないと語っています。

「それは単なるデータではありません。データからは個人の信念や信条、性格さえも洞察できます」

ソリアの指摘は、けして大げさとはいえません。蓄積されたデータからは、個人の思想さえもある程度浮かび上がってきます。

こうしたデータを、もし政府が反体制派のあぶり出しに利用しようと思えば十分に可能です。

フィリピンにはかつて、マルコス大統領が政敵や反体制派を恣意的に弾圧した歴史があります。この先、同じようなことをしようとする大統領が現れないとは、誰にも断言できません。

その際、国民ID制度によって蓄積された履歴が悪用されるとなると、事は重大です。国民ID制度については十分な議論を尽くした上で、法制化を進める必要がありそうです。

- 国民ID制度が招く未来とは -

アロヨ政権下など過去にも国民ID制度の導入が検討されましたが、反対の声が強く実現には至りませんでした。

しかし、高い支持率を誇るドゥテルテ大統領の下で、国民ID制度はついに実施される運びとなりました。

2018年の8月初めに、民間調査機関による国民ID制度の導入についての世論調査が行われています。その結果は賛成が73%にも上っています。

反ドゥテルテを掲げるマスコミは盛んに国民ID制度に反対する動きを見せましたが、賛成票の多さはドゥテルテ人気が健在であることを示しています。

国民の多くが国民ID制度に賛成したのは、それが貧困層にとっての救済に繋がるからこそです。

2018年3月、 国家社会経済長官のアーネスト・ペルニヤは「このシステムは、特に貧困者や取り残された人々に機会を開き、公共サービスの提供をより効率的にするだろう」と述べています。

これまでIDカードを一枚も持てなかった貧困層にとって、国民ID制度は彼らと行政をつなぐ架け橋です。銀行口座にしても、マイクロファイナンス専用口座にしても、無償配布された国民IDカードによって、その開設手続きは簡素化されます。

口座を開きやすくなることで多くの貧困層が行政とつながることになり、救済を受けられる可能性が広がります。

果たして国民ID制度が導く未来は、貧困の連鎖が少しでも解消された社会でしょうか、それとも政府による極端な監視社会でしょうか?

今後の成り行きが注目されます。

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