転職を決意
欧州の会社に株を買われ、いきなり外資系になった田舎の工場で翻訳の仕事をしていた私でしたが、1年もすると「このままあまりレベルの高くない翻訳の仕事をしていていいのかなぁ。もっとチャレンジしがいのある翻訳の仕事がしたいなぁ。」と思い始めました。
というのも前回書いたように、工場見学用の説明文を英語に翻訳し、それにカタカナでルビを振るというような事ばかりしていると「他の会社で翻訳業務に携わっている人は、もっと本格的な翻訳をしているんじゃないか?」という疑問が湧いてきて「このままここに居ても成長はないような気がする」と感じてしまっていたのです。
あんなに最初は感激した翻訳の仕事だったのに、慣れてしまうと感激も薄れ、仕事面での不満も出てきました。翻訳事務の仕事で入社したのに、緊急時は工場の作業や雑用なども手伝わされたりするのも不満でした。
それに一時期よりも翻訳の仕事が減り、購買の事務のお手伝いの仕事がメインになって来たのも不満な気持ちに拍車をかけました。
そんなことを常々考えていたある日、TOEICのIPテスト(公開テストではなく、企業や学校などで行われる団体でのテスト)で自己ベストスコアである770点を取得しました。
これがきっかけとなり、私は転職を決意しました。というのも派遣会社の翻訳の求人情報では、どこもすべてTOEIC700点以上というレベルが求められており、それを70点超えている自分は「きっとどこかに雇ってもらえるに違いない」と思ったからです。
まぐれで取れた点数!?
ただ私が770点というスコアを取れたのは実力ではなく、ほぼまぐれでした。その理由を説明する前にTOEICのIPテストについて説明させて下さい。
IPテストというのは、厳密には正式なスコアとしては認められないようです。(ただし、現在多くの企業ではIPテストで入社や転職は可能)
もちろんちゃんとしたTOEICテストであることには間違いはないのですが、試験監督を会社の総務の人が担当したりなどで、正式にETSから派遣された人が任されるわけではありません。
そういう面からも各団体にテストの運営方法が任されており、見張りが付くわけでもないので、適当な管理がまかり通っている場合もあります。(もちろんきちんと運営されている団体がほとんどでしょうが、適当な団体も全くないとは言い切れませんし、その数がどれ位あるのかを把握する方法もありません)。私が受験したIPテストはかなり適当でした。
TOEICのIPテストに関するちょっとしたエピソード
TOEICテストは、リスニング・セクションが45分、リーディング・セクションが75分で、合計2時間のテストです。
私が受けた時は、平日の業務終了後の午後6時からテストが行われましたので、終了時刻は午後8時のはずでした。しかし総務の試験監督のおじさんが、テストを早く終わりにして自分が家に帰りたいからという理由で、8分も早い7:52に「はい、終わりです」と終了を告げたのです。
時間配分が命のリーディング・セクションで8分も早く終了される事は死を意味します。私は声を荒げて「そんなのおかしいです!あと8分あります!」と抗議しました。
その勢いに押されたおじさんは、「ごめんね~。そうだったね。」と言って、8:08まで終了時刻を延長してくれたのです。8分も延長してくれたのです。
これを読んだ方は「そんなのウソだ~。話を盛っているでしょ。」と言う方もいるかもしれませんね。しかしこれは正真正銘の事実です。事実のみを書いています。
そういう訳で私は普段のテストよりも8分も長く時間を与えられたお陰で、パート7の塗り絵(答が分からない部分のマークシートを適当に塗りつぶすこと)が5問程度減りました。これで10点~25点程度スコアが上がったと思われます。
更にもう一つ幸運が重なりました。IPテストでは過去の試験問題が使いまわしされる、と言われています。それが一部なのか、全部なのかは私は分かりません。
しかし私が受験したこの回では、3か月前に受けたIPテストのパート7の長文問題の中に、全く同じ問題1問ありました。たったの3か月前のことですから、内容はしっかり覚えています。
そういう訳で使いまわしの問題に関しては、ほぼ読解する必要が無く解けてしまいました。これで5分程度時間が有効活用出来たことになります。
このような偶然と幸運が重なり、私は770点という点数を取る事ができました。上記のような事が無く普通の公開テストであれば、せいぜい730点程度しか取ることは出来なかったと思います。
正社員として転職の難しさ
思ったより高得点を取る事が出来たので早速、転職先を探すために派遣会社に登録に行きました。
英語関係の翻訳・通訳という仕事は、東京ならいざ知らず、地方ではほとんどが派遣社員です。正社員での募集は稀です。
肩書きや安定よりもとにかく「ちゃんとした翻訳の仕事がしたい」と熱望していた私は、迷わず派遣の道を選びました。この時結婚しており、夫が居たので派遣という決断が簡単に出来たのだとは思いますが・・・。これで一家を背負う男性の立場だったらこうは行かないでしょうね。
だから「英語だけできても食えない」と言われてしまうのでしょうね。
「TOEICの点数が高い人は年収も高い」と一般的には言われていますが、それは正社員に限ります。正社員でなおかつTOEICの点数が高ければ鬼に金棒です。
派遣会社からの仕事の紹介
さて派遣会社からは、1週間もせずにすぐ仕事の紹介がありました。
「ある上場企業の製造メーカーで翻訳の仕事があります。品質マニュアルなどの翻訳の仕事です。前任者が妊娠して退社するのでその後任としていかがですか?」と言われたのです。
「なかなかいい仕事だぞ」とは思いましたが、その会社が家から車で40分程度かかることもあり「ちょっと遠いのが気にかかります。」と言いましたが、、、、
派遣会社の営業さんは「まあ、そんなこと言わずに面接だけでも受けて下さいよ。いい話ですよ。お願いします。」と熱意&強引さを見せてきたので、とりあえず面接に行くことになりました。
面接もあっけなく30分位で終わり、「是非来てください。」とその場で入社が決まりました。前回の記事で「英語の仕事は正社員ならいいけど、派遣だと報われない」というような事を書きましたが、実際はそうでもありません。
英語が出来ると派遣社員でも強い!
派遣社員でも英語が出来るとかなり優遇されます。「派遣社員の定年は35歳」という話を聞いた事はありませんか?事務系の派遣社員は35歳を過ぎると一気に仕事の紹介が無くなり、職にあぶれる、というのが理由です。
これは100%真実ではありませんが、かなり良いポイントをついていると思います。
しかし英語が出来ると(TOEICの点数がある程度あれば)派遣社員35歳定年説は適用されません。
事実、私が初めて翻訳の仕事を紹介されたのが、33歳の時で、それから10年以上たちますが、途切れることなく仕事を紹介されています。もうすでに40歳を過ぎていますが、いまだに数社から仕事を定期的に紹介されます。
そんなわけで、私は前の仕事を退職してからのんびりするヒマも無く、次の会社に入りました。
ここではある機械をアメリカの会社と共同で製造しており、それを日本の団体に納めていました。アメリカの会社で書かれた英文マニュアルを訳したり、日本のエンジニアが書いた和文マニュアルを英訳したりというのが、今度の私の仕事でした。
しかしそれだけではなく、マニュアルに載せるイラストも修正したりするのも仕事の一環でした。
職場が変われば、環境も変わる
仕事をするにあたってまず驚いたのが、「社員の質が前の職場と全然違う」ということでした。前職では気のいい田舎のおじさんというような人がほとんどで、良く言えばアットホームでしたが、「仕事が出来る・優秀」という感じの人は少数でした。
しかし今回の職場は東大卒、京大卒、アメリカの大学院卒、という人達がおり、言葉づかいからして違いました。私にものを頼む時も丁寧な言い方で依頼してくれました。
頭が切れていかにもエリート、と言う感じの人が多数いました。またアメリカから来ている駐在員の方が何人かオフィスにおり、英語が日常的に飛び交う環境でしたので、「ついに私も国際的な職場で働けるようになったんだ!」と感激もひとしおでした。
翻訳の仕事
仕事の翻訳の内容ですが、今思えばそれほど難しいものではありませんでした。(その頃は英語力が今ほど無かったので難しいと感じていましたけどね)。
まず日本語で書かれたマニュアルの文章を私のような派遣社員が訳します。それを日本人で英語が出来るエンジニアの正社員が修正します。これが手順でした。
ですからそれほど専門用語を知らなくても対応が可能でした。ある程度の英語の文法や単語が分かっていて英文を作る事が出来れば何とかなりました。
それにこの頃はまだ2009年のリーマン・ショック前で、企業がたくさんの派遣社員を雇う余裕がありました。ですから私のような翻訳担当の派遣社員が同じフロアだけでも10人程度もおり、一人一人の翻訳の分量も莫大ではありませんでした。
しかしリーマン・ショック以降、派遣社員はほとんど契約を切られた、と風のうわさで聞きました。その頃私はすでに外資系の会社に秘書として転職していたので、現場ではどんな混乱があったかは分かりません。
専属の通訳人への憧れ
マニュアルの翻訳だけでなく、英語があまり得意でない社員さんのメールの内容を和訳/英訳したり、海外から毎日届く技術情報を所定の人達に転送する業務もしていました。
日頃は残業することもそんなになく、せいぜい月に10時間程度でしたが、マニュアルの翻訳の〆切が近づくと毎日2,3時間以上は残業し、時には夜の11時近くまで残って働きました。
また「〆切までに訳が終わるかどうか」というプレッシャーで、夜良く眠る事が出来なくなった事もあります。前職よりも国際的な職場で優秀な人達に囲まれて充実はしていましたが、仕事内容は濃くなりました。
同じフロアにアメリカから来た5,6人の駐在員がおり、彼らとは日常的に顔を合わせる機会がありました。日本人の社員さん達は、高学歴とはいえ、理系ですのでみんながみんな英語が出来るわけではなく一部の人が英語が堪能、という状態でした。
そこで専属の通訳の女性が雇われており、私はその方に猛烈な憧れを抱いていました。トイレや休憩室で彼女に会う度に「いいな、素敵だな。私もあの方のように通訳が出来るようになりたい。」と毎日毎日思っていました。
そしてそんな私の想いが届いたのか、彼女とお昼ご飯を一緒に食べる事が出来るようになったのです。お昼を食べながら、彼女のしている通訳のこぼれ話や、アメリカと日本との文化の違いや、アメリカ人についてのうんちくなどを聞くのが楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。
彼女から貪欲に何でも吸収するつもりで話を聞いていました。私の一番幸せな時間でした。
入社して1年ほどたつと、アメリカ人と日本人のエンジニアの間の簡単な通訳を週に1回程度ですが任されるようにもなりました。
通訳が上手に出来る自信はありませんでしたが、「このチャンスを逃したくない!」という一心でした。この体験により「私は今後、翻訳よりも通訳をしていきたい」という気持ちが固まっていくのでした。
「パートの翻訳業務からスタート(2/4)」~英検3級の契約社員から外資系の役員秘書になるまで~
「通訳業務への道を切り開く(3/4)」~英検3級の契約社員から外資系の役員秘書になるまで~(今回の記事)
「プライドを引き裂かれた通訳の仕事(4/4)」~英検3級の契約社員から外資系の役員秘書になるまで~