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留学マナビジンarticles【独裁者マルコス③】ドゥテルテ大統領はマルコスと同様、戒厳令に踏み切るのか

【独裁者マルコス③】ドゥテルテ大統領はマルコスと同様、戒厳令に踏み切るのか

マルコスはなにを残したのか?

https://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/123664-recovering-marcos-ill-gotten-wealth-30-years
https://www.rappler.com/newsbreak/in-depth/123664-recovering-marcos-ill-gotten-wealth-30-years

マルコス一族が去ったマラカニアン宮殿には、イメルダの靴1230足のほか洋服6673着、山のような香水や鞄などが残されていました。

イメルダ夫人の度を超した贅沢は、国民に反感を植え付けるに十分でした。フィリピンでは一足の靴さえ買えずに、裸足で歩いている子供たちが大勢いたのです。

庶民の暮らしとはあまりにかけ離れたその贅沢な暮らしぶりは、フランス革命の際、マリー・アントワネットが一片のパンさえ買うことができずに空腹を抱えている国民に対して「パンがなければケーキを食べればいいのに!」と、無邪気に語ったことを思い出させます。

マルコスは亡命から3年半後の1989年9月、失意のうちに世を去りました。72歳でした。

マルコスには明らかに二つの顔がありました。一時期、マルコスはフィリピンの支配構造を変えることで、貧困にあえぐ人々を本気で救おうとしたことがあったのかもしれません。少なくとも政権初期においては、国の行く末を心配する気持ちがあったように思えます。

アメリカを手玉にとり、米軍基地をおくことやベトナムへの派兵を餌に、巨額の資金を引き出すことにも成功しています。

しかし、国を思う気持ち以上にマルコスを捉えたのは飽くなき権力欲でした。マルコスは一度握った権力を手放そうとはしませんでした。金銭への執着やクローニーを優遇したことは、マルコスの負の遺産です。

マルコスの圧政下で多くの犠牲者が出た。犠牲者の写真を前に佇む司祭。
マルコスの圧政下で多くの犠牲者が出た。犠牲者の写真を前に佇む司祭。

マルコスは20年間で50億ドルから100億ドルもの不正蓄財をしたと見られています。ただし、マルコス自身は贅沢な暮らしとは最後まで無縁でした。イメルダ夫人の印象が強いため、マルコスにも庶民離れした王様のようなイメージがつきまといますが、実際は異なります。

マルコスの私生活は極めて質素であったといわれています。食においても贅沢を嫌い、庶民となんら変わらない質素な料理を好みました。故郷の料理であるイロカノ料理を、もっぱら手食で食したとされています。

マルコスは酒も飲まず、タバコも吸いません。衣服にもほとんど金をかけませんでした。大統領になってからも、故郷で暮らしていた頃となにひとつ変わらない質素な暮らしぶりであったと伝えられています。

マルコスは、ただ権力を維持するためだけに金を使ったのです。

一族やクローニーを重用したことはたしかですが、同じことはフィリピンの歴代大統領の多くがやってきたことであり、問題はフィリピンに根付いた悪しき慣習そのものにあります。マルコスの場合は長期政権になったことで、より一段と腐敗が深刻化することになりました。

マルコスははじめて大統領に当選した後の就任演説で述べています。
「外部からの援助を期待することはできない。国家はわれわれの労働と奉仕・自己犠牲の量に応じてだけ、偉大になり得るのだ」

もし、マルコスが自分の言葉の通りに国家のために労働と奉仕・自己犠牲を貫いていたなら、フィリピンは大きく変わっていたかもしれません。

しかし、マルコスは国民に労働と奉仕・自己犠牲を強いたものの、いつのまにか自らはただ私腹を肥やし、権力の座に居続けることに腐心するだけになっていました。

マルコスが去った後、かつての支配層は再び権力を取り戻しました。結局のところ、スペイン・アメリカと受け継がれてきたフィリピンの支配構造は、マルコス政権による洗礼を経ても、なにひとつ変わってはいなかったのです。

コラソン・アキノが残したもの

農地改革の失敗とアシエンダ・ルイシタの抱える闇

https://newsinfo.inquirer.net/346517/cory-aquinos-legacy-remembered-on-her-80th-birthday-friday
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正義を求めるフィリピン国民の大きな期待を背負い、コラソン・アキノ政権がスタートしました。

コラソンは「マルコス政権とすべて正反対の政治を行う」ことを公約として掲げました。そうなると、コラソンの最大の政治課題は農地改革以外にありません。

コラソン政権下で「包括的農地改革計画(CARP)」が進められました。コラソンは語っています。
「主人と奴隷の時代は過ぎ去った。CARLは700万人の農民を貧困ラインから救うことになるだろう」

さらにコラソンはCARLの目的を「大多数の国民の正当な土地所有によって、フィリピン農業の莫大な潜在的富を解放することにある」と宣言し、この政策の実行に自信があることを強調しました。

マルコスにできなかった農地改革をコラソンであれば実現してくれるに違いないと、多くの農民が希望を託したのです。

しかし、フタを開けてみると、農地改革の対象となる土地はわずか176万ヘクタールに過ぎませんでした。土地を持たない農民は100万人以上もいるのに、これではとても足りません。

農民団体は不満の声を上げ、コラソンには本気で農地改革に取り組む気がないと非難しました。農民たちはコラソンに対して、「まずは『アシエンダ・ルイシタ』を解放せよ」と強く要求を突きつけました。

「アシエンダ・ルイシタ」は、コラソンの実家であるココファンコ家がタルラック州に所有する6449ヘクタールの大農園です。

実はCARLは、個人経営の農園と企業化されている農園とを別に扱っていました。「アシエンダ・ルイシタ」はいち早く企業化されていたため、CARLの対象外となっていたのです。

そのため国民は、コラソンが農地改革という国家のために必要な改革よりも、実家の財産を守るという私情を優先させたのではないかと、怒ったのです。

もともと「アシエンダ・ルイシタ」は、スペインの会社からココファンコ家が買い取った大農園です。その資金は政府の保証と融資で支払われましたが、その際ひとつだけ条件が付されました。

10年後には農園に住む小作農たちに土地を分配するという条件です。しかし、約束は守られませんでした。法廷から何度も約束の実行を命令されたため、ココファンコ家は農園を株式化することでこれを逃れたのです。

ちなみに大農園と聞くと、広大な農園がどこまでも広がっているイメージを抱きがちですが、フィリピンの大農園は桁が違います。

アシエンダ・ルイシタには製糖工場もあれば、学校や病院・ショッピングモール・ゴルフ場まで備え、農園で働く労働者とその家族2万人ほどが暮らすための設備が整っていました。つまり、大農園とは「国家のなかの国家」と呼ぶことがふさわしいような一種の王国と思った方が実状に近いのです。

大農園のなかではココファンコ家は王族同然であり、コラソンは幼い頃より王家の姫君として大切に育てられました。そんなコラソンに、自らの手で王国を壊すことなどできるはずがありません。

コラソンの農地改革を批判した農民運動が激しさを増していきました。1987年1月22日午後、マラカニアン宮殿入口のメンディオラ橋で1万5000人のデモ隊と国軍が衝突したそのとき、突然軍が発砲しました。

エドゥサ革命の最中でも起きなかった軍による民間人への発砲が、コラソン政権下で発生したのです。メンディオラ橋の虐殺です。死者13人、負傷者多数を出す大惨事となりました。翌1988年2月10日にもルパオの虐殺が起き、17人が命を落としています。

コラソンが軍の指揮権をしっかりと握っていないために起きた大惨事とされていますが、なにかと不穏な噂があることも事実です。

メンディオラ橋の虐殺 https://kahimyang.com/kauswagan/general-blogs/1732/the-mendiola-massacre-of-january-22-1987-under-the-administration-of-president-corazon-aquino
メンディオラ橋の虐殺 https://kahimyang.com/kauswagan/general-blogs/1732/the-mendiola-massacre-of-january-22-1987-under-the-administration-of-president-corazon-aquino

アシエンダ・ルイシタの農地解放を巡っては、コラソンが大統領でなくなったあとも、フィリピンの闇の部分として問題を残しています。2004年11月16日には、アシエンダ・ルイシタの虐殺が起き14人が亡くなっています。

アシエンダ・ルイシタでストライキを指導した人物や農民を支持した司祭や市議が何者かに暗殺され、数百人に上る関係者が行方不明になっているとも言われています。

アシエンダ・ルイシタの農地改革に手をつけた者は消されるという闇は、今も続いています。

結局のところコラソンは、議会に占める地主勢力や大地主・省庁間の対立に振り回され、妥協を重ねるよりありませんでした。わずかな配分用の農地をつくるだけで、農地改革は失敗に終わったのです。

優柔不断さが目立ったコラソン政権

https://bloomspresidents.wordpress.com/corazon-c-aquino-1986-1992/
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コラソンの経済政策は政府主導による経済開発を改め、逆に規制緩和などの自由化を推し進めるものでした。こうした自由化政策はコラソンの任期中に表だった成果を上げませんでしたが、コラソンの定めた路線を継承することでラモス政権下での経済成長へと結びついています。

しかし、その一方でコラソンの自由化政策は旧支配層を復活させる下地となりました。ロペス家など、マルコス政権下でつぶされた財閥の復興を、同じく財閥の出身であるコラソンは積極的に認めました。

政権転覆を図った国軍派によるクーデターが再三起きたことも、コラソン・アキノ政権を脅かしました。国軍派には自分たちこそが政権誕生の最大の功労者であるという自負がありました。しかし、コラソンは旧支配層を優遇するばかりで国軍派を軽んじているといった不満が、クーデターを引き起こしたのです。

ことに1989年12月に起きたクーデターでは、政府軍と反乱軍が市街戦を行うまでの騒動となりました。これを見かねた米軍が動き、反乱軍を威嚇(いかく)することでどうにかクーデターを抑えました。

このことは内外に、フィリピンがまだアメリカの半植民地であることを印象づけました。こうしたことに対する反発が強まり、のちにコラソン・アキノ政権下でアメリカ軍基地をフィリピンから追い出すことになります。

国民から大きな期待を寄せられた革命政権でしたが、コラソン・アキノ政権は大いに統治能力を欠いていました。反マルコス勢が寄せ集まった連立政権のなかで、政治的実績がなにひとつないコラソンが指導力を発揮することは最後までできませんでした。

コラソン自身が持つ優柔不断さも政権の足を引っ張りました。元側近は「難局では、いつも『みんなでよく話し合って』と決断を回避していた」と当時を振り返っています。なにか問題が発生すると「祈りましょう」がコラソンの口癖でした。

マルコス忠誠派や国軍改革派によって何度も起きたクーデター、武装共産主義勢力やイスラム勢力との和平交渉の失敗、さらに自然災害も追い打ちをかけ、コラソン・アキノ政権下でフィリピン経済は停滞しました。他のASEAN諸国が経済成長を遂げるなか、フィリピンだけが取り残され、国民の暮らしはいっこうに改善されるきざしがありませんでした。

コラソンは最後まで国民からの人気が高く、惜しまれつつ大統領の任期を終えました。その時点でフィリピンを眺めてみると、持てる少数者が持たざる多数者を支配するフィリピンの抱える不公平さは、マルコスの頃とさほど変わってはいませんでした。それがコラソンの残したものでした。

戒厳令で強権を敷いたマルコスにしても、熱狂的なピープル・パワーで迎えられたアキノにしても、フィリピンを変えることはできなかったのです。

2009年8月1日未明、コラソン・アキノは76歳で死去しました。アロヨ大統領は国葬にすることを申し出ましたが遺族はこれを断り、コラソンの遺体はマニラ郊外にあるニノイの墓に寄り添うように埋葬されました。

そしてドゥテルテが現れた

国民は強いリーダーを求めた

https://mole.my/duterte-likens-himself-to-hitler-wants-to-kill-millions-of-drug-users/
https://mole.my/duterte-likens-himself-to-hitler-wants-to-kill-millions-of-drug-users/
コラソン・アキノ政権以後もフィリピン経済は低迷を続けましたが、ラモス政権で持ち直し、コラソンとニノイの息子であるベニグノ・アキノ政権下で成長率6%を達成しました。

ベニグノ・アキノの政治手腕は高く評価されていますが、それでもインフラ政治は進まず、外資規制の緩和も財閥の根強い反発にあいできませんでした。農地改革も母親のときと同様に、抜本的な改革にはいたりませんでした。

フィリピンには息が詰まるような重苦しさが漂っていました。

いっこうに解決されない貧困の格差、国民の大多数が貧困にあえいでいる現実、財閥を中心とする一部のエリートによる支配……。

そんな行き詰まった空気のなか、国民が待ち望んでいたのは強いリーダーでした。だからこそ、ドゥテルテが大統領に選ばれたのです。

現状を変えてくれるかもしれないという民衆の期待を背負ってドゥテルテ大統領は登場しました。ドゥテルテはコラソン以来の熱狂的な歓迎を国民から受けています。

そのドゥテルテ大統領が今、もっとも強く押し進めている政策が麻薬の撲滅です。治安が回復すれば外資による投資を呼び込めるため、経済がさらによくなると期待されています。

圧倒的な支持率の高さからも明らかなように、国民の大多数はドゥテルテ大統領が始めた麻薬撲滅戦争を支持しています。一部で悲劇が起きていることはわかっているものの、こうでもしない限りフィリピンの治安が回復しないことを、国民は理解しているのかもしれません。

しかし、今年に入り、麻薬撲滅戦争は思わぬ展開を見せています。警官による韓国人の誘拐殺人事件が起きたことで、麻薬撲滅戦争は一時中断へと追い込まれています。

麻薬撲滅戦争、中断へ追い込まれる

デラローサ長官から事件についての報告を受けるドゥテルテ大統領 https://www.japantimes.co.jp/news/2017/01/30/world/politics-diplomacy-world/duterte-disbands-police-narcotics-units-tied-south-koreans-slaying-extends-drug-war/#.WNOBQjvyiUk
デラローサ長官から事件についての報告を受けるドゥテルテ大統領 https://www.japantimes.co.jp/news/2017/01/30/world/politics-diplomacy-world/duterte-disbands-police-narcotics-units-tied-south-koreans-slaying-extends-drug-war/#.WNOBQjvyiUk
2017年1月、衝撃的な事件が報道されました。昨年10月、「麻薬犯罪に関与している」との疑いで警官に連行されたまま行方不明になっていた韓国人男性が、マニラ首都圏ケソン市の国家警察本部内で警官に殺害されていたことが判明したのです。

この事件には現職の警官3人を含む容疑者8人の関与が明らかになっています。警官のなかにはドゥテルテ政権下で行われている麻薬犯罪捜査の担当者が含まれていました。

韓国人男性は麻薬とはなんの関係もなく、はじめから身代金をとることを目的に誘拐されたことがわかっています。その際、警官らは偽造された逮捕状あるいは捜査状をもっていたようです。警官たちは韓国人男性を車に乗せて誘拐したあと、警察本部内の駐車場に車を止め、韓国人男性を絞殺しました。

死体を巧妙に処理した後、韓国人男性の妻に身代金を要求。夫が生きていると思い込ませられた妻は、実行グループに500万ペソ(約1100万円)を支払っています。

この事件には韓国人暴力団が関与しているとされていますが、犯行グループの中心に麻薬捜査官がいたことで、麻薬撲滅戦争そのものの信頼性を大いに傷つけました。

汚職など警察内部の腐敗ぶりは以前から指摘されていました。今回、麻薬捜査にあたる警官自らが麻薬撲滅戦争を利用して誘拐殺人を実行したことは、これまでにも同様の犯罪が行われていたのではないかという疑いを内外に向けて強く印象づける結果となりました。
関連リンク▶ フィリピン麻薬撲滅戦争を徹底解説!【第一話】2016年の死者数とあふれかえる刑務所

1月29日深夜、ドゥテルテ大統領は会見を行い事件について謝罪するとともに、警察に対して「警官全員を浄化し、悪党のリストを提出しろ」ときつく命じました。

麻薬問題の根深さを甘く見ていたと語ったドゥテルテ大統領は、今年の3月までと期限を設けていた麻薬撲滅戦争を、大統領の任期が切れる2022年まで延長すると明言しました。

1月30日、フィリピン国家警察のデラローサ長官は韓国人男性の誘拐殺人事件を受け、警察による麻薬犯罪取り締まりを中断すると宣言しました。

当面は警察全体の浄化を優先し、「その後でまた薬物への戦いを再開できるかもしれない」と今後の見通しについて語っています。

今後は腐敗した警察官を取り締まるための特別な部隊を立ち上げるとデラローサ長官は発表しました。シンジケートに関わった警官たちは、この部隊に殺されることになると警告しています。

「すべてのごろつき警官よ、もはや麻薬との戦争は行っていないことを知れ。いまや、不届き者との戦争を行っている」

この会見から数時間前、デラローサ長官は麻薬犯罪捜査部門を解散しました。昨年、ドゥテルテ大統領の就任とともに行われてきた麻薬撲滅戦争の一時中断です。

麻薬の取り締まりは、フィリピン薬物取締庁に移管される見通しです。薬物取締庁はスタッフも少なく、警官のような強権ももっていません。

これまでのように、麻薬取り締まりのための殺人は行われないものと見られています。

デラローサ長官は麻薬組織に向けて言い放っています。
「これは束の間の勝利になる。今のうちに楽しんでおくがいい。必ず奴らにも年貢の納め時が来る」

また一方でドゥテルテ大統領は麻薬の取り締まりを今後、軍に移管する考えも示しています。

反ドゥテルテ勢力の巻き返しとデ・リマ上院議員の逮捕

https://cyprusdaily.net/2017/01/30/philippines-puts-anti-drug-operation-on-hold-to-tackle-rogue-police/
https://cyprusdaily.net/2017/01/30/philippines-puts-anti-drug-operation-on-hold-to-tackle-rogue-police/
麻薬撲滅戦争を中断に追い込んだことで、フィリピンでは今、反ドゥテルテ勢力が巻き返しに出ています。

トリリャネス上院議員はドゥテルテ大統領が数十億円の隠し資産を持っていると主張し、追求する構えを見せています。このような動きに対してこれまでは、ドゥテルテ大統領の支持率の高さに遠慮した議員たちが黙殺を決め込んできましたが、最近は少々雲行きが怪しくなってきました。

反ドゥテルテ勢力にも一定の支持が集まってきています。ドゥテルテ大統領にとって今は踏ん張りどころといえそうです。

反ドゥテルテ勢力が気勢を上げるなか、いま最も注目されているのがデ・リマ上院議員の逮捕劇です。

麻薬捜査本部の解散について、「麻薬捜査官が麻薬撲滅戦争という口実の下で不法な活動に関わってきたことを認めたも同然」といった趣旨の批判をしていたデ・リマ上院議員は2017年2月24日、違法薬物取引に関与していたとの容疑で逮捕されました。

上院から出るデ・リマ上院議員
https://www.nytimes.com/2017/02/23/world/asia/arrest-duterte-leila-de-lima.html
デ・リマ上院議員はこれから裁判に臨むことになりますが、有罪になると一生刑務所につながれる可能性もあります。

デ・リマ上院議員の逮捕を巡っては、政府と反ドゥテルテ勢力とで見解がまっぷたつに分かれており、両者の間の溝が深まっています。

政府は犯罪を犯したのだから逮捕は当然としていますが、デ・リマ上院議員が所属する自由党を中心に、「逮捕は政治的な報復にすぎない」として政府の陰謀だとする説も飛び出しています。

このあたりの経過については、「【第三話】ドゥテルテ大統領の失脚を狙う2人の女性政治家 その狙いとは?」で詳しく紹介していますので、ここでは軽く逮捕のあらましについて説明するに留めます。

デ・リマ上院議員はもともと人権派の弁護士として知られており、ドゥテルテがダバオの市長だった頃からすでに10年に渡り、殺人部隊である自警団とドゥテルテとが関係していることを追求してきました。

2016年の9月にはデ・リマ上院議員が委員長を務める上院司法人権委員会に、ダバオの自警団に属していたとするエドガー・マトバト氏を呼び、証言台に立たせました。そこでマトバト氏は、ドゥテルテ市長が麻薬犯罪者や政敵の殺害を自分たちに命じたと証言したため大騒ぎとなりました。

しかしマトバト氏の発言には矛盾も多かったため、フィリピン人のほとんどはこの証言を信じませんでした。「デ・リマ上院議員らが仕込んだでっち上げではないか?」との憶測も流れたほどです。

それでも、そのあとのドゥテルテ擁護派の動きを見ていると、逆に証言には真実が含まれていたのではないかと疑いたくなる節があることもたしかです。

マトバト氏が証言した直後に、議員多数の可決によりデ・リマ上院議員は人権委員会委員長の座を追われています。これによりドゥテルテの市長時代の犯罪疑惑はうやむやとなり、それと入れ替わるように浮上したのがデ・リマ上院議員の犯罪疑惑です。

デ・リマ上院議員はアキノ政権下で司法長官を務めていました。そのとき、ニュービリビッド刑務所内で行われていた麻薬取引にデ・リマ上院議員がかかわっていたとする告発が、内部より為されたのです。

問題は、デ・リマ上院議員を告発したのはハーバート・コランコを中心とする受刑者だったことです。そのため、政府と受刑者の間でなんらかの取引があったのではないかとの疑惑が取りざたされています。

つまり、ドゥテルテ側がデ・リマ上院議員を失脚させるために、犯罪をでっち上げたのではないかとの疑いです。

ハーバート・コランコは麻薬取引・強盗・誘拐事件を起こしてニュービリビッド刑務所に収監された犯罪者です。ですが刑務所内に音楽スタジオを作り、そこで自分で作った歌を録音して歌手デビューを果たしています。そのアルバムはフィリピンで売れまくり、プラチナレコード賞までも受賞しています。


刑務所内の音楽スタジオで収録されたハーバート・コランコの曲

デ・リマ上院議員が本当に麻薬取引に関与していたのかどうかは、今のところ不明です。逮捕直前にも「私は逃げも隠れもしない。すべての容疑に向き合い闘う」と涙ながらに語っています。

もっともデ・リマ上院議員には、なにかと悪い噂があることもたしかで、まったくの無実なのに犯罪者に仕立てられたとする彼女の弁明に対する国民の反応は、どちらかといえば冷ややかです。

デ・リマ上院議員の元運転手で愛人だったとされるロニー・ダヤン容疑者も、すでに逮捕されています。

デ・リマ上院議員は今年に入っても反ドゥテルテの気色を強め、マルコスを倒したエドゥサ革命に触れ「もう1人の独裁者と邪悪な政権に、私たちが勇気を持って立ち上がるべき時が再びやってきた」と、民衆蜂起を促すような発言もしていますが、それに呼応するような空気は現在のフィリピンではごく一部に留まっています。

逮捕された翌日の2月25日がエドゥサ革命31周年に当たるため、デ・リマ上院議員の逮捕に抗議するデモも行われましたが、参加者は千人ほどに過ぎませんでした。一方、同日行われたドゥテルテ大統領を支持する市民集会には、主催者側の発表では20万人ほどが参加しています。

ただし、ひとつ気をつけるべきことは、反ドゥテルテを掲げる政治家に「麻薬犯罪者」のレッテルを貼る手法は、かつて反マルコスを叫んだ政治家に「共産主義者」のレッテルを貼ったマルコスの手口によく似ている、ということです。

最近のドゥテルテの言動にはマルコス時代を思わせるものがあるだけに、権力の暴走に対しては警戒が必要でしょう。

ドゥテルテ大統領が推し進める超法規的殺人に関しては、海外からの批判も強まっています。欧州議会は今年3月16日にドゥテルテ大統領に対する非難決議を可決し、デ・リマ上院議員の即時釈放を求めています。

フィリピンの下院ではアレハノ議員が3月16日に、ドゥテルテ大統領の弾劾(だんがい)を求める訴状を提出しています。

逆風にさらされつつあるドゥテルテ大統領ですが、最近になって戒厳令にふれた発言をしたことで、周囲からさまざまな憶測を呼んでいます。

ドゥテルテ大統領が近いうちに、本気で戒厳令に踏み切るのではないかと心配する声も一部ではあがっています。果たしてどうでしょうか?

ドゥテルテ大統領は戒厳令に踏み切るのか

必要とあらば私は戒厳令を敷く

2017年1月14日の演説で戒厳令についての考えを明かすドゥテルテ大統領 https://www.aljazeera.com/news/2017/01/duterte-stop-declaring-martial-law-170115034431700.html
2017年1月14日の演説で戒厳令についての考えを明かすドゥテルテ大統領 https://www.aljazeera.com/news/2017/01/duterte-stop-declaring-martial-law-170115034431700.html
ドゥテルテ大統領と戒厳令を巡る噂は、就任以来たびたび繰り返されてきました。

2016年9月3日、ミンダナオ島のダバオで起きたイスラム過激派アブサヤフによる爆弾テロを受け、ドゥテルテ大統領は「無法状態宣言」をフィリピン全土に発令しました。

「無法状態宣言」をすることで軍や警察に、より強い権限が与えられます。具体的には従来までの捜査や捜索の範囲を広げることができ、検問や夜間外出禁止令も下せるようになります。

「無法状態宣言」が事実上の戒厳令ではないかと心配する声もありましたが、ドゥテルテ大統領は「戒厳令ではない」とはっきりと断じています。

しかし、昨年の12月にはルソン地方パンパンガ州での演説において、上下両院の承認を得ずに戒厳令を発布できるよう憲法を改正すべきとの見解を示しました。

マルコス政権での戒厳令に苦しめられたフィリピンでは、コラソン・アキノ政権下で新しい憲法が公布され、戒厳令を発令する条件をより厳しく改めています。

マルコスの時代には戒厳令を発令する際に議会の承認が必要ではなかったため、マルコスの独断で戒厳令を敷くことができました。

新憲法では大統領が戒厳令を宣言した後、48時間以内に国会に届け出て、承認を得なければならないとされています。また、最高裁は市民から申し立てがあれば、戒厳令が妥当かどうかを判断できるとしています。

ドゥテルテ大統領は他国からの侵略や戦争が勃発した場合には、すぐに戒厳令を発令する必要性があると説明し、憲法を早急に改めることを提案したのです。

これに対しドゥテルテ大統領と対立するロブレド副大統領は、「戒厳令と独裁政治再来の可能性は、フィリピン国民にとって最悪のクリスマス・プレゼントとなった。戒厳令発布の可能性に屈さず、国民の自由を守るため声を上げなければならない」と、改憲に真っ向から反対しました。

ところがドゥテルテ大統領は2017年1月14日夜の演説にて、麻薬を巡る問題が解決しないまま最悪な状態に至ったときは「必要とあらば私は戒厳令を敷くだろう。誰も私を止めることはできない」と力強く語りました。

戒厳令の目的は「フィリピン国民とこの国の若者を守ることだ」としています。

これまでもドゥテルテ大統領は戒厳令をほのめかす発言をしていますが、その直後に冗談だと否定してきました。憲法改正についてはふれてきましたが、戒厳令を敷く考えがあると明らかにしたことはなかったのです。

14日の演説ではじめてドゥテルテ大統領は、必要があれば戒厳令も辞さない覚悟があることを表明しました。

では、ドゥテルテ大統領が戒厳令に踏み切るのはどんなときでしょうか?

少なくとも麻薬撲滅戦争のためだけに戒厳令を敷くことはないでしょう。それは単なる表向きの大義名分に過ぎません。

もし戒厳令に踏み切るとしたならば、それはドゥテルテ大統領が本気でフィリピンを変革すると決めたときではないでしょうか。

貧困の格差をなくす方法とは?

https://thestagnantfilipino.com/2017/03/poverty-alleviation-in-the-philippines-a-purposely-ignored-issue/
https://thestagnantfilipino.com/2017/03/poverty-alleviation-in-the-philippines-a-purposely-ignored-issue/
ベニグノ・アキノの経済政策を受け継ぐことで、ドゥテルテ政権下でのフィリピンの経済成長率は7%を超える勢いにあります。しかし、それでもまだフィリピンの潜在的な経済成長率には及ばないと指摘されています。

たとえば、フィリピン外国人商工会議所連合は昨年、フィリピンの経済成長率は2018年から10%台を達成できるとの見通しを示しています。ただし、それにはある条件が付いています。「ドゥテルテ政権で外資規制の緩和を行い、インフラ整備などの経済改革を行うことができたならば」という条件です。

外資規制の緩和は、フィリピンに海外からの投資を呼び込むために絶対に必要と、以前から何度も指摘されてきました。

フィリピンの外資規制の状況は、東南アジアで最悪といわれています。さらに治安も東南アジア最悪であったため、フィリピンは海外投資を呼び込むことに完全に失敗しました。

フィリピン周辺のASEAN諸国が海外投資によって次第に発展していく様を、フィリピンはただ指をくわえて眺めることしかできませんでした。1960年代には東南アジアでもっとも豊かな国であったフィリピンが、いつのまにか東南アジアのお荷物として扱われるまでに転落したのは、海外投資の呼び込みに失敗したことが大きな要因になっています。

外資を導入することで工業を興すことができれば、大量の雇用が生まれ、貧困問題は解消に向かいます。周辺諸国に比べて給料を低く抑えられ、国民のほとんどが英語を話せるキリスト教圏のフィリピンは、外資を呼び込むための好条件がそろっています。

あとは規制を緩和して、治安を回復することさえできれば、外資は一斉にフィリピンに流れ込むと予測されています。そうなればインフラ整備も一気に進みます。

フィリピンでは未だに貧困の格差という大問題が横たわっていますが、実はそれを解決するためになにをしたらよいのかという道筋は、すでに示されています。

もちろん政治経済には様々な要因が複雑に絡み合うため、けして一筋縄ではないものの、問題の本質を明らかにするためにあえて単純化して示すならば、たったふたつのことを実行するだけで、フィリピンの貧困問題は解決します。

歴代の大統領は、それを十分に理解していました。

それは第一に農地改革であり、第二に外資規制の緩和です。農地改革で農民が土地を持てるようになれば、農村部の貧困問題は解決します。ただ農地を分配するだけに留まらず、実際に農業に従事できるように環境を整備することも必要です。外資規制については、すでに説明した通りです。

フィリピンの歴代の大統領は、何度も何度も農地改革と外資規制の緩和を行おうとしました。しかし、誰一人、これを成し遂げることができませんでした。

農地改革は大地主や地方有力者の勢力に阻まれ、外資規制の緩和は既得権益を握る財閥に阻まれ、すべて失敗に終わってきました。

たとえば直近ではベニグノ・アキノが、外資規制の緩和という聖域に挑みました。外資規制を緩和するためには憲法の経済条項を改正しなければなりません。そこでベニグノ・アキノは憲法を改正しようとしましたが、「憲法改正は大統領の任期延長につながるかもしれない。マルコス時代の圧政を許すな!」といった反対意見に押され、立ち消えとなりました。

その背景には、財閥の意を受けた議員らによる既得権益を守ろうとする動きがあったことは間違いありません。

これまでのフィリピンの歴史を見ていると、農地改革と外資規制の緩和は、もはや民主的なプロセスのもとでは不可能なのかもしれません。このふたつの聖域に手をつけようとしたジャーナリストや活動家の多くが、暗殺されたり行方不明になっているというフィリピンの現実は、日本などの民主国家ではあり得ない深い闇を抱えています。

農地改革にしても規制緩和にしても、それに抵抗する勢力は必ずあります。これらの抵抗を退けて断行するには、ある程度の強権が必要になります。

思えば日本で農地改革と財閥の解体が進んだのは、戦後GHQによって無理矢理に事が為されたゆえです。

農地改革や規制緩和、それに連なる汚職の追放などは、戒厳令下であれば一気に進む可能性があります。

ドゥテルテとマルコスやコラソンとの違い

https://news.abs-cbn.com/news/11/18/16/duterte-calls-for-forgiveness-after-marcos-burial
https://news.abs-cbn.com/news/11/18/16/duterte-calls-for-forgiveness-after-marcos-burial
これまでの歴代大統領のなかで、その気になれば農地改革を断行できる状況にあったのが、マルコスとコラソンです。マルコスは戒厳令による権力の一元化によって、コラソンは革命後の覚めやらぬ熱気によって、その気になれば改革を行えたと言われています。

しかし、マルコスは私腹を肥やすことに夢中になるあまり、そしてコラソンは大農園を有する実家に関連する利権を手放すことができず、いずれも失敗に終わりました。

では、歴代大統領と比べて絶大な人気を誇るドゥテルテ大統領はどうでしょうか?

ドゥテルテ大統領は、マルコスやコラソンとは対照的です。下院議員時代から不正蓄財の噂が絶えなかったマルコスとは異なり、ドゥテルテには清貧のイメージがつきまとっています。

権力を手にしても、不正や贅沢は一切遠ざけてきました。検事出身でもあるドゥテルテは、すでに市長時代から正義にこだわり、秩序を重んじてきました。安倍首相を自宅に招いた際も、大統領の住居とは思えない質素な住宅が、日本でも話題となりました。私利私欲を遠ざける姿勢は、ドゥテルテの庶民的な人気に一役買っています。

コラソンのような財閥や名家の出身でないことも、ドゥテルテ人気の理由のひとつです。フィリピンの政界は、財閥や名家の一族、あるいはそれらの息のかかった者ばかりが議員になるという矛盾を抱えています。

マルコスやドゥテルテのように、財閥や名家の一族でない者が大統領に駆け上がるのは、フィリピンでは珍しい例です。第13代大統領のエストラーダも中産階級の出身でしたが、数々のスキャンダルを抱えて政権を追われています。

つまり、ドゥテルテにはマルコスのようなダーティな噂もなければ、コラソンのようなしがらみも持ち合わせていません。純粋にフィリピン国民のために農地改革と規制緩和の大なたを振るうことが、ドゥテルテであればできると期待されています。

フィリピン国民が望んでいることは、持てる少数者のための政治ではなく、持たざる多数者のための政治です。不公平な社会を正す正義が実行されることを、ドゥテルテ大統領に託しているのです。

しかし、いくら国民から絶大な支持を受けているとはいえ、農地改革と規制緩和を実行することは、今のままでは難しいかもしれません。そこで浮上してくるのが戒厳令です。

フィリピン憲法7条18項は「侵略や反乱など国民の安全が脅かされた場合、大統領は戒厳令を布告できる」と定めています。

現行憲法では戒厳令に至る手続きを厳しくしたばかりでなく、戒厳令下でも憲法や立法議会の機能は維持されるとしています。また戒厳令の期間についても最大60日間と制限されており、延長するためには議会の承認が必要とされています。

ドゥテルテ大統領が戒厳令についての憲法改正に実際に手をつけるのかどうか、いま大いに注目されています。

これについてドゥテルテ大統領は、演説で次のように語っています。
「裁判所に口出しするつもりも、議会の権限を侵すつもりもない。だが、いずれ時期が来れば、戒厳令を簡単に発動できるだろう」

この言葉がなにを意味するのかは、不明です。

フィリピンに漂う夢のかけら

https://www.rappler.com/thought-leaders/120239-rodrigo-duterte-elections-2016
https://www.rappler.com/thought-leaders/120239-rodrigo-duterte-elections-2016
ドゥテルテ大統領がどのような思惑をもっているのかは、まだわかりません。現実に戒厳令が発令される可能性は低いと思われますが、麻薬撲滅戦争自体が民主主義の政権下では型破りな政策のため、「ドゥテルテ大統領であればあるいは!」と世界中から注目されています。

戒厳令が発令されれば、かつてマルコスが行ったようにドゥテルテ大統領は軍を通じて司法権を一手に握れます。逮捕状なしで市民の身柄を拘束したり、長期にわたって勾留できるようになります。

マルコス時代には戒厳令が悪用され、多くの無実の市民たちが不当に逮捕・拘留され、拷問・殺人・行方不明の犠牲者になったことは前述した通りです。

それでもマルコス政権下では当初、戒厳令は国民に歓迎されていました。

では、現在の国民はフィリピンに戒厳令が発令されることについてどう感じているのでしょうか?

民間調査会社が2016年12月に実施した世論調査によると、「戒厳令は必要ない」との回答が74%に達しています。9月に行われた同調査に比べると、戒厳令に反対する声は10ポイント増えています。

こうした世論からは、戒厳令を不安に思う国民が圧倒的に多いことがわかります。国民のなかにはまだ、戒厳令下でマルコスが行った暴政の記憶が息づいています。

国民から圧倒的な支持を受けているドゥテルテ大統領といえでも、国民の意思に逆らってまで戒厳令に踏み切るとは考えられません。ドゥテルテ大統領が麻薬撲滅戦争に見られるような強権を発動できたのも、国民の高い支持があったからこそです。

現状では国民の間に戒厳令を受け入れる余地はありません。戒厳令を敷いてまでもフィリピンの変革を求める強い機運が起こらない限り、戒厳令はありえないでしょう。

それでも、ニノイ暗殺事件がエドゥサ革命を引き起こしたように、なんらかの事件が起きれば、国民の意識が変わるかもしれません。

世界の歴史を振り返ってみれば、なんらかの突発的な事件が起きることで、やむなく戒厳令が敷かれることを繰り返しています。現在のフィリピンにその可能性がないとは言い切れません。

現にマルコス政権下においても、爆破テロや要人の暗殺事件を政府自らが作り出すことで戒厳令が発令されています。

そのような事件が偶然に、あるいは意図的に発生するのかどうかは、誰にもわかりません。

エドゥサ革命30周年記念日「黄色の紙吹雪」 https://thepoc.net/index.php/a-dying-democracy-the-rise-of-another-marcos/
エドゥサ革命30周年記念日「黄色の紙吹雪」 https://thepoc.net/index.php/a-dying-democracy-the-rise-of-another-marcos/
エドゥサ革命から31年の歳月が過ぎました。フィリピンのために帰国して凶弾に倒れたニノイ、権力の座にしがみついたマルコス、夫に代わって革命を成し遂げたコラソン……、エドゥサ革命の主役を務めた彼らは、もういません。

しかし、マルコスが国民に見せた夢のかけらは、今もフィリピンに漂っています。

持てる少数者が持たざる多数者を支配する矛盾、想像を絶する貧富の差、こうした不公正な社会をすべてぶち壊し、国民の大多数を占める貧しい人々が主役になれる新しい社会を築くと宣言したマルコスの夢は、今もフィリピンのなかに生き続けています。

それは今日でもまったく変わることのない、多くのフィリピン人にとっての切実なる願いです。

マルコスはそんな国民の期待を裏切り、国民に幻影を見せただけで終わりました。

でも、ドゥテルテであれば、あるいは……。

ドゥテルテ大統領はマルコスの落としていった夢のかけらを今、拾い上げようとしています。

(文中、人物の敬称は省略させていただきました)

参照書籍一覧

暗殺の壁画 石原慎太郎 (著) 幻冬舎
現代フィリピンを知るための61章【第2版】 エリアスタディーズ 明石書店
物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年  鈴木静夫著 中公新書
幻想と幻影の政治 マルコス1965 -1986 - 花崎泰雄著 埼玉大学紀要教養学部第40巻(第1 号)
フィリピンにおける民主主義への移行とその定着に関する総合的研究 -市民社会の政治力学に注目して- 五十嵐誠一著 早稲田大学大学院社会科学研究科地球社会論専攻 国際社会研究 国際関係論

参照URL一覧

Recovering Marcos’ ill-gotten wealth: After 30 years, what?:Rappler.com
Ferdinand Marcos:wikipedia
Ferdinand Marcos’ economic disaster:Rappler.com
Former Philippines dictator Ferdinand Marcos buried in Heroes’ cemetery:CNN
Daughter of former Philippine dictator Marcos urges forgiveness:Yahoo! News
Supreme Court: Marcos was not pure evil:Rappler.com
Former Philippines dictator Ferdinand Marcos is given a secret hero’s funeral more than 25 years after he died after new President Duerte paves the way for rehabilitation:DailyMail on Facebook
Marcos family holds vigil at ‘Libingan’; security forces brace for more protests:Manila Bulletin
WHEN MARCOS TOOK ON THE SUPREME COURT TO KEEP MARTIAL LAW LEGAL:ROGUE
What you didn’t know: Pro-Marcos propaganda too hip for its own good:Rappler.com
Top 10 Accomplishments of the Marcos Administration:pinoylist
Martial law is not just about Aquino and Marcos:Rappler.com
Ninoy Aquino: A fallen grain on tarmac bears fruit:inquirer.net
EXCLUSIVE! LAST WALTZ AT THE PALACE: THE UNTOLD STORY OF PEOPLE POWER:ROGUE
Countdown To The Revolution Part 2: The Election And Its Aftermath:Positively Filipino
First person account: The revolution was live:inquirer.net
Ferdinand Marcos: His last day at the Palace:CNN
The Mendiola Massacre of January 22, 1987 under the administration of President Corazon Aquino
Corazon C. Aquino (1986-1992)
Despite constitutional limits, Philippine president considering martial law if drug problem turns ‘virulent’.:aljazeera.

マルコス元大統領を英雄墓地に埋葬したがるドゥテルテの思惑:ニュースウィーク日本版
マルコス元大統領が英雄墓地埋葬へ、抗議デモも フィリピン:CNN
マルコス元大統領を英雄墓地に埋葬 フィリピン
Imee Marcos:Facebook
フィリピン政府、マルコス元大統領を埋葬 英雄墓地に :日本経済新聞
リー・クアンユーの常識外の発想がシンガポールの繁栄を築いた: DIAMOND on line
独裁政権の評価 高慢なマルコス上院議員:マニラ新聞
マルコス時代 批判の一方で再評価も:日本経済新聞社
エドサ革命とボンボン・マルコス:Huffington Post
独裁者、その最後の時 パート2  ハワイのイメルダ・マルコス夫人(千野 境子):日本記者クラブ
フィリピン: アシェンダ・ルイシタの虐殺についての緊急アピール
エドゥサ革命(EDSA革命)
ニイノ・アキノの死 渡部亮次郎
エドゥサ革命:wikipedia
緑の革命:wikipedia
緑の革命を受け入れた国 フィリピン
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もったいなさと何もしない美徳 アキノ大統領の6年:Huffington Post
フィリピン:「麻薬戦争」での警察による殺害 独立調査が必要:ヒューマン・ライツ・ウォッチ
「アジアの病人」の目覚め フィリピン:日経ビジネス
ドゥテルテ比大統領が「無法状態宣言」爆弾テロ対応で“超強権”発動か:産経ニュース

フィリピン、麻薬撲滅戦争を一時停止:BBC
ドゥテルテ大統領、麻薬犯罪の取り締まりを中断 韓国人誘拐殺人が引き金:Huffington Post
フィリピン警察長官「ごろつき警官と戦争」 韓国人殺害事件で麻薬犯罪対策を中断:産経ニュース
フィリピン警察が麻薬捜査中断、警官による韓国人殺害受け:Newsweek Japan
比警官、韓国人男性を殺害 身代金目的?麻薬規制を悪用:朝日新聞デジタル
フィリピン警察が麻薬捜査中断、警官による韓国人殺害受け:ロイター
コファンコ家
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フィリピン6.8%成長 16年、送金増え消費好調:日本経済新聞
ドゥテルテ大統領、反発根強い戒厳令に意欲:日本経済新聞
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フィリピン麻薬戦中止へ・汚職が無くならない理由:sasacebu.com
EDSA30 / フィリピン、ピープル・パワー革命30周年:Windows of History

ドン山本 フリーライター
ドン山本 フリーライター
タウン誌の副編集長を経て独立。フリーライターとして別冊宝島などの編集に加わりながらIT関連の知識を吸収し、IT系ベンチャー企業を起業。

その後、持ち前の放浪癖を抑え難くアジアに移住。フィリピンとタイを中心に、フリージャーナリストとして現地からの情報を発信している。

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