反ドゥテルテの旗頭たち
前回の続きです。国民からの圧倒的な人気を誇るドゥテルテ大統領ですが、フィリピンのなかにも反ドゥテルテの狼煙を上げる声はあります。
しかし、反ドゥテルテの機運は乏しく、人権団体が中心となって抗議集会やデモを催しても人が集まらないため、中止せざるを得ない状況が続いています。特段、政権による圧力があるわけでもないのに、人が集まりません。
今回は反ドゥテルテの旗頭と見られる二人の女性政治家を中心に、フィリピンの政局について徹底解説します。
反ドゥテルテの旗頭 デ・リマ上院議員をめぐる疑惑

ドゥテルテ大統領の強引な麻薬撲滅戦争に対し、それを批判する声も国内から上がっています。反ドゥテルテ大統領の旗頭と見られていたのが、デ・リマ(Leila de Lima)上院議員です。
デ・リマ氏は前アキノ大統領の下で司法長官を務めていた女性議員です。彼女は上院で人権委員長に就任すると、ドゥテルテ政権下で行われている超法規的殺人を激しく非難し、その実態について徹底的な調査をはじめました。
先に、ドゥテルテがダバオ市長時代に組織したとされる自警団の元メンバーと名乗る男性が2016年9月15日に、ドゥテルテ大統領が進めている麻薬犯罪容疑者に対する超法規殺人について審議する上院聴聞会にて、重大な証言をしたことにふれました。この男性は自警団に加わり、ドゥテルテ市長の命令によって50人ほどの殺害にかかわったことを明らかにし、ドゥテル市長が自ら銃で麻薬密売人などを処刑する現場を目的したと証言しました。
この男性を証言台に立たせ、青天の霹靂(へきれき)ともいえる証言を引き出したのは、デ・リマ氏の功績です。
男性の証言はフィリピンのメディアによって国内外に一斉に流され、海外のメディアはドゥテルテ非難を強めました。
ドゥテルテ大統領側は、アンダナー大統領府報道班長が「市長(ドゥテルテ)にいかなる犯罪容疑者の殺害指示の権限もなく、市長自身が殺害に関与した事実はない」と、証言内容を全面的に否定しました。
噂は絶えず流れていたものの、法的な証拠はいっさい残してこなかったドゥテルテ大統領にとって初めてともいえる重大な証言がなされたことで、フィリピン中に激震が走りました。
デ・リマ氏が陣頭に立つ調査会による追及の手は予想以上に厳しく、ドゥテルテ大統領を窮地に追い込むかと思われた矢先、9月19日に上院司法人権委員会の再編が発議されると、ドゥテルテ派議員の賛成多数により、デ・リマ氏は突然、委員長職を解任されました。
これまでドゥテルテ大統領を舌鋒鋭く批判していた人権委員会ですが、新たに迎えたドゥテルテ派の委員長の下、翌20日からは議題がガラリと変わりました。人権委員会は、ドゥテルテ大統領ではなく、デリマ氏を糾弾する場へと様変わりしたのです。
デ・リマ氏に、麻薬カクテルと密接につながっている疑惑が浮上したためです。聴聞会には、ドゥテルテ大統領が「麻薬王」として非難したハーバート・コランコ受刑者が召喚されました。
コランコ受刑者は、デ・リマ氏が司法長官だった2014年1月に、ニュービリビッド刑務所内での麻薬取引や酒の販売を許可してもらうために、1年で6千万ペソをデ・リマ氏に上納していたこと、金銭の受け渡しにデ・リマ氏の元運転手を利用したことなどを証言しました。
アギレ司法長官は、デ・リマ氏と運転手との関係を裏付ける証拠として、2人のセックスビデオを公聴会で上映する用意があると述べました。
このあと一部のマスコミを通じて、デ・リマ氏と元運転手のベッドシーンを撮影したビデオと、刑務所内と思われる場所で開かれたパーティでデ・リマ氏が歌を歌うビデオが流れ、デ・リマ氏にとって大きなスキャンダルに発展しています。
ベッドシーンの動画は元運転手の友人らが、あとでデ・リマ氏を脅す目的で盗撮されたものと見られています。カラオケの動画は、刑務所内で開かれた麻薬王主催のパーティにデ・リマ氏が参加したときに撮影されたとされています。
デ・リマ氏は元運転手と不倫の関係にあったことは認めましたが、麻薬カルテルとの癒着については一切を否定しています。
フィリピンの刑務所はパラダイス?

先の記事で、刑務所内で麻薬や酒類が販売されたり、カラオケパーティが開かれるていると記しましたが、日本から見るとかなり違和感を覚えることでしょう。話をわかりやすくするために、フィリピンの刑務所について簡単に紹介しておきます。
フィリピンと日本の刑務所とでは、まったくイメージが異なります。フィリピンの刑務所はお金さえあれば、基本的になんでもできます。
フィリピンでは刑務所に入ること自体が刑罰のため、日本のように労役を課されることはありません。収監される部屋にも大きな差があり、お金さえ払えばVIP専用の部屋で快適な刑務所生活を送ることができます。
2014年には司法長官であったデ・リマ氏が直接ニュービリビッド刑務所を視察しています。その際テレビカメラによる取材も行われており、ニュービリビッド刑務所内の様子が映し出されました。
その様子は日本人からは想像もできないものでした。大理石のタイルが貼られた豪華なジャグジー付きの浴室、ロック演奏用の楽器が備え付けられた小さなステージ、プロ向けの機材が完備されたスタジオ、48インチの大型テレビやエアコンが完備されたホテルのような部屋などが、次々と映し出されたのです。
麻薬王の一人は刑務所内のスタジオで録音したCDを発表し、歌手デビューまでしていました。
押収された囚人たちの持ち物も、唖然とするものばかりでした。5つの銃・200万ペソ(約520万円)の現金・スマホ・ノートパソコン・プレイステーション・プロジェクター・カラオケセット・発動機・ダッチワイフなどなど・・・・・・。
また、麻薬王の一人であるピーター・コウの監房からは、覚醒剤と覚醒剤を隠すための金庫、資金と取引内容が書かれた紙も押収されています。そのため、刑務所のなかから組織に対して指示を出していたと見られています。
デ・リマ氏の指示により、刑務所の幹部3人は即座に解任され、刑務所内にあった設備はすべて撤去されました。違法な持ち物もすべて没収されています。
このときの状況を伝えるAFP通信の記事には、マニラに拠点を置く監視団体「Volunteers Against Crime and Corruption」の創立者ダンテ・ヒメネス(Dante Jimenez)氏の声が掲載されています。
病気治療と偽って一流市立病院に入院し、そこでセクシー女優と密会していた収監者の話題が、フィリピンの茶の間を賑わせたこともありました。
ニュービリビッド刑務所では、外部からストリップ嬢を招き、ダンスをさせていたこともわかっています。
フィリピンの刑務所で繰り返されるこうした不正は、刑務所の責任者や看守たちが囚人や麻薬カルテルなどの組織に買収されることで起きています。
職員の入れ替えや抜き打ち検査は何度も行われていますが、撤去や没収をしても、すぐにまた元の状態に戻る繰り返しとなっています。
デ・リマ上院議員の疑惑は真実か陰謀か?

デ・リマ上院議員に課せられた疑惑を追及する手は緩んでいません。10月10日、フィリピン下院で行われた聴聞会にて、ニュービリビッド刑務所で覚せい剤の密売を行っていたとされるジェイビー・クリスチャン氏が証言台に立ちました。
そこでジェイビー氏は、フィリピンの刑務所で出回っている覚醒剤は、中国と北朝鮮から入ったものだと証言しています。刑務所内から携帯電話を使って中国系の組織と連絡を取り合い、堂々と密売を行っていたそうです。
覚醒剤を刑務所内に持ち込む際には、矯正局の職員に毎週10万ペソ(約21万円)のワイロを渡し、警報装置の電源を切らせたと語っています。
刑務所内には覚醒剤の密売とギャンブルによって得られた利益として、5000万から1億ペソ(約1億600万円~2億1300万円)が常に蓄えられている状態だっと言います。そのうちの200万ペソ(約427万円)が、デ・リマ上院議員に渡ったと証言したことで、デ・リマ上院議員にとっては厳しい展開となっています。
デ・リマ上院議員は、「私に不利な証言をした証人は大統領府に弱みを握られ服従させられているのだ」と反発し、対決姿勢を鮮明にしています。背後で糸を引いているのはドゥテルテ大統領であり、政治的な陰謀だとの主張を崩していません。
ドゥテルテ大統領を批判してきた海外の人権団体は、おおむねデ・リマ上院議員に同情的です。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、デ・リマ氏に対する圧力を批判し、ドゥテルテ大統領による超法規的殺人について調査したことへの報復措置に過ぎないと、声明を出しています。
2016年12月21日、フィリピン政府はデ・リマ上院議員が、自身の薬物取引疑惑を巡る議会調査を妨害しようとした容疑で告訴しました。政府によるとデ・リマ上院議員が議会による召還を免れるために、元運転手に身を隠すように指示した嫌疑がかかっているとのことです。
もし有罪となった場合、デ・リマ上院議員は六ヶ月間の禁固刑に処せられる可能性があると指摘されています。
元運転手については、地元メディアを通じてもさまざまな噂が流れています。この元運転手が、運転手としての給料だけではとても買えないような豪邸に住んでいることも、疑惑を生んでいます。
疑惑の残したもの
果たしてデ・リマ上院議員にかけられた麻薬カクテルとの癒着はほんとうなのでしょうか? それとも巧妙に張り巡らされた政府側の陰謀なのでしょうか? 現時点では真相は闇のなかです。
しかし、多くの議員が長いものに巻かれろとばかりに、圧倒的な支持率を誇るドゥテルテ大統領に迎合するなか、反ドゥテルテ大統領を鮮明にしていたデ・リマ上院議員のたどった転落ぶりは、ドゥテルテ氏に逆らったならどうなるのかという見せしめとしての効果を、十分に発揮しました。
デ・リマ上院議員が捜査妨害などではなく、麻薬カルテルとの癒着問題で起訴されるかどうかはまだわかりません。また起訴されたとしても実際に罪に問われるのかどうかも、現時点では見通せません。
しかし、少なくとも今回の一件を通して、デ・リマ上院議員の社会的地位が著しく凋落したことは間違いありません。フィリピンの人々がデ・リマ上院議員に向ける視線は、冷ややかです。
デ・リマ上院議員が次の選挙に当選する可能性は、今の時点では限りなくゼロに近い状態です。司法長官にまで登り詰めたはずのデ・リマ上院議員の政治生命もまた、失われたといえるでしょう。
フィリピンの政局をザックリ見てみよう!
ここで、フィリピンの政局について全体像をザッと見てみましょう。麻薬撲滅戦争は、政権争いのための道具と化している面もあるからです。
大統領選をめぐる対立と不正
2016年の大統領選挙では、アキノ大統領の後継指名を受けて出馬したマヌエル・ロハス前内務自治大臣と有名俳優の娘であるグレース・ポー上院議員、元マカティ市長のジェジョマル・ビナイ副大統領とミンダナオ・ダバオ市長のロドリゴ・ドゥテルテ氏が競いました。
結果的にはドゥテルテが勝ちましたが、投票の際に不正が行われたとの疑いは、今回も発生しました。
フィリピンでは大統領選と同時に副大統領選も行われます。このとき副大統領候補としてアキノ陣営から出馬したのがレニー・ロブレド、その対立候補となったのが、かつて独裁政権を樹立したフェルディナンド・マルコスの長男であるボンボン・マルコスでした。
大統領選では敗れたアキノ陣営ですが、副大統領選では僅差で競り勝ち、レニー・ロブレドを副大統領に就けることに成功しました。
大統領選の経過からも明らかなように、アキノ陣営の自由党とドゥテルテ大統領の民主党・国民の力は、政治的に対立しています。いわば政敵同士の間柄です。
そのため、ドゥテルテ大統領とレニー・ロブレド副大統領との仲も悪く、二人は事あるごとに対立しています。昨年の中国訪問に際しても、通常は副大統領と同行するところをドゥテルテ大統領はロブレド副大統領ではなく、ボンボン・マルコスを同行させています。

話を大統領選挙に戻しましょう。選挙が終わった後、ある男性が名乗りを上げ、Liberal Partyに属する市長に依頼されてアキノ陣営が有利になるように、投票された名前を書き換えたと重大な証言をして問題となりました。
その男性によると、ドゥテルテ氏の30万票、ビナイ氏の20万票、ポー氏の20万票を、ロハス氏の名前に書き換えたとしています。もし、男性の証言が真実であるならば、大統領選挙については不正をしてもドゥテルテ氏の得票に及ばなかったことになります。
しかし、問題は副大統領選です。この男性によると、マルコス氏の50万票をロブレド氏に流したとしています。副大統領選は接戦だったため、これがほんとうであれば結果が変わっていた可能性があります。
実際、事前の世論調査によれば、マルコス氏の人気がロブレド氏を上回っていました。
また、マルコス氏は非公式途中集計中に、「電子集計での不正の疑いがある」と主張し、集計作業の中止を要求していました。
フィリピンでは選挙のたびに不正問題が浮上するため、こうした報道はけして珍しくありません。不正があったのかなかったのか、今回もうやむやにされ、事の真相は闇に包まれたままです。
いずれにせよ、大統領選と副大統領選における不正疑惑は、ドゥテルテ大統領とロブレド副大統領の間に横たわる溝を、より深める結果となりました。
ロブレド副大統領は反ドゥテルテのシンボル
デ・リマ上院議員が事実上失脚した今、反ドゥテルテ大統領の旗頭となっているのはロブレド副大統領です。
ロブレド副大統領は女性人権擁護派として知られ、ドゥテルテ大統領の推し進める麻薬撲滅戦争については、人権侵害の恐れがあるとして懸念を表明していました。
ドゥテルテ大統領が故マルコス元大統領の遺体を、マニラにある英雄墓地へ埋葬しようとした際にも、ロブレド副大統領は市民団体の声に同調して反対しました。
マルコス元大統領はピープルパワーと呼ばれる革命の結果ハワイへ亡命し、1989年にその地で亡くなりました。遺体の帰国は許され、現在は故郷の北イロコス州の博物館で冷凍保存されたまま公開されています。

イメルダ夫人らが英雄墓地への埋葬を希望していましたが、父親をマルコス政権下で暗殺されているアキノ前大統領が反対し、かないませんでした。
マルコス一家と懇意にしているドゥテルテ大統領に政権が移り、ドゥテルテ大統領は「国民の和解」を訴え、マルコス元大統領の遺体を英雄墓地へ埋葬しようとしましたが、市民からの差し止めが提訴され、フィリピン最高裁での裁判となりました。
2016年11月8日、最高裁の判決が下り、マルコス元大統領の遺体を英雄墓地へ埋葬することが認められました。
なにかと対立していたドゥテルテ大統領とロブレド副大統領ですが、「閣僚会議へのこれ以上の出席は望ましくない」とドゥテルテ大統領にいわれたことを機に、ロブレド副大統領は12月5日、住宅都市開発調整委員会(HUDCC)の議長の職を辞し閣僚から外れました。
副大統領の地位には留まっていますが閣僚を外れたことで、ロブレド副大統領の政局への影響力は弱まるものと見られています。
戒厳令か、自由党による政権奪取か!?
それからまもなくして、ドゥテルテ大統領は演説で、上下両院の承認を得ずに戒厳令を発布できるように憲法を改正すべきと発言しました。
この発言に対して、ロブレド副大統領は23日さっそく批判声明を出しています。
「戒厳令と独裁政治再来の可能性は、フィリピン国民にとって最悪のクリスマス・プレゼントになりました。戒厳令発布の可能性に屈さず、国民の自由を守るため声を上げなければいけません」と、国民に呼びかけました。
ドゥテルテ大統領とロブレド副大統領の確執については、地元メディアでも盛んに取り上げられています。地元メディアはおおむねロブレド副大統領に好意的です。
そこには人権を擁護しようとするロブレド副大統領に荷担したいという純粋な思いとは別に、政治的な事情も働いています。
アキノ前大統領を中心とする自由党が目指しているのは、ドゥテルテ大統領に代わって政権を自らの手に取り戻すことです。ドゥテルテ大統領を弾劾して失脚させ、ロブレド副大統領を大統領の座に据えることが、当面の目標です。
そのための格好の材料となっているのが、麻薬撲滅戦争です。自由党は麻薬撲滅戦争における人権蹂躙の問題に焦点を当て、外圧を高めることでドゥテルテ大統領を批判する姿勢を見せています。
自由党はアメリカや海外の人権団体へ向けて積極的に情報を提供しているともいわれています。ドゥテルテ大統領がアメリカや国連、人権団体からの批判に対して拒絶的な態度を見せているのも、内政干渉をするなという強い思いがあるからかもしれません。
ドゥテルテ大統領と自由党が対立するなか、フィリピンのメディアの多くは自由党に寄った報道をしています。その最大の原動力となっているのは、フィリピンのマスメディアに厳然たる力を行使するロペス財閥の存在です。