アジア通貨危機を追いかけるシリーズの3回目(最終回)です。
1-5.IMFに従わざる者の行方
IMFに逆らったマレーシアはどうなったのか
通貨危機に陥った国の対応は二つに分かれました。IMFの支援を仰いだのはタイ・インドネシア・韓国です。それに対してIMFに頼ることなく自力で解決への道を探ったのがマレーシア・フィリピンです。
フィリピンは通貨危機による被害が軽微であったため、そもそもIMFの支援を新たには必要としませんでした。しかし、マレーシアは違います。通貨危機によるダメージは、タイやインドネシアと大差ないほど受けていました。
それでも、マレーシアのマハティール首相はIMFの軍門に降ることを良しとせず、決然とIMFに背を向けました。なにが彼をそうさせたのでしょうか?
それは、怒りです。マハティールは通貨危機の原因が国際的な投機筋の陰謀であるとして、声高に投機筋を非難しています。
「2億2000万人の人口を抱えるインドネシアのような大国の資産が、いきなり六分の一の価値しかなくなるなどということがあっていいのだろうか?突然、資産を失ったり破産する人たちにとって、国家の価値とは何なのか?
紙幣が一夜にして紙屑になってしまうなら、国家が通貨を発行する意味はどこにあるのか?(略)」本山美彦著「売られるアジア 国際金融複合体の戦略」(新書館)より引用
マハティールにしてみれば、国際的な投機筋もIMFも同じ穴のむじなです。IMFが融資の際に掲げた数々の条件を飲む気にはなりませんでした。
マハティールは自力で危機を乗り切るために、金融管理政策を導入しました。政府が市場に介入すべきではないとする欧米の論理に逆らい、政府主導で解決すると宣言したのです。
西側の評論家たちは、マレーシアの動きを一斉に批判しました。マハティールの金融管理政策はグローバル化の流れに逆らうものであり、市場に規制をかけることでマレーシアの経済は崩壊するに違いないと警告しました。
マレーシアはもともと、アジアのなかではタイと並んでもっとも金融の自由化を進めていた国でした。しかし1998年9月、マハティールの決断により、世界でもっとも外資規制に厳しい国へと変貌したのです。
IMFのプログラムを採用しないばかりか、マレーシアで行われたことはことごとくIMFプログラムの真逆をいくものでした。
たとえばマレーシアは資本取引規制をかけることで、金利の上昇を抑えました。IMFが金利を引き上げたためにタイ・インドネシア・韓国では企業の連鎖倒産が相次ぎ、金融機関の倒産も誘発されました。
しかし、マレーシアでは金利が低く抑えられたため、破産する会社も最小限に抑えられました。IMFプログラムとは異なり、企業や金融機関の救済のために公的資金が積極的に使われました。
しかし、金利が低かったことで企業の経営が健全に保たれたため、投入する資金の規模は欧米の経済専門家が予測していたよりもはるかに小さな額で済んだのです。
資本取引規制を行うことで、外国からの投資が減るとIMFは警告しましたが、そんなことも起きませんでした。マレーシアの経済が安定したため、逆に外国からの投資は増えたのです。
また、国債を発行することでインフラ整備計画を始め、政府が積極的に市場の拡大を図ることで雇用を守りました。
その結果、資本の海外流出もなければ通貨が崩壊することもなく、税金を削減することで国民の暮らしを守り通したのです。
参照元:日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所「第5章 マレーシア:通貨危機に強気の対応」より
上の図はマレーシアリンギとタイ・フィリピン・インドネシア通貨の平均下落率との差を表したものです。
マレーシアリンギの下落率は、同じく通貨危機にあったタイ・フィリピン・インドネシア通貨の平均下落率よりも当初、大きく下落していました。しかし、マレーシアがIMFの支援を断り独自路線による解決に舵を切り替えて以来、通貨の下落率は逆転しています。そのことからも、マレーシアの独自路線が的を得ていたことがわかります。
こうしてマレーシアは一時的な資本取引規制を行うことで、1年も経たずに銀行と企業の再構築を果たすことに成功しました。
マレーシアのやることなすことにいちいち猛烈な批判を加えていたIMFも、これには沈黙せざるを得ませんでした。
IMFのプログラムに従ったタイ・インドネシア・韓国の経済が破滅に近づいているなか、まったく逆のことを行ったマレーシアの経済がいち早く復興を遂げた事実は、欧米に大きな衝撃を与えました。IMFのプログラムがいかに間違ったものであるかが、浮き彫りにされたからです。
経済危機に苦しむ他の国の官僚たちは、マハティールに対する敬服の念を新たにしました。アメリカの意向に逆らい、自力で危機を乗り越えたマレーシアの行動は、他のアジア諸国に大きな勇気を与えたのです。
韓国のV字回復とタクシノミクス
韓国ではIMFプログラムが実施されたことで、景気が大きく落ち込んでいました。1998年の経済成長率は、前年のプラス6%からマイナス6%へと一気に下降しました。失業率も前年の3%から7%近くにまで跳ね上がっています。
韓国の失業率の推移
参照元:経済産業省「アジア通貨危機後の韓国における構造改革」より
韓国にとってIMFは、災厄をもたらす厄介者以外の何ものでもありませんでした。韓国ではこの当時のことを朝鮮戦争以来の最大の国難であったと捉え、「IMF危機」と呼んでいます。IMF危機は反米感情を一方的にあおりました。
しかし、韓国はこのどん底の状態から短期間のうちに這い上がり、V字回復を果たしました。その理由はといえば……。
IMFプログラムに忠実に従うことをやめたからです。マレーシアの急激な復活を目の当たりにした韓国は、表面的にはIMFに従う素振りを見せながらも、その要求をのらりくらりとかわしはじめます。
IMFにしても行き過ぎた緊縮財政を反省する動きも出てきており、1998年7月以降は韓国の金利引き下げを黙認するようになりました。
弱った銀行を閉鎖しろと迫るIMFに対しても、韓国はそれを拒否し、大規模な補正予算を組むことで公的資金の注入を開始しました。マレーシアと同様に、韓国政府も金融と企業の再構築に積極的に関わる姿勢を明らかにしたのです。
当時傾いていたチップ産業に対しても、IMFは必要のない設備を処分するように強く求めましたが、韓国は聞く耳をもたず拒絶しました。まもなくチップの需要が回復したことで、韓国政府の決断が正しかったことが証明されました。チップ産業が盛り返すことで、韓国経済も活況を呈したからです。
もし、韓国がIMFの勧告に従ってチップ産業を縮小していたなら、韓国経済のV字回復はあり得ませんでした。
金大中政権は不良債権処理と財閥解体にリーダーシップを発揮し、強い政府の介入によって経済危機を見事に乗り越えました。それはIMFがこだわった新自由主義とは対極をなすものです。
つまるところ、はじめはIMFに従うことで経済崩壊の危機に直面した韓国は、途中からIMFに逆らって正反対の政策をとることで、奇跡的なV字回復を成し遂げたのです。
第二部の冒頭でタイがIMFより借りていた資金を、予定より2年早く返済したことにふれました。タイ経済の復活を成し遂げたのは、タクシン首相です。
タクシンは自分の新政策を「タクシノミクス」と名付けました。その経済施策はIMF方式から脱却し、農村振興や金利を引き下げて消費をあおる国内需要の拡大策を積極的に行うことでした。
また、タイ企業が外資に買収されるのを防ぐために、経営難に陥った企業に公的資金を注ぎ込み、銀行を救済するために不良債権を少なくする政策を実施しました。
これによりタイ経済は急速に復旧し、2002年と翌年には2年連続で5%を上回る経済成長を成し遂げています。
つまり、タイもまたIMFの当初の方針に逆らい、政府が積極的に市場に介入することで経済の建て直しを見事に成し遂げたのです。
1-6.アジア通貨危機から学んだこと
グローバル・スタンダードとはアメリカに従うこと?
IMFがアメリカの思惑通りに動いたことには理由があります。アジア通貨危機のように巨額の融資が必要となるときには、IMFにもっとも資金を提供しているアメリカの同意を得なければ前に進めないからです。
アメリカはIMFに対して、世界で唯一拒否権をもっている国です。IMFがどこかの国をいくら支援をしたくても、アメリカがノーと言い続けている限り永久に支援できません。
そのため、IMFが融資の際に掲げた条件には、アメリカ財務省の思惑が込められています。IMFが政府による市場介入を頑として認めようとしなかったのは、それがアメリカが推し進めるグローバル・スタンダードだからです。
「グローバル・スタンダード」、つまり「世界標準」という言葉には、人を説得させるだけの不思議な力があります。日本のマスコミもバブル以降は「グローバル・スタンダード」という言葉を錦の御旗のように掲げ、それがいかにも正義であるかのように用いました。
しかし、「グローバル・スタンダード」という言葉を使うのは日本ぐらいで、海外ではほとんど使われません。そもそも世界標準などと言うあいまいな基準は、世界のどこにも存在しないからです。
「グローバル・スタンダード」の意味するところは覇権国の標準です。現代の覇権国はアメリカです。つまり「グローバル・スタンダード」とは、アメリカの標準を意味しています。そのこころは、「アメリカ資本を利するもの」です。
大蔵省財務官だった榊原英資氏は1999年5月号の文藝春秋にて次のように語っています。
「(日本のマスコミやエコノミストは)アメリカが言っていることを、そのままクローバルーズタングートと称して主張する。クローバルーズタンダートに込められた、国家としてのアメリカの意図や戦略を見ようとはしないのです」
「グローバルスタンダード」と聞けば耳あたりがよいのですが、「グローバルスタンダードに合わせる」と言うことは、「アメリカの言いなりになる」ことを意味すると考える識者は数多くいます。
クローバルーズタンダートに込められた、国家としてのアメリカの意図や戦略とは、何を意味するのでしょうか?
欧米のキャンペーンに込められた悪意
アメリカの意図や戦略を推し量る上で参考になるのが、アジア通貨危機の際に欧米のマスコミで展開されたキャンペーンです。
欧米のマスコミはなにかに操られたかのように、一斉に同じ論調のキャンペーンを張りました。それは、アジア通貨危機の原因がアジア特有の縁故主義によるものだという決めつけでした。縁故主義とは、血縁やコネで動く社会のあり方です。
それゆえに、縁故に基づくアジア型の資本主義を改め、欧米型の資本主義に移行しなければならない、と訴えました。
こうしたキャンペーンについては、マレーシアのマハティール首相が何度も反論しています。「1996年9月まではアジアの金融自由化のパフォーマンスの良さを賞賛していたのに、アジアの病根(縁故主義)云々という言葉が出されたのは奇妙なことだ」
アジア通貨危機が起きる直前までは、アジアの経済成長は奇跡と讃えられ、世界中の賞賛を浴びていました。
ところがいざ通貨危機が起きるとなると、欧米のマスコミは手のひらを返したようにアジアを批判しはじめたのです。
彼らは主張しました。アジアの抱える非近代性を克服するためには、アジアの企業や金融機関は欧米の外資に買収された方がよい、外国人の顧問や役員を重用すべきだ、と。
そうした論調には「非西欧人には統治能力がない」といった偏見や悪意が込められているかのようでした。
それは、スペインから独立したフィリピンが独立国家となることを望んだときに、「野蛮なフィリピン人には国家を統治する能力がない」と決めつけて米比戦争を起こし、フィリピンを植民地にしたアメリカの論理そのままです。
こうしたキャンペーンに呼応するかのようにアメリカ財務省は、IMFを通して支援国が破綻(はたん)しかかった企業や金融機関に公的資金を投入することを禁じました。そのためにアジアの多くの企業や銀行が破綻し、欧米の企業や銀行に売り渡されました。
通貨危機が起きる前は高すぎて買収ができなかったものが、通貨危機後はまるでバーゲンセールのように安く買い叩くことができたのです。このことは欧米の企業や金融機関に大きな利益をもたらしました。
また、通貨危機の過程でアメリカの投資銀行が、韓国などの支援国が国債を発行する際の財務アドバイザーに納まったことも、忘れるべきではないでしょう。米系投資銀行は膨大な手数料を得ることに成功しています。
米系企業の懐が潤うことは、そのままアメリカの国益につながります。
アジア通貨危機の教訓
タイ・インドネシア・マレーシア・フィリピン・韓国にとって、アジア通貨危機は大きなトラウマになりました。5カ国が通貨危機を通して垣間見たものは、欧米の薦めるままに駒を進めたならば、身ぐるみ剥がされるかもしれないという教訓でした。
そもそも通貨危機が起きたのは、アメリカの言うがままに金融を自由化してきたからこそです。5カ国は規制を緩和せよというアメリカの要求通りに、多くの規制を取り払ってきました。
その結果として、国内企業が外国の銀行から融資を受ける際の規制がなくなったために、多くの企業が安易に外国の銀行からの融資に頼るという構造が生まれました。やがてはそれがバブルを生み、外国の投資グループに狙われることになったのです。
金融の自由化を急がなければ、通貨危機も起きていなかったことでしょう。現に金融の自由化を拒絶した中国では、通貨危機は起きていません。
通貨危機の過程を通して、常に優先されたのはアメリカの国益でした。日本の提案したアジア通貨基金は通貨危機を早期に収めるための特効薬になるはずでしたが、アメリカの国益にそぐわないためにつぶされました。
通貨危機とはなんの関係もない構造改革まで迫られたのも、アメリカの国益にかなうからこそです。IMF支援国の経済が長期的に見てどうなろうと、アメリカの利益のほうが重く扱われました。
不要な構造改革を迫られ、企業や金融機関が外国資本に次々に奪われていった屈辱を、これらの国は忘れません。
支援という名の下にIMFがもたらした災厄も、アジアの国々はしっかりと胸に刻みました。ハーバード大学教授のマーティン・フェルドシュタインの言葉がそのことをよく表しています。
「痛みを伴い、包括的なプログラムによってIMFが新興工業国に対して送ったメッセージは、IMFに救済を求めるのは止めるべきだというものだった。タイやインドネシアと似た状況におかれながら、マレーシアがやっていることはまさにそれである」
今後、危機が訪れてもIMFに救済を求めないようにするために、アジア独自の救済ネットワーク作りもスタートしています。日本政府が主導した「チェンマイ・イニシアティブ」です。
アメリカの横槍が入らないように、穏健な形で制度作りが進められました。名称についても当たり障りのないように、創設が決まった際の都市の名をつけています。チェンマイは「北方の薔薇」と称されるタイ北部の古都です。
アジア通貨危機を通してアジアは、どんな危機に遭遇しようとも、政府が舵取りの役目を放棄してはならないことも学びました。市場を自由に任せれば、欧米企業が喜ぶだけで国民の暮らしは苦しくなるばかりです。
経済を支配する権限は政府が握るべきであり、国民の福祉がもっとも優先されるべきであることを、アジアは身をもって体験したと言えるでしょう。
こうした教訓を学んだからこそアジアは、アメリカから始まったリーマン・ショックの際にも政府主導で敏速に行動することができ、被害を最小限に抑えることができたのです。
アジア通貨危機の屈辱を二度と味あわないように、アジア各国は相互に協力し合いながら外貨準備高を十分に備えるようになりました。
今や世界経済の中心は欧米からアジアへと、移ろうとしています。
結局のところ、陰謀はあったのか?
アジア通貨危機から20年が過ぎた今、実際にあのときなにが起きたのかについて振り返ってみました。
これまで見てきたように、アジア通貨危機においてはIMFによる救済が大きな禍根(かこん)を残しました。IMFが融資の条件として掲げた政策のことごとくは、支援国の経済をより悪化させました。
素人でも容易に想像がつくような悲惨な成り行きを、IMFの優秀な官僚たちが読み間違えるとは考えにくいものがあります。だからこそ、アメリカの思惑を受けたIMFが意図的に仕組んだに違いないとする陰謀論が、幅を利かせることになったのです。
もちろんアジア通貨危機には、陰謀論には欠かすことのできない「フリーメーソンのような秘密結社が陰で糸を引いていた」などという事実はありません。
絶好調で突っ走っていたアジア経済を停滞に追い込もうとする組織的な計画が、アメリカ政府にあったのかどうかは個人の判断に任されるところですが、常識的に見ておそらくそのような陰謀はなかったことでしょう。
ただし、アメリカ政府がアメリカの国益を第一に考えて事に当たったことは間違いのない事実です。アメリカが世界の新興国市場にアメリカン・スタンダードを押しつけるのは、それがアメリカの国益につながるからこそです。
そして大抵の場合それは、押しつけられる国のためにはなりません。
アジア通貨危機で支援国に対して繰り返された「市場には自己調整能力があるのだから、市場を自由を保っておきさえすればすべて上手くいく」といった新自由主義は、アメリカ系企業の有利になるように市場を開かせるための大義名分に過ぎません。
そのことは2008年にアメリカで起きたリーマン・ショックの際、アメリカがどう対応したかを見れば、簡単にわかります。
政府が市場に介入するべきではないという新自由主義を信奉するアメリカは、アジア通貨危機の際に支援国が公的資金を企業や金融機関に投入することを、はじめのうちは許しませんでした。
日本でバブルが崩壊した際にも、公的資金を投入する日本政府のやり口を「モラールハザード」だと批判する音頭をとったのはアメリカです。世界的な批判にさらされるなか、日本政府は思い切った公的資金投入に踏み込むことができませんでした。結果的にそのことが、日本がバブル崩壊から抜け出すのに長い歳月を必要とする原因になってしまいました。
では、アメリカでリーマン・ショックと呼ばれる金融危機が発生したとき、アメリカ政府はどのように行動したでしょうか?
アメリカ政府は即座に70兆円に上る前例にない大規模な公的資金を投入することで、金融機関や企業の救済を図り、危機を素早く収めたのです。政府主導によってアメリカは、金融危機を乗り越えました。
それはアジア通貨危機の際にも、タイやインドネシア・韓国がはじめから熱望していたことです。グローバル・スタンダードの名の下にアジアには痛みを伴う改革を求めたアメリカが、いざ自分が危機に遭遇するとなるとさっさと宗旨替えをして「強い政府」による事態収束を図るとは、なんという皮肉でしょうか。
こうなるとますますアジア通貨危機には、大国のエゴが透けて見えてきます。
第一部で紹介したフィリピンにしても、今回取り上げたアジア通貨危機にしても、大国のエゴの前に踏みにじられる小国の悲劇の物語が隠れています。それは持てる者と持たざる者とのギャップがもたらした悲劇といえるでしょう。
フィリピンをはじめとするアジア各国は互いに連携を強めることで、悲劇の物語を希望の物語へと書き換えようとしています。
アジアの世紀は、すでに始まっています。
●ジョセフ・E・スティグリッツ著「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」(徳間書店)
●本山美彦著「売られるアジア 国際金融資本の戦略」(新書館)
●ジョセフ・E・スティグリッツ著「世界の99%を貧困にする経済」(徳間書店)
●カレル・ヴァン・ウォルフレン著「アメリカを幸福にし世界を不幸にする不条理な仕組み」(ダイヤモンド社)
●ワルデン・ベリョ著「フィリピンの挫折 世銀・IMFの開発政策とマルコス体制」(三一書房)
●井出穰治著「フィリピン -急成長する若き『大国』」(中公新書)
●森澤恵子著「現代フィリピン経済の構造」(勁草書房)
●大田英明著「IMF(国際通貨基金) 使命と誤算」(中公新書)
●藪下史郎著「スティグリッツの経済学 見えざる手など存在しない」(東洋経済)
●三重野文晴/深川由起子編著「現代東アジア経済論」(ミネルヴァ書房)
●カレル・ヴァン・ウォルフレン著「日本人だけが知らない アメリカ『世界支配』の終わり」(徳間書店)
●金俊之著「テキストブック 現代アジアとグローバリズム」(東洋経済新報社)
●竹森俊平著「1997年―世界を変えた金融危機」(朝日新聞社)
●大野拓司・寺田勇文編著「現代フィリピンを知るための61章【第2版】 (エリア・スタディーズ)」(明石書店)」
●みずほ総合研究所著「図解 ASEANを読み解く」(東洋経済新報社)
●武貞秀士著「東アジア動乱 地政学が明かす日本の役割 」(角川学芸出版)
●岩崎育夫著「入門 東南アジア近現代史」 (講談社現代新書)
●高木信二, 宮尾龍蔵, 沢田康幸,渋谷浩, 横川和男 著「通貨危機と資本逃避―アジア通貨危機の再検討」(東洋経済新報社)
●国宗浩三著「IMF改革と通貨危機の理論: アジア通貨危機の宿題」 (勁草書房)
●アウスゲイル・ジョウンソン著「アイスランドからの警鐘―国家破綻の現実」(新泉社)
●荒巻健二著「アジア通貨危機とIMF―グローバリゼーションの光と影」(日本経済評論社)
●平川均, 佐藤隆文著「通貨危機後のアジア経済と改革への展望―タイ・インドネシア・韓国を中心に」(日本図書センター)
●黒岩郁雄著「アジア通貨危機と援助政策―インドネシアの課題と展望」(日本貿易振興会アジア経済研究所)
●中川利香著「マレーシア通貨危機と金融政策」(青磁書房)
●浜田和幸著「ヘッジファンド世紀末の妖怪」(文藝春秋)
●IBRD, 国際復興開発銀行, 世界銀行著「東アジアの奇跡―経済成長と政府の役割」(東洋経済新報社)