始めに
はじめまして!ビジネス英語講師の愛場吉子と申します。
このたび、当サイトにて3回にわたり、英語学習と海外生活に関する記事を連載させていただくことになりました。
私は2011年春に社会人大学院生としてコロンビア大学の大学院を卒業し、その秋からニューヨークのCalvin Klein本社のライセンスビジネス事業部に勤務しておりました。
2014年3月に夫の帰任に伴い帰国、現在はIT企業や外資系製薬会社をはじめとする日本の企業で、ビジネス英語の講師として働いています。
日本生まれ、日本育ち、二十歳を過ぎるまで海外に行ったことがなかった私が、アメリカの大学院を卒業し、アメリカ企業に就職するまでには、それなりの時間や努力(時に悔し涙)が必要でした。
けれども、目標に向かって一つ一つそれを乗り越え、得られた達成感、そして広がった世界や人々との出会いは、まさに・・・
it made all the effort worthwhile!(努力の甲斐があった!)でした。
私のキャリアパスと、これまで実践してきた英語&異文化コミュニケーションスキルの学習方法をシェアすることで、これからセブ島留学を経て、いずれは世界に羽ばたきたいと思っていらっしゃるみなさんへのヒントとなれば嬉しいです!
Unlock your potential, and get excited about your future!!
皆さんへのエールを込めて。
この連載で発信していく内容
- ドメスティックな家庭から海外を目指す。大学で交換留学
- アメリカでインターン。「5年で海外に戻る!」を誓って日本で就職
- 仕事を通じて気づいた想い、「日本の英語教育を変えたい!」
- コロンビア大学大学院を経て英語スピーキングの講師に。伸びる学習者とは?
- 再びニューヨークへ。アメリカで就職活動。Calvin Kleinニューヨーク本社に勤務。
ドメスティックな家庭から海外を目指す
二十歳を過ぎるまで、海外生活と縁のない家庭に育った私は、高校のころから海外に住むことへの憧れを膨らませました。
あまり体が強くなかったこともあり、捨てた教科は多かった一方、英語の成績だけは落としたくなく、最低限やっていたことは 1)定期試験の英語科目の勉強 2)NHKのラジオ英会話を毎日聴く の2つでした。
子供のころから音楽(ピアノ、ギター、ヴォーカル)をやっていたせいか音には多少敏感で、英語らしい発音になるよう、ラジオから聞こえてくるネイティブの声に合わせて音読をしていたのを覚えています。
ある日夕食の準備をしていた母親が、私の英語を聞きながら「すごく流暢に読めるのね~。いい発音ね」、とうっかり前向きなコメントを発言。
調子にのった私はその後もノリノリになって音読練習を続けることになります(笑)。いやはや、ポジティブフィードバックって大事ですよね。(母に感謝!)
もっと後になってからですが、私の英語の発音を聞いた人から、「帰国子女ですか?」と聞かれることが時々ありました。
これは、のちの留学の効果もありますが、まだ頭が柔らかい十代のうちに、自分なりに英語のオーセンティック(本物)な音を真似て話そうと練習していたことが起因していると思います。
せっかくなので「音読、センテンスリピート練習の効果」についてまとめます。
― 聞いたままの英語の音をそのまま受け入れられるので、カタカナ英語を防げる
― 連結や同化など、英語の発音の特徴をつかみ発話することで発音練習となる
― 自分で発話できる=聞き取ることができる → リスニング力強化につながる
大学入学、交換留学の切符を手に入れる
大学は運よく第一希望であった筑波大学の国際総合学類に入学しました。
筑波大の国際を選んだ理由は、授業の半分が英語で行われる、国立で授業料が安い 等ありましたが、最大の魅力は・・・
『2年次末の選考で選ばれれば交換留学生としてアメリカ、オーストラリア、ヨーロッパなどの海外の提携大学に1年間行ける』
という点でした。
その目標の為に、サークルやバイトなどもそれなりに楽しみつつも、交換留学の条件の一つであったTOEFLの勉強は大学1年生のころから始めたのを覚えています。
当時はまだペーパーテストだったので、問題集を中心に取り込み、また英語での選考面接に向け、英文スクリプトを作ってアメリカ人留学生に面接練習をお願いしました。今思うと恥ずかしくなる様なお粗末な内容でしたが、交換留学の切符を何とか手に入れました。
留学先、授業で奮闘
留学先はオハイオ州の州都コロンバスにあるマンモス大学のOhio State University。
Ohio State University
アメリカの中でも、スタンダードと言われるきれいな英語を話す人が多い州で、アメフトやバスケなどのスポーツも盛ん、アメリカらしい大学生活を経験するにはもってこいの環境でした。
覚悟はしていたものの、授業はやはり大変でした・・・。
交換留学生は、現地の学生と一緒に国際関係学、歴史学などの単位を取る授業に出席するのですが、始めの3か月は授業のスピードについていけず挫折を味わいました。
ディスカッションで発言できない自分に情けなさを何度感じたことか。どんなに受験英語でよい成績をとっても、アメリカの高等教育現場では何の意味も成さない現実・・・。英語の実践力を付けるため、ここから私の立て直しが始まりました。
主にやったことは3つ。
― 予習をする。授業で扱う教科書の範囲をしっかり読んでから授業に参加
― 講義は録音して復習
― レポートは早目にやって提出前にできるだけネイティブに見てもらう
とても基本的なことばかりです。
今の私だったら「聞きたい質問をまとめておく」、「クラスディスカッションやプレゼンで自分の意見を言えるようにリハーサルをする」の2つを加えるのですが、当時の私はついていくことに精いっぱいで、積極的にクラスで発信をしていく余裕はありませんでした。
ぐんぐん伸びる日常英会話力
一方、ある程度の期間留学していると、授業の英語とは別に、日々の暮らしで必要な英語や、パーティ等のソーシャルな場面で使う英語の力はみるみる身についてきます。
私の留学中、ルームメイトはニューヨーク州出身のアメリカ人と、オハイオで小・中学を過ごした日本人留学生と私の3人。
2人とも今でもかけがえのない友人です♡(郊外なのでこちらで免許も取りました!)
ルームメイトの結婚式。Bride’s maid に。
ネイティブランゲージが英語である彼女たちと、寝食を共にすることで学んだ英語は沢山あります。
朝起きて“Hey, can you turn off the alarm clock?”から始まり、授業からドミトリーの部屋に帰ってくると“How was the class?”、夕方になると“What are we gonna do for dinner tonight?”と夕食の相談をし、夜バスルームを使い終わった人が“It’s all for you.” と次に使いたい人に声をかける、といった日常表現、そしてアメリカのスラング、ジェスチャー、ジョークなどの表現がどんどん入ってきます。
最近、社会人向けにビジネス英語を教えていると、学習者が・・・
「会議や交渉の最中は、ビジネスに関することだから会話が成り立つけれど、仕事から一歩出たシチュエーション(例えばミーティングのあとの食事など)では、ちっとも話ができなくて困る。」
という声をよく聞きます。
そんな人には「留学して一度違う文化の人達と生活してみてください」と言いたいところですが、現実的には容易ではありません。
そんな場合は、ファミリー向け海外ドラマなどをよく見て表現を学んだりすることをお勧めしています。
私がよく見ていたドラマの中でのお勧めはFriends, How I met your mother, The Big Bang Theoryなど。
30分で一話完結するタイプのシットコム(Sitcom=situation comedy)がおすすめ!
授業での奮闘や、ルームメート達と過ごす時間が功を奏して、留学3か月を過ぎたころから、英語が自然に頭にす~っと入ってくるようになりました。
特に、常に英語に囲まれて暮らすことでリスニング力が向上したのを実感、留学が終わりに近づく頃には、社交的な性格もあり、友人との集まりやホームパーティなどでは、身近なトピックについては自分からもかなり発信できるようになっていました。
ホームパーティの時の写真
これから留学を考えておられる方は、留学先でとにかく現地の人と多く時間を過ごすことを強くお勧めします!
留学後、アメリカに半年残ってインターン
1年の留学期間はあっという間に過ぎ去りました。
ようやく、英語のコミュニケーション力が身に付き面白くなってきたところで帰国することに物足りなさを感じた私は、そこから休学扱いでアメリカ滞在を半年延長!
大学キャンパスの外の世界を体験すべく、インターンとして働かせてくれる場所を探しました。
とは言っても、当時オハイオはニューヨークなどの大都市と違って、留学生をインターンとして受け入れてくれる職場は少なく、レジュメを送ってもなしのつぶて。
担当者に電話してみても・・・
“We’re looking for a more experienced person.”
と断られてしまいました。
そんな折、現地の中学校で日本語を教えられるアシスタントティーチャーを探しているという情報が入ってきました。
もともと教育分野に関心を持っていた私は、早速その学校の教頭先生にメールを送りました。そして何を血迷ったか、呼ばれもしないうちに直接その中学校に出向き、直談判をしたのです。
アポなしで乗り込んでくるなんて、なんて非常識な留学生、と思われたこと100%間違いないですが、結果、想いが伝わったのか受け入れられることになりました!
そしてその時お世話になった教頭先生や生徒とは有り難いことに、いまだに関係が続いています。
当時教えていた7年生のクラス。体格の良い生徒たちに囲まれ、もはや先生の威厳なし。。。
“Do you have any questions?”と尋ねると”Do you have a boyfriend?” というなめた質問が返ってきました(苦笑)
2013年夏に再会した生徒の一人とオハイオにて。
インターンのススメ
留学中、大学生という肩書きから外れて、社会を経験するというのは自分の経験からも、とても貴重なことであると思います。
学生はある意味学校にとっては“お客様”。授業料を収めて真面目に取り組めば単位は貰える保護された世界です。
そこで敢えて一歩キャンパスの外に出て、学生の肩書を外して社会と関わってみることで、リアルに世界が見えてくると同時に自分の実力、そして自分が何に興味があり、どんな仕事をしたいのかが見えてきます。
ちなみに私がこのインターンを体験して得たことは、、、、
教育現場を通じて、アメリカ社会と日本社会との違いを認識。
アメリカは離婚した親を持つ生徒が半数以上。各家庭の貧富の差が大きい。様々な人種、宗教の生徒が同じクラスにいる(キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒etc.)
→ 教える側に様々な配慮が必要。
先生と生徒との関係の違い
日本では先生と生徒間で上下関係がしっかりしているが、アメリカの生徒は先生に対してガンガン自分の意見を述べる(反対意見も当たりまえ!) 。先生と生徒が対等な関係に近い。
発想力、自己アピールできる人が育つアメリカの教育環境
日本と違いアメリカのクラスでは「いかに周りと違う考えやアイデアを持っているか」が評価される。
→ 発想力豊かな才能が育ちやすい。Microsoft, Apple, Amazon, Twitter, Facebook等、世の中の新しいものの多くがアメリカ生まれであることは納得・・・
当時教えていた8年生のクラス。授業中歩き回る、踊りだす、ケンカする etc.
自己主張の強い生徒たちに戸惑う日々もありましたが、のちにこのクラスから3人がホームステイで日本に行くことになりました。
場所、業種などによって内容は違っても、インターンを通じて得られることは沢山あります。
私はこの教育現場で、教育現場の英語表現、クラスルームマネジメント、生徒のモチベーションを上げる方法、アクティブティについていろいろ考える機会を得、教育業界への関心を高めました。
最近は海外でのインターンの受け入れも積極的ですし、そのようなポジションに応募する機会も増えています。
これから留学を考えていらっしゃる方には、ぜひ留学滞在中、インターンを経験することをお勧めします。
「5年で必ず戻ってくる!」と心に誓っていったん帰国、日本で就職
オハイオでの交換留学+インターンで1年半を過ごし、アメリカにいられるならずっといたい、と思っていましたが、日本での就職活動と卒業が待っていました。
「また必ずアメリカに戻ってくる!」と心に決めて、まずは日本で英語を使えそうな国際的な仕事を探すことにしました。
当時日本は就職氷河期で、国立大卒でも女性の多くの就職が決まりにくいという時期でした。
しかも同級生はすでに半年前に就職活動をスタートさせており、3月に帰国した私にとっては更に厳しい就職活動となりました。
自分なりに考えた結果、いずれは通訳になって日本と世界の架け橋になろう、と考えました。(社会が見えていない当時学生の私にとって英語を使う仕事のオプションは商社か通訳か、位しか見えていなかった現実 ^^;)。
ただし社会人経験はいずれにしても必要、数年は企業で働いて勉強しよう、という思いで、内定をいただいた富士ゼロックスの関連会社に就職することにしました。
この会社で任されることになった仕事経験が、私のグローバルなキャリア構築に大きな影響を与えてくれることになります。
社会人としての基礎を教わる日々
新卒で入社した会社は富士ゼロックスの人材ビジネス部門が独立してできた関連会社で、オフィスは赤坂にありました。
温厚な人柄の社員が多く、同期入社の仲間とも和気あいあいとした雰囲気で社会人としての基礎を学ばせてもらいました。
新入社員は先ず営業部門に配属され、ビジネスマナー、法人営業の基本、数字の基本、効果的なドキュメント作成、クリティカルシンキングなど様々な研修に参加しながら、スキルを習得していきました。
こうして学んだビジネススキルが、のちに講師としてビジネスピープル向けに教えることになった時や、また海外で就職する際に、非常に役立つことになります。
いつも優しく聡明、そしてお茶目な同期メンバーに支えられた日々
英語の勉強は意識的に継続
一方残念ながら、入社1年目に英語を使う業務は全くありませんでした。
心の中では「もしこのまま国際的な業務の担当にならなければ転職しよう」という気持ちで、独自に英語の勉強を続けていました。
具体的にやっていた内容は・・・
1) 英文日記を書く
2) 週に1~2回、語学学校に通う
3) 外国人の友人と時間を過ごす
英文日記を書く
英文日記は、英語のアウトプット練習の一つであり習慣づけると効果的です。
スピーディに文章を頭で組み立てる訓練になるため、いざ英語で話そうとする時に役に立ってきます。
ポイントは、その日にあったこと、気付いたことなどをシンプルな文を使って、あまり時間をかけずに書くことです。
始めはちょっと辞書を使ってもいいですが、完璧を求めすぎると時間がかかり継続しにくくなるので、あまり気負う必要はありません。
例
ある程度文章が書ける人は1)時制が正しいか(過去のことは過去形の動詞になっているか) 2)接続詞や関係代名詞、分詞などを使って、細切れの文を長めの文章に書き替えられないか、を意識して書くと更に効果的!
例
語学学校に通う
語学学校は、平日の夜に週1~2日、通訳養成で知られているサイマルアカデミーに通いました。
多少背伸びしてビジネス通訳のクラスをとっていたのですが、通訳に必要な英語に素早く訳す瞬発力がないことを思い知らされました。
自分の通訳した音声を録音して聞かされるのですが、始めの頃はボロボロ~。語彙力、文法知識も、その知識の運用能力もまだまだ足りない。。。
ビジネスの現場で通訳できるレベルになるには、継続学習が重要だと感じました。
当時は独身だったこともあり、レッスンがある日もない日も、平日はできるだけ毎日夜11時くらいまで、自宅近くのカフェで英語の課題などに取り組んでいたことを覚えています。
外国人の友人と時間を過ごす
3)の日本に住んでいる外国人の友人との時間も、英語をリアルなシチュエーションで鍛えるいい機会です。
外国人の友達がいない人は、最近はMeet Up(https://www.meetup.com/)など、様々な異文化交流イベントやアクティビティが開催されているので、SNSなどで探してみることをお勧めします。
私が感じたように、海外生活や留学生活から戻って「いかに日本にいながら英語力を維持、向上させようか」と悩む方は多いのかもしれません。
英語のインプットやアウトプットの機会が減ってしまうのに加え、何となく周りの日本人と比べると英語ができるように感じてしまう慢心にも要注意です。
そこで、常に目標を設定して勉強に取り組む姿勢が大事!
私は当時聞いていたNHK実践ビジネス英会話の杉田敏先生のカッチョイイ英語を聞きながら、「いつかこの番組で使われているようなビジネス英語を使いこなせる人になるぞ~」とイメージしていました。
入社2年目、国際業務の仕事をつかむ – 本当の近道は、与えられた環境で成果を出すこと
さて、話を戻します。地道に英語学習を継続するものの、その語学スキルを「使える機会にいつ恵まれるか?」という問題が立ちはだかっていました。
まだ社会人1年目、転職するには早すぎる、しかしやりたいことに向かうべきか?
そんな時、同じ筑波大学卒で人材育成分野でご活躍されていた大先輩方から頂いた言葉が私を動かしました。
要旨は「与えられた環境で最大限の努力と結果を出しているか?」 「辞めるなら惜しまれて辞めろ」です。
確かに、いつか転職するのだろうな、という頭の片隅にあった気持ちが、無意識に仕事への姿勢にネガティブな影響を与えていました。(今思うと本当になめた新人(+_+))
そこで、1年目最後の3か月、とにかく営業として数字を出すために仕事に専念しました。意識が変わると行動が変わる、って本当ですね。結果、個人の営業目標を大きくクリアして、部内である程度存在感をアピールすることができました。
そのことが上司の目に留まり、自分の英語力についても認識をされ、2年目から海外の顧客を担当する部署への異動、という有難い機会を得ることに繋がりました。
仕事場では、周りの人は結果を出す人にしか耳を傾けてくれません。
当たり前のことですが、新入社員時代にそのことに気づかされたことは大きな収穫でした。
国際業務通じて、英語でのコミュニケーション力が急伸
入社2年目に配属された部門で私が担当した仕事は、海外企業が日本でビジネスを拡大する為のお手伝いをするというものでした。
フランスに拠点のある製薬業界向けの情報データベースを取り扱う情報会社の、日本でのオペレーションを請け負うという、いわゆるリエゾン業務。
データベースそのものが英語で提供されるため、日本でのユーザー(当時の製薬企業25社ほど)に向けて、利用サポート、新規モジュールの説明、契約の更新などを、日本語に訳して実施。新規顧客獲得のための営業活動も行いました。
フランスからマーケティングディレクターが来日する際は、いつも同行してクライアントとの間で通訳をしていました(フランスなまりの英語にも慣れ、気づいたら自分もなまっていた・・・)。
日常的に発生するフランスのディレクターとのやり取り(メール7割、電話3割)が、私の英語の実践力を伸ばしてくれました。
この頃、タイミングよくバイリンガルの上司が転職してきて、不安な時は彼に英文メールを見てもらい、プロフェッショナルな表現をOJTで学ぶことができました。
彼は今でも恩師的存在です!
フランス出張
この業務の担当になって1年ほどした時、フランスの本部によんでいただき、各国のセールスが集まるグローバルセールス会議に参加しました。
ここで初めて英語プレゼンを経験!
また、製品の詳細について3日ほど集中的にトレーニングを受けました。
それまでは、フランスと日本とで離れてコミュニケーションをとっていた為、何となくつかめない部分がありましたが、現地で経営陣や、開発部門、営業部門の人達と直接会って話せたことで、信頼関係が一気に深まったのを覚えています。
フランスに出張中、集中的にトレーニングを受け、各国のセールスが集まるグローバルセールス会議に出席。会議後のディナーにて。
出張先では、“異文化の人達とのミーティングならでは” の経験をしたので一部ご紹介。
到着時間の違い
日本人→10分前に到着/ アメリカ人→時間ぴったりに到着/ フランス人→予定の30分後に到着。 (あくまで傾向ですが、始めはショックをうけます)
自己主張の強い人が多い(特にセールス会議)
相手の話を十分聞き終わる前に自分が話し出す人が多く、2,3人同時に話していることも・・・
ゆっくり話すのは論外。自分の意見を簡潔に、素早く伝えるスキルが必要。
ジョークや、笑いは全世界共通で大事な要素。
この時おこなった私のプレゼンは、思えばカッチコッチで面白味のないものでした。
でもディナーの席で披露した手品は大好評!(え、そこっ!?)
グローバルなビジネスで自分の価値を評価してもらう
このデータベースのエージェント業務を3年ほど担当する間に、顧客との信頼関係も深まり、契約数も当初の3倍近くに増えていました。
もちろん私だけの力ではありませんが、数字で結果を出せたことは一つの大きな成果でした。
一方、3年経った頃、このフランスの会社が別の情報会社と合併、これまで富士ゼロックスに外注していたこの業務を、直接日本にオフィスを構えて実施しようという流れになりました。
このタイミングで、一緒に働いていたフランス人のセールスディレクターから「我々と一緒に働きませんか?」と転職のオファーを内々にいただきました。
結果的にはお受けしませんでしたが、このようなお話をいただいたことは、ある意味自分の存在価値が認められた証拠かなと、自信につながりました。
日本でも毎年ユーザー向けセミナーを実施。
右からフランス人マーケティングディレクター、アメリカ人編集者、イタリア人編集者と。会議では通訳を担当。
本当にやりたいことに気が付く
海外の企業と日本人のクライアントを繋ぐ立場であったこの業務の経験を経て、自分の中で“本当にやりたいこと”が見えてきました。
日本人の英語力を向上させることです。
英語が苦手なクライアントは私たちのサポートがなければ業務が進められません。
直接英語で実施すればすぐ終わることに数日が無駄に費やされることも珍しくありませんでした。
『日本の英語教育を何とかしなければ』と初めて強く感じたのです。
入社して5年目の春になっていました。
(2/3) ニューヨークへ。英語教授法を学ぶべく、大学院進学を目指す
(3/3) 再びニューヨークへ。アメリカで就職活動Calvin Klein入社