麻薬撲滅戦争のあらまし
アキノ大統領の任期満了に伴い、次期大統領を決めるための選挙が2016年5月9日に行われました。この大統領選挙で勝利し、第16代フィリピン大統領として選出されたのは、当初は泡沫候補に過ぎない見られていたロドリゴ・ドゥテルテでした。
ドゥテルテは「フィリピンのトランプ」との異名をもってます。アメリカのトランプと同様に、過激な暴言を繰り返しているからです。
しかし、2016年を振り返ってみると、ともに泡沫候補と見られていたドゥテルテがフィリピンの大統領となり、トランプがアメリカの大統領として選ばれています。
世界は今、確実に変わりはじめています。
では、なぜフィリピンの大衆は、ドゥテルテを大統領の座へと押し上げたのでしょうか?
その背景を探ることで、現在、フィリピン全土で起きている麻薬撲滅戦争の実態が見えてきます。
今回から4回に渡って、フィリピンで起きている麻薬撲滅戦争について徹底的に掘り下げて解説します。
ドゥテルテはダバオをどう変えたのか?

ドゥテルテが下馬評を覆して当選したのは、ミンダナオ島にあるダバオ市の市長としての実績が評価されたからです。
1988年にダバオ市長として当選して以来、ドゥテルテは長きにわたってダバオ市の政治を仕切ってきました。フィリピンでは憲法の定めにより、連続3期までしか市長を務めることはできません。
そこでドゥテルテは娘とともに市長の座を分け合いながら、およそ30年に渡ってダバオ市の政権を担ったのです。
ドゥテルテの就任当時、ダバオ市はただでさえ治安の悪いフィリピンのなかでも、群を抜いてもっとも治安の悪い地域として有名でした。
ドゥテルテは市長就任の際に「ダバオを東南アジアで一番安全な街にする」と宣言しました。しかし、多くの市民は「そんなことできるわけがない」と冷笑を浴びせました。
それ以降、ドゥテルテはダバオから犯罪を一掃するために数々の取り組みを行いました。そして今、ダバオは大きく様変わりしました。今日ではダバオは「フィリピンでもっとも安全な街」といわれています。
たとえばダバオでは、女性が夜中に一人で歩いても平気な街とされています。それは日本では当たり前の光景ですが、これがフィリピンとなると奇跡ともいえるほどの偉業です。
また、タクシーのなかで財布を落としても、ダバオでは持ち主の元へ返ってくると言われています。これもフィリピンでは考えられないことです。
ダバオの治安がよくなったことで、外資企業の進出も促進されました。ドゥテルテが積極的に外資の誘致を進めたこともあり、ダバオにはコールセンターなどが多く設立され、フィリピンにおけるBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の拠点の1つとなっています。
ドゥテルテがダバオ市の市長となったことで、ダバオの治安は劇的に向上し、外資の進出によって経済的にも豊かになりました。
こうした実績を目の当たりにしたフィリピンの人々は、ドゥテルテが大統領になれば、フィリピン全土をダバオ市のように変えてくれるかもしれないと期待したのです。
しかしながら問題は、「ドゥテルテがダバオ市の治安を回復するために、なにをしたのか?」にあります。
ドゥテルテはダバオでなにをしたのか?

フィリピンでもっとも治安が悪い街を、フィリピンでもっとも安全な街へ変えるために、ドゥテルテはどんな魔法を使ったのでしょうか?
交番を設置したり、警察官を増やすなどごく一般的な治安対策を行うだけでは、これほど劇的に治安が向上するわけがありません。
ダバオ市の治安が回復する原動力となったのは、ドゥテルテが組織したと噂されるDDS(ダバオ・デス・スクワッド)と呼ばれる自警団の存在です。自警団とは、麻薬に関わった人物やレイプや誘拐などの法律違反を犯した人物を、裁判にかけることなく処刑するための組織です。
通常、法治国家では犯罪行為を犯した場合、警察によって逮捕されたあと裁判が開かれ、被告側の弁明を聞いた上で然るべき量刑が言い渡されます。どれだけ凶悪な犯罪を犯していようとも、「犯人にも人権がある」とするのが法治国家の基本です。
ところが自警団には法律を超えた特権が与えられたとされています。彼らは麻薬の密売人や法律違反を犯したと思われる人物のリストを受け取ると、そこに載った人物を探しはじめ、見つけ次第殺して回ったといわれています。
いわゆる私刑執行人ですが、自警団がどれだけ殺人を犯しても、彼らが罪に問われることはありませんでした。
なにやら映画のなかの話のようですが、現実に起きたことです。
警察は自警団との関与を一切否定し、自警団による犯行は麻薬カルテル同士の抗争によるものとの見解を発表しています。
自警団については、フィリピン共産党 (CPP) の軍事組織である新人民軍(New Peoples Army = NPA)の暗殺部隊であるとする報道も一部にはあります。
自警団は3人がひとつのユニットとして行動しますが、その殺害方法が新人民軍の暗殺部隊と酷似していることが指摘されています。また殺害には45口径の拳銃が多く使われていますが、警察が主張する麻薬カルテル同士の争いにしては、わざわざ高価な銃を使うことに疑問の声が上がっています。
ドゥテルテ市長が以前から新人民軍に対し、多額の資金を提供していたことも指摘されています。
自警団の母体についてはたしかなことはわかっていませんが、こうした超法規的殺人がダバオ市で繰り返された結果として、ダバオはフィリピンでもっとも安全な街へと様変わりしました。
そこからは、秩序を回復するために暴力と恐怖が利用される構図が浮かび上がってきます。
誰だって死にたくはありません。ちょっとした軽犯罪であってもリストに加えられたら最後、自警団に見つかり次第殺される運命にあります。恐怖は人を従順にします。
アメリカのハーバード大学の準教授である精神科医ジュデイス・ハーマンは著書「心的外傷と回復」のなかで「苛めは反発を呼ぶが、徹底した残忍な殺戮や拷間の恐怖は逆に従順さを生む」と書いています。
つまり、殺されるかもしれないという恐怖が、ダバオから犯罪を締め出したといえるでしょう。
自警団をめぐる謎と疑惑
自警団については、未だに謎が多く残されています。ドゥテルテが自警団を組織したり、自警団に非合法な殺人を許可したという噂はあるものの、それを証明する公的な証拠はありません。
しかし、2016年9月には、自警団のメンバーだったとする男性がフィリピン上院議会で証言をしています。
上院議会で開かれたドゥテルテ大統領による犯罪取締に関する調査委員会において、この男性は「私はヒットマンだった」と証言し、ドゥテルテ大統領がダバオ市長時代に超法規的な殺害を指示したことで、自警団は1988年から2013年までの25年間におよそ1,000人の犯罪者を殺害したと語りました。
彼はまた、犯罪者たちは射殺・絞殺など「ニワトリのように殺された」と証言しています。この男性は司法省の証言者保護プログラムの適用を求め、今も保護されているとのことです。
2016年12月には、ドゥテルテ大統領自身が企業関係者を前に行った演説において、ダバオ市長を務めていた2013年から2016年の間、警察官に見本を示すために「大型バイクに乗って容疑者を捜し回り、3人を殺害した」などと語ったことで物議を醸しています。
ドゥテルテ大統領はのちにこの発言を撤回していますが、国連のゼイド人権高等弁務官はドゥテルテ大統領の発言に対して2016年12月20日、フィリピン司法当局に殺人事件として捜査に着手するよう求める声明を出しています。
ドゥテルテがダバオ市長時代に行ったとされる超法規的殺人については、「独裁者が殺し屋を雇って街を浄化した」と批判する声も上がっています。
大統領選への出馬

ドゥテルテは大統領選挙の際の演説においても、ダバオと同じようにフィリピン全土の治安を回復すること、汚職を追放することを、国民に向けて強烈にアピールしました。
その発言はときに過激でした。
「麻薬密売人や凶悪犯は殺してやる、待ってろ!」と強面の顔ですごむドゥテルテは、フィリピンのテレビに何度も繰り返し登場しました。
「大統領になれば、国民を不幸にする人間を皆殺しにする。人数は5万人、10万人に増え、(遺体の遺棄で)マニラ湾の魚は肥え太るだろう」
「ダバオで殺害された1000人が(フィリピン全土では)10万人になる」
それでもフィリピン国民はドゥテルテ大統領を選びました。ドゥテルテ大統領が実際になにをするのかは不透明なものの、国民の大多数はフィリピンに変革を求めたからです。
財閥を中心とする一部の富裕層とその他大勢の貧困者に、フィリピンは二分されています。財閥の出身者が支配する社会のいびつな構造に対して、フィリピン国民の多くは不満を抱え、怒り、拒絶の意を表したのです。
ドゥテルテは財閥ではなく、ごく普通の中産階級の出身です。財閥と関係ないドゥテルテであれば、そのやり方は強引かもしれないけれども、きっとフィリピンを変えてくれるに違いないと、多くの国民が期待を寄せています。
こうしてドゥテルテは、フィリピンにわだかまるフラストレーションに押されるようにして、大統領の座へと駆け上がりました。
大統領当選後の麻薬撲滅戦争

ドゥテルテがフィリピンの次期大統領に決まると、就任前から過激な発言を繰り返しました。
「やつら(犯罪者)が君たちの近所にいたら、遠慮なく警察かわれわれに通報してくれ。もし手元に銃があれば、自分でやって(撃ち殺して)いい。私が支持する」
「そいつが死ぬまで戦う気なら、殺して構わない。その人には私から勲章を授けよう」
「麻薬に手を出したやつは殺す。本当に殺すからな」
さらにドゥテルテは報奨金にもふれ、「麻薬組織の幹部を殺害した場合は500万ペソ(約1157万円)、生け捕りの場合は499万9000ペソ(約1156万円)だけだ」とも発言しています。
そうして2016年6月30日に、ドゥテルテがフィリピン大統領に就任するとともに、フィリピン全土で麻薬撲滅戦争の幕が切って落とされました。
ドゥテルテ大統領は就任前に公言していたことを、なんらためらうことなく実行に移しました。このためフィリピンでは今、全国規模で警察官や自警団、そして一般市民らの手によって、麻薬犯罪者や麻薬常習者の殺人が横行しています。
自警団についてはダバオ市のときと同様に、謎に包まれています。ドゥテルテ大統領は民間人の手による殺人を、奨励しても認めてもいませんが、暗黙の了解を与えていると指摘されています。
建前としては、「犯罪者が銃をもって抵抗しようとしたときだけ撃ち殺してもよい」とされていますが、実態は異なるようです。
超法規的殺人の疑い

たとえば2016年9月7日付けのロイター通信の記事には、22歳の輪タク運転手Eric Sisonさんの死について報道されていました。
深夜1時頃、Sisonさんが友人たちと露店で酒を飲んでいるとき、警官が突然駆け寄ってきました。Sisonさんは身の危険を感じ、路地裏に逃げ込みました。
そのときの様子を偶然近くにいた住民が、携帯電話で撮影していました。
警察官
「撃つぞ。」住民
「彼は、けがしているよ。」警察官
「じゃまするな。」エリック・シソンさん
「わかった、もう逃げないよ。」警察官はシソンさんに、14発もの銃弾を浴びせました。
警察は、シソンさんが銃を持っていたからだとしています。
しかし、シソンさんの妻は、夫が警察に不当に殺されたと訴えています。シソンさんの妻
「夫は麻薬を使うことはない、まじめな人でした。
どうして殺されたのか、わかりません。
夫は抵抗していなかったのに射殺されたのです。」

この動画はソーシャルメディアを通して拡散されました。
Sisonさんの棺の近くには、「Eric Quintinita Sisonのために正義を」と訴えるポスターがあり、手書きで「過剰殺戮。Ericのために正義を」との文言が添えられていました。
ロイター通信には、9月12日に射殺された輪タク運転手、ネプタリ・セレスティーノさんの記事も掲載されています。
セレスティーノさんが寝室で寝ていたところに、警察が突然、踏み込んできました。
以下はNHKの「クローズアップ現代」の報道です。
セレスティーノさんの母
「警察は『覚せい剤はどこだ』と聞きました。
息子は寝た状態で『もうやめたよ』と答えました。
なのに射殺されたのです。」この時も警察は、相手が銃を持っていたため、射殺したといいます。
しかし母親は、警察がうそをついていると主張しています。セレスティーノさんの母
「息子は寝ていたのに、どうやって抵抗できたのでしょうか?
本当に銃を持っていたのなら、証拠を見せてほしいです。
息子は更生するためにセミナーに参加していました。
警察がこんなことまでするとは、想像もできませんでした。」

「クローズアップ現代」の記者はこの後、フィリピン国家警察のカルロス報道官にインタビューを行い、「警察による不当な殺害が横行しているのではないか?」と質問しています。
それに対してカルロス報道官は答えています。
「現場の担当官に聞きましたが、不当な殺人は、1つもないと言っています。不当だというなら、具体的な目撃証言や証拠を見せてほしいですね。」
Sisonさんが銃殺された動画には、Sisonさんの声や銃声などの音声は記録されているものの、撮影された角度が悪く、Sisonさんが銃を持っていたのかいなかったのかはわかりません。
また、セレスティーノさんの場合は、現場で一部始終を見ていたセレスティーノさんの母親と警官の言い分が180度異なっています。どちらかが嘘をついていることになりますが、その真相は闇のなかです。
こうした事例はいくつかあげられていますが、それがレアなケースに過ぎないのか、それとも氷山の一角であるのか、これもわかりません。
たしなことはフィリピンでは今、連日のように麻薬撲滅戦争による殺人が発生し、死体の山が築かれつつあるという事実だけです。
2016年の死者数とあふれかえる刑務所

現地メディアのラップラーが国家警察の統計を発表しています。大統領就任直後の7月1日から12月31日までの死者は6,216人。このうち警察の手にかかった死者は2,167人。自警団などが麻薬密売人や中毒者だとして殺害した死者は4,049人とされています。
殺害された人の多くは、歩道や排水溝に放置されます。遺体の近くには、その人物が麻薬取引にかかわっていたと書かれたボール紙が残されます。こうした写真は連日、地元メディアによって報道され、遺体を写した画像はニュースサイトに盛んに投稿されています。
こうした動きを受け、殺されるよりはましと考える多くの麻薬関係者が警察に自首してきたため、フィリピンの刑務所は今、囚人であふれかえっています。フィリピン当局によると、60万人もが自首してきましたが、どこの刑務所も定員オーバーのため、大多数はまだ収監されていないとのことです。
たとえば、マニラにあるケソン市刑務所では800人収容のところ、現在は3,800人が収監されているために寝る隙間もなく、囚人たちは交代して眠っています。
便乗殺人という悲劇
麻薬撲滅戦争による死者が増えるなか、さまざまな問題が噴出しています。そのひとつは、犠牲者は明らかに社会的地位の低い貧困者に偏っていることです。
フィリピンでの麻薬ビジネスの根は深く、警察や政治家のなかにも麻薬で手を汚している者が相当数いるといわれています。
そのため、警官のなかには口封じをかねて、麻薬ビジネス関係者の殺人を行う者もいると噂されています。フィリピン国家警察のロナルド・デラローサ(Ronald de la Rosa)長官は、麻薬撲滅戦争の下では、たとえ富裕層や大物政治家であっても犯罪者であれば、警察当局は殺害を辞さないと述べています。
身内に対しても厳しくあたっており、「我々の大義を裏切る同僚はなおさら殺害した方がいい」とも発言しています。
しかし、実際に殺害されたほんとどの人々は、社会の末端にいる貧困者です。弱者ばかりがターゲットとされる現実があります。
便乗殺人の実態

便乗殺人の増加も深刻な問題となっています。前述のフィリピン国家警察のデラローサ長官は12月8日、調査したところ、麻薬犯罪絡みだとみられていた殺人事件約3,500件について、その約3分の2は麻薬とは無関係であり、「麻薬戦争に便乗したものだった」との声明を出しました。
この調査は国家警察の監視委員会によって行われたものです。ドゥテルテ政権発足後の7~11月に報告された殺人事件3,524件を調べた結果、麻薬密売人や麻薬の使用者がかかわった事件は、1,081件に過ぎないと報告しています。
では、残る3分の2の人は、なぜ殺されたのでしょうか?
デラローサ長官は「2千件以上は個人的な理由による殺人。プロを雇った殺害もありうる」と述べました。
麻薬撲滅戦争による超法規的殺人が、便乗殺人を呼び込むことは事前に十分に予想できたことといえるでしょう。人を殺害しても、その死体の近くに麻薬関係者であることを漂わせる書き込みを残せば、事実上捜査が一切行われません。
あまりにも殺人事件が多すぎるため、そのひとつひとつを捜査する余裕などフィリピン警察にはありません。その意味では現在のフィリピンは、無法地帯に近い異常な状態といえるかもしれません。
もし、フィリピンにおいて、なんらかの怨恨や金銭のトラブルなどで人を殺めたとしても、麻薬撲滅戦争中であれば、罪に問われることはありません。遺体のそばに「密売人」などと書いた紙をおいておけば、それだけで捜査は打ち切りとなります。
このような状況下で、便乗殺人が発生しないわけがありません。
人違いによる殺人や、麻薬犯に向けて発射された銃弾が無関係の市民を巻き添えにする悲劇も起きています。
ことに警察組織ではない自警団の場合、リストに載った人物を見つけ出しては殺害するため、人違いによる殺人が頻発しています。

2016年8月にはフィリピン北部パンガシナン州ダグパンにおいて、5歳のダニカ・メイ・ガルシアちゃんは家族が経営する店舗のなかで、バイクに乗った2人組の男に射殺されました。
ダニカちゃんの祖父マキシモ・ガルシア氏が麻薬使用の容疑に問われていたため、ダニカちゃんは祖父のガルシアさんと間違えて射殺されたと見られています。
バイクの上から射殺するのは自警団の代表的な手口です。しかし、警察は撃ったのは自警団とは限らないとし、警察の報道官は「子どもたちの死の責任を麻薬撲滅作戦に帰すべきではない」と述べました。
涙を誘った1枚の写真「ピエタ」
麻薬撲滅戦争にまつわる便乗殺人を語る上で、欠かすことのできない写真があります。報道写真家のレノマさんが撮影したその写真は、フィリピンでは「ピエタ」と呼ばれています。

ピエタはルネサンスの巨匠であるミケランジェロの彫刻作品です。処刑後に十字架から降ろされたキリストを抱きしめる聖母マリアの慟哭が、見る者の涙を誘う名作です。
2016年7月22日の夜、三輪タクシーの運転手マイケル・シアロンさんが、オートバイに乗った何者かにマニラの路上で射殺されました。シアロンさんの遺体の横には「麻薬密売人」と書かれた段ボールの一片が残されていました。
まもなく、シアロンさんの妻であるジェニリン・オライレスさんが現場に駆けつけました。彼女は夫の遺体を胸に抱きしめ慟哭しました。その姿を前にして、多くの写真家がシャッターを切りました。
そのとき、オライレスさんは泣き叫びました。
「写真を撮っていないで、私たちを助けて」
そのときのことを、写真を撮影したレノマさんと一緒に現場にいたフランスの通信社AFPのカメラマン、ノエル・セリスさんが語っています。
我々は大きく動揺した。何人かは、さっと撮影をやめた。我々の多くが「なぜこんなことをやっているんだ?」と自問し始めた。我々はまるで死体にたかるハゲワシのようだった。
我々はその夜、食べることができなかった。帰りの車中、言葉を交わせなかった。助けることができなかったことに、誰もが罪悪感を覚えていた。その後、あの現場にいた地元紙のフォトグラファーは深夜の「墓場シフト番」から外れた。
▶ 引用元: https://www.afpbb.com/articles/-/3098998

その夜、マニラでは6人が殺されました。シアロンさんは、その3人目の犠牲者でした。
ときに1枚の写真は1000もの言葉よりも能弁に、真実を語ります。この写真がフィリピン・デイリー・インクワイアラー紙の一面に掲載されると、フィリピン国内で大きな反響を呼びました。
妻のオライレスさんは政府を強く非難しています。シアロンさんは平凡な三輪タクシーの運転手に過ぎず、人を傷つけたことはなく、麻薬の売人でもないと擁護しています。
「夫はドゥテルテ氏に投票までしたのに・・・・・・」
射殺されたシアロンさんを抱き締め嘆き悲しむオライレスさんの写真を見たドゥテルテ大統領は議会にて、「キリストの死体を抱く聖母マリアのように報じている」とメディアに皮肉を投げつけ、「メロドラマ」のようだと語っています。
のちにオライレスさんは、ロイターの記者に次のように語っています。
「社会の同情はいらない。大統領に知ってもらう必要もない。夫はこうした人たちが好きではなかった。でも私はただ、彼らに本当の犯罪者を捕まえてほしいだけ」
ドゥテルテ大統領にメッセージがあるかと聞かれたオライレスさんは、「人ではなく、ドラッグを撲滅して」と語りました。
【第二話】実はドゥテルテ大統領は数千人も殺していなかった!フィリピンメディアが誘う数字のミスリード
【第三話】ドゥテルテ大統領の失脚を狙う2人の女性政治家 その狙いとは?
【第四話】ロペス財団VSマルコスから見る、フィリピン麻薬撲滅戦争の今後の行方