フィリピン人海外出稼ぎ労働者は国家の英雄か、捨て石か?第2部全3回の第1回目です。
第1章 国境を越えるのは家族への愛ゆえ
第1部ではフィリピンの海外出稼ぎ労働の事態について、様々な角度から紹介してきました。第2部では、海外出稼ぎ労働がもたらしている問題点について探っていきます。
1.誰のために国境を越えるのか?
1-1.海外出稼ぎ労働者が抱える深刻な矛盾
海外で働くということは、けして容易なことではありません。ほとんどのフィリピン人が英語を流暢に操れるため言葉には困らないものの、文化や価値観が
まったく異なる異国での労働は精神的にも肉体的にも、きついものがあります。
さらにフィリピン人を苦しめるのは、程度の差こそあれ、どの国でも差別と偏見が待ち構えていることです。フィリピン人だからと言う理由で差別されるわけではありません。フィリピンに限らず、経済的に貧しい国から来た労働者が経済的に豊かな受け入れ国の雇用側から差別されることは、昔から繰り返されています。
それでも多くのフィリピン人労働者は、より良い賃金、より良い暮らしを求めて海を渡ります。出稼ぎ労働者の抱える事情はさまざまですが、自分のためだけに海外に出て行くわけでないことは、全員に共通しています。
フィリピン人が海外就労を目指すのは、ひとえに家族のためです。その地での最下層の仕事とわかっていても、激しい偏見と差別にさらされるとわかっていても、親兄弟や子供の生活を支えるためであれば、自分が犠牲になることをフィリピン人はいといません。
ほとんどのフィリピン人にとって、価値観のトップを占めるのは「家族」です。家族への思いはなによりも優先されます。家族愛が深いがゆえに、フィリピン人は国境を越えるのです。
しかし皮肉なことに、家族への愛ゆえに海外出稼ぎを選択することで、家族との別離が待っています。第3回で紹介したように家族のなかで海外出稼ぎに赴くのは若いお母さんや、お父さんです。生活のためとはいえ、まだ幼い子供と数年に渡って離れて暮らすことは、家族をなによりも大切にするフィリピン人にとって身を切るような辛い選択です。
ほとんどの海外就労者は「家族愛が深いからこそ家族と離れて暮らさなければならない」という矛盾を抱えています。
1-2.ときには命をかけてまで
フィリピン人の家族愛の深さが自己犠牲をもいとわないことは、すでに紹介しました。それはけして言葉のあやではありません。ときには家族への思いの強さが、自らの命までも本当に犠牲にすることがあります。
たとえばイラン・イラク戦争です。泥沼化したイラン・イラク戦争は、1982年頃からイラン・イラク双方ともにペルシャ湾内を航行するタンカーを無差別攻撃するようになりました。双方ともに相手国の石油輸出を阻もうとしたためです。
無差別爆撃によって多くのタンカーが沈没、あるいは破壊され、あまたの船員が命を落としました。その結果、ペルシャ湾内を航行するタンカーは激減しました。
しかし、石油輸入は先進国にとっての命綱です。危険とわかっていても、ペルシャ湾に向かわざるをえません。ところがタンカーを出したくても、出せない事情がありました。
乗組員が乗船を拒否したためです。無理もありません。「運が悪ければ生きて帰れない」という生やさしいレベルではなく、「運が良ければ無事に帰ってこられる」といった状況です。命をかけてまで仕事をまっとうしようとする船乗りがいないのも、当然といえるでしょう。
当時は特にイラクの航空戦力が恐れられていました。ミラージュ戦闘機から放たれた高性能エクゾセ・ミサイルに狙われ、乗組員を乗せたまま海の藻屑と消えるタンカーはあとを絶ちませんでした。
乗組員を確保するため、賃金は黙っていても跳ね上がりました。ことにイランで石油を積みペルシャ湾を渡るタンカーに対しては、特別ボーナスが出されました。一回の航海だけで数万ドルものボーナスが支給されたのです。
どれだけお金を積まれようともほとんどの船乗りが尻込みするなか、フィリピン人だけは危険な業務に自ら身を投じる者が相次ぎました。命をかけてでも、一攫千金を狙いたいと希望するフィリピン人船乗りが多かったのです。
通常の何倍もの稼ぎがあれば、それを送金することで家族の暮らしが一気に上向きます。家族の幸せのためなら、命をかける価値が十分にありました。
こうして戦火に包まれたペルシャ湾を航行するタンカーの乗組員は、フィリピン人が大半を占めました。船長はもちろん、乗組員全員がフィリピン人というタンカーも珍しくありませんでした。
フィリピン人船乗りのなかには、生きて帰れなかった者も多数います。イラン国営タンカー公社の本社ビルのロビーには、勇敢に死んでいった船乗りたちの遺影が掲げられています。そのなかのほぼ半数がフィリピン人の遺影です。
経済格差はときに命の重さに直結します。第1回で、かつて貧しかった日本人労働者が断崖絶壁で知られるフィリピンのバギオの道路建設に従事し、ほぼ半数の人々が亡くなったことを紹介しました。
貧しい国の人々が高額報酬と引き替えに命を差し出す構造は、昔も今も変わりありません。家族に楽をさせたいという思いが、あらゆる恐れを克服します。
フィリピン人が家族を思う気持ちは、ときには自分の命までも犠牲にするほどに強いのです。
2.海外出稼ぎを助長するフィリピンの家族制度
2-1.血縁がすべてではない
命を賭してまで家族のために尽くすのが当たり前という文化が、フィリピンには根付いています。このあたりの感覚は、日本人にはなかなか理解できません。そこで、フィリピンの家族制度について深掘りしてみましょう。
フィリピンでも核家族を中心に家族が構成されているのは、日本と同じです。しかし、父方の親族と密接なつながりをもつ日本の家族制度とは異なり、フィリピンでは血縁の濃さは、あまり重要視されていません。父系性の習慣もないため、父方と母方の親族を分け隔てることなく、親族のネットワークが広く放射線状に広がることが一般的です。
日本では血縁が優先されるため、いわゆる親戚付き合いのような親密なつながりが維持されます。ところがフィリピンでは親族が幅広く存在するだけに、血縁の近さによって付き合いが親密になることもあまりありません。
では、フィリピンでは何をもとに親密な関係が生まれるのでしょうか?
それは、経済的メリットです。相互にどれだけ経済的に助け合えるかによって、緊密な関係が維持されています。
家族にしても日本とは異なり、血縁関係のみで構成されるわけではありません。もしあなたにフィリピン人の友人ができ家に遊びに行ったとすれば、狭い家に大人数の家族がひしめき合っていることに、まず驚くことでしょう。
さらに一人ひとりを紹介されたとき、友人との血縁関係がさっぱりわからないことに再びびっくりするかもしれません。
親兄弟や従兄弟、叔父や叔母という単純な関係ではない人も、家族のなかには混じっています。いわゆる遠い親戚のおじさんやおばさんですが、よくよく聞いてみると血縁関係があるかどうかさえ怪しい人もいます。
このような複雑な家族関係は、貧困層ほどよく見られる光景になっています。フィリピンでは血縁関係のみで家族が構成されているわけではありません。血縁関係がなくても、一定の条件を満たすことで家族の一員として迎え入れられます。
その条件とは、社会生活において相互に助け合える関係にあることです。相互扶助は家族としての義務です。血縁が薄かろうと相互に助け合う関係を維持できるのであれば、家族として受け入れられます。
フィリピンの家族制度は血縁がすべてではないのです。
2-2.恩返しと義務と恥
貧富の格差が大きく経済的に苦しい状況にあるフィリピンでは、誰からも援助を受けることなく自立して生活することは、ほぼ不可能です。生活のためには相互に助け合うことが、どうしても必要です。
しかし「相互扶助」といえば聞こえはよいものの、ある一時期を取り出してみれば、どちらかがどちらかに一方的に助けてもらう関係になりがちです。それは「依存」以外の何ものでもありません。
幼い頃から大勢の家族に囲まれ、手厚い保護を受けて育ってきたフィリピン人の多くは、誰かに依存することに慣れています。少なくとも依存自体を悪いことと捉える文化がありません。
私たち日本人の感覚からすれば依存は甘えであり、精神的な弱さや未成熟を意味します。ところが、フィリピンでは経済的に貧しい者が裕福な者に依存するのは当然のことであり、依存したからといって非難されることはまずありません。
むしろ、家族や親族から頼りにされているのに保身のために拒絶すれば、拒んだ側が周囲から非難されることが多々あります。
拒む側にも経済的な余裕がないなど周囲が納得できる事情があるならまだしも、助けてあげられる状況にあるにもかかわらず拒むと言うことは、相互扶助の輪のなかから抜け出すことを意味します。それによって、家族や親族の集団から排除されることもあります。
少なくとも自分が幼い頃より家族・親族のなかで育てられた以上は、その集団に対する恩義があるとフィリピン人は考えます。それを utang na loob と呼びます。直訳すれば「内面的な借り、恩義」です。
受けた恩は返す、それがフィリピンの絶対的な価値観です。一方、受けた恩義を返せないことを hiya(恥) と捉えます。「恥」という観念は日本でもなじみ深いことを考えると、日本とフィリピンの価値観には案外近いものがあるのかもしれません。
このヒヤ文化こそが、フィリピンの社会的心理の中核を為すと考えられています。恩を受けた以上は相手に対して自発的に、その恩義に対するお返しを示すことがフィリピンにおける暗黙の了解です。
フィリピンの家族制度もまた、こうしたヒヤ文化のもとに維持されています。家族や親族の誰かが援助を必要とするときに助けようとしなければ、walang hiya(恥知らず)と後ろ指を指されます。
フィリピン社会のなかで生きていくためには、恩義を返すことがなによりも優先されます。傍から見ると相互扶助というよりも一方的な依存関係であっても、フィリピンでは道徳的にけして間違ったことではなく、先祖代々守られてきた文化なのです。
幼い頃からヒヤ文化のなかで育ってきたフィリピン人は、家族という集団に対する恩義を返すことを自らの義務と捉え、そのためには自己犠牲さえいといません。
家族への帰属意識は生涯、消えることはありません。たとえ結婚などで海外へ移住したとしても、ヒヤ文化から抜け出せはしません。地理的にどれだけ離れていようとも、フィリピン人の家族に寄せる思い、そして「恩義と恥の価値観」が消えることはありません。それが消えるなら、もはやフィリピン人ではないからです。
フィリピン人が時には命を犠牲にしてまで海外で働き、小まめに送金を続けるのは、家族愛の強さとともにヒヤ文化が浸透しているからこそです。
3.海外出稼ぎがもたらす家族崩壊
3-1.広がる夫婦間の亀裂
フィリピン人は家族への愛ゆえに国境を越えます。しかし、長期にわたって家族と離ればなれになることで、家族崩壊という悲劇が繰り返されています。フィリピンではほぼ毎日のように新聞やテレビを通して、この手の話題が報じられています。
なかでも最も多いのが浮気です。よくある典型的なパターンは次の通りです。
海外出稼ぎによって妻から送金されるようになると、夫は一切仕事をしなくなります。自分の稼ぎの何倍もの送金を受けられるため、汗水垂らして働くことが嫌になる気もわからないでもありません。
仕事をしなくなった分、子供の面倒を見るのかと思いきや子供はほったらかしです。大家族ゆえに自分が面倒を見なくても、他に世話をしてくれる家族がいくらでもいるからです。
仕事もせず、子供の面倒も見ないとなると、夫は暇をもてあまします。そうなると朝から酒を飲んだり、浮気をして愛人を作るようになるわけです。
もっとも「浮気」ですめば、まだましです。フィリピン人男性の場合、浮気のつもりが本気になり、妻から受け取る海外送金を愛人に注ぎ込むことがよくあります。
海外で必死に働いた妻が帰国してみると、家はボロボロのままで新しい家具も電化製品もないどころか、夫が妻の海外送金を当てにして借金を作り愛人に貢いでいた、などという笑えない話も、よく耳にします。
ニュースやテレビ番組、ちょっとした噂話などを聞きかじっていると「フィリピンの男性は日本人男性以上に浮気性なのかも」といった印象を受けます。
夫婦がともに暮らしていても浮気が絶えないのに、まして妻が海外に出て数年間も離ればなれになればどうなるのかは、容易に想像がつきます。
ただし浮気は、夫だけにつきまとう問題ではありません。夫が海外で出稼ぎをしている間に、妻が浮気をするケースもよくあります。離れて暮らす寂しさが、夫と妻双方の浮気を加速させています。
家族のためにと思って海外に働きに出たのに、その間に夫婦関係がもはや修復できないほどに壊れてしまうケースは案外多いのです。
3-2.子どもたちに与える情緒的なダメージ
海外就労によって夫婦間に亀裂が生じることもありますが、もっと大きな問題は父や母と離れて暮らさなければいけないことで子供たちがこうむる情緒的なダメージです。
ことに母親が長期に渡って不在となると、残された子供が幼ければ幼いほど深刻な問題を引き起こします。
母親が数年間に渡って海外に出ていても、フィリピンでは家事や育児で困ることはありません。大人数で同居しているため、母親に代わって家事や育児を担ってくれる家族はいくらでもいます。あるいは家政婦を雇うことも、海外出稼ぎ者の家庭ではごく一般的なことです。
そのため、母親がいなくても子供たちが生活する上で困るような事態は起きません。むしろ周りの人々が必要以上に世話をやくことで、子供が甘やかされて育つこともよくあります。
出稼ぎ世帯の子供たちは、そうでない世帯の子供たちと比べて経済的に豊かです。美味しいものを食べ、きれいな衣服をまとい、最新のおもちゃを買い与えられ、経済的にはなに不自由ない暮らしをしています。
しかし、経済的にどれだけ恵まれていようとも母親の愛情を身近に感じられないことは、子供にとって苦痛です。幼ければ幼いほど、子供たちは物よりも母親の愛情を求めます。直に接触しなければ得られない愛情も多々あります。
毎日の面倒を見てくれる大人がどれだけ多くいても、母としての愛情は母親本人でなければ与えることはできません。自分のために働いてくれていると頭で理解はしていても、側にいてほしいときに母親がいない寂しさはぬぐいようがありません。
子供が情緒的に不安定になることで、非行の問題も少なからず起きています。経済的な豊かさと引き換えに父や母と離れて暮らすことが、果たして子供たちにとって本当に幸せなことなのかどうかは難しいところです。
ちなみに、北イカロス地方で海外出稼ぎ世帯の子供たちとそうでない子供たちを対象として行われた調査によると、出稼ぎ世帯ではない子供たちの15%が「とても幸せ」と答えたのに対し、出稼ぎ世帯の子供たちはわずか10%に留まっています。
それでも、父や母が海外に出稼ぎに出るからこそ子供たちが大学まで進学できることも、またたしかなことです。感謝はしていても寂しさは我慢しなければならないという現実に、多くの子供たちが耐えています。
さらに問題となっているのは、近年になって増加している子供に対する虐待です。2017年12月に、海外にいる出稼ぎ労働者やミンダナオに戻ってきた元海外出稼ぎ労働者、またその家族を支援する活動を行っているNGO団体であるMMCEAIが、ミンダナオで行った調査結果が公表されています。
それによると2014年から2017年の半ばまでの間に、海外出稼ぎ労働者の子供たちのうち132人が様々な虐待を受けていました。MMCEAIの代表であるエレント氏は、性的虐待・近親相姦・早期の性的関係・ティーンネイジャーの妊娠・大人からの育児放棄・中途退学・言葉の暴力などが報告されたと述べています。
「OFWの子供たちは、親に会いたくて、離れて暮らしていることに大変苦しい思いをしています。彼らは、親が近くにいないことにより、肉体的、精神的、情緒的に虐待を受けるリスクが高いです」と、エレント氏は注意を促しています。
家族愛が深いことで知られるフィリピンですが、それでも様々なことが要因となり子供たちへの虐待が起きています。海外出稼ぎによって親と離れて暮らすことで、子供たちが虐待にさらされるリスクが高まっています。
3-3.母として父として何ができるのか
子供たちが寂しい思いを募らせる一方で、海外に出稼ぎに赴く父親にしても母親にしても、愛する家族と離れることで大きな悲しみを抱えています。
しかし、家族と地理的に離れたからといって、父として母として家族のために果たすべき役割が消えるわけではありません。ことに母親を中心とする家族観で成り立つフィリピンでは、遠く離れてもなお母親は子供の養育責任を負い、さらに家族を支える稼ぎ手としての役割も果たすことを求められます。
海外就労した母親のほとんどは、家族のために生活費や子供の教育費を送金するとともに、定期的に子供に電話をかけたり、FacebookやLINE、Skypeなどのコミュニケーションツールを使うことでメッセージのやり取りを欠かしません。
フィリピンではネットを使ったSNSの利用が、とても盛んです。ロンドンに本社を置くソーシャルメディア・コンサルティング企業 We Are Social 社が統計をまとめた「Digital in 2017 GLOBAL OVERVIEW」によると、1日あたりのインターネット利用時間が世界でもっとも多いのはフィリピンでした。SNSに費やす時間が世界一多いのもフィリピンです。
国民の大半が貧しい生活を送るフィリピンにおいて、これほどまでにネットとSNSの利用率が高いのは、海外に出て行った家族や親族、友人たちとつながるためです。
たとえ海を挟んで遠く離れているとしても、母と子の絆を保つために母親は涙ぐましいほどの努力を続けています。しかし、言葉や声のやり取りだけでは限度があります。
折に触れて子供を気遣うことで表面上は親子関係が上手くいっているように見えても、物理的な遠さは親子の思いに微妙なすれ違いを生じさせます。
母親はどうしても離れたときの年齢のままに子供と接してしまうため、我が子が成長している感覚をなかなかつかめません。わかりきった細かい注意を繰り返すことで、子供の気分を損ねることもよくあります。
母親がどれだけ小まめにメッセージを入れても、子供にしてみれば「どうして側にいてくれないの?」という思いをぬぐえません。そうした寂しさが母への不信感を募らせることもあります。
子供が寂しい思いをしているとき、すぐ側で抱きしめてあげることはできないけれども、父として母として何ができるのか、海外出稼ぎ労働者の悩みは尽きません。
家族への思いは、ともに過ごす時間の長さによって育まれます。海外出稼ぎ労働がもたらす家族との別離は、家族同士のすれ違いをもたらし、ときには家族の崩壊や親子の断絶を招きます。
「できることなら家族と離れたくない」、家族を何より大切にする文化をもつフィリピン人であれば、誰でもそう思っています。そうした悲しみを振り払い、多くのフィリピン人が今、この瞬間にも海外へと旅立っています。
4.海外出稼ぎを繰り返さざるを得ない悪循環
契約期間が終わり、帰国してようやく家族との再会を果たせる海外出稼ぎ労働者の喜びはひとしおです。しかし、帰国後も彼らは大きな問題を抱えています。
定期的に海外送金を受けていた世帯の多くは、以前に比べて経済レベルが格段と上がっています。出稼ぎ労働者が家に戻ってみると、真新しい冷蔵庫・テレビ・洗濯機などの家電製品があふれ、家の建て替えが行われていることもあります。
第1部の3回目で紹介したように、海外送金のほとんどは住宅の建設費や家具・家電製品の購入などに消費されています。お金が入ってくると、後先のことは考えずに使い切ってしまうのがフィリピン人の気質です。
そのため、海外から帰国してもたいした蓄えもありません。海外送金を受けている家庭の多くは生活にゆとりが生まれるため、仕事を辞めて送金に依存しきった日々を送っています。
ところが出稼ぎ労働者が帰国したからには、当然ながら海外送金は一切入ってこなくなります。そうなると収入がまったく途絶えるため、たちまち生活に窮してしまいます。
結局のところ、海外出稼ぎ労働者は帰国してもなお自分が働くことで、家族を養わなければなりません。家族が食べていくために休む間もなく、仕事を探す羽目に陥るのです。その精神的な重圧には、大きなものがあります。
しかし、国内でまともな仕事に就ける可能性は、ほぼありません。仕事がないからこそ海外に働きに出たのに、数年経ったからといってさほど状況が変わるはずもありません。
仕事を選ばなければ非正規で働くことも可能かもしれませんが、海外での高額な賃金に慣れれてしまうと、今さら安い賃金で働く気も失せてしまいます。
国内には相変わらずまともな仕事がなく、家族はすっかり海外送金に依存するようになり自立心を完全に失っています。そうなると、選択肢はただひとつです。
再び海外で働くより、家族を救う手立てはありません。帰国して子供といっしょに暮らせるようになったのも束の間、子供たちの生活を守るために再び海外出稼ぎを決意することになります。
こうして一度海外に働きに出ると、帰国、再び海外出稼ぎ、帰国、またまた海外出稼ぎという悪循環から、抜け出せなくなることが一般的です。
二度、三度と海外出稼ぎを繰り返すごとに家族と離れて暮らす年月が積み増しされ、家族間の思いのすれ違いや家族崩壊のリスクもまた否応なしに積み増しされることになるのです。
次回は、クウェートで起きたフィリピン人メイドの殺害事件を中心に、中東で繰り返される虐待問題について紹介します。