数回に分けてお届けしている、ドゥテルテ 対 カトリックシリーズ第三弾は、フィリピンと同性愛、そしてドゥテルテ大統領を支える「イグレシア・ニ・クリスト」について解説していきます。
離婚や中絶に厳しいカトリックのフィリピンなのに、なぜ?同性愛に寛大なのか?
カトリックなのにストリートチルドレンが多いわけ、そしてローマ法皇訪問時に起きた出来事とは?
1.カトリックとフィリピン人の不思議な関係
離婚や中絶の禁止など、フィリピン人の日常にカトリックの教えはしっかりと溶け込んでいます。フィリピン人がいかに熱心にカトリックを信仰しているかは、これまでに紹介した通りです。
しかしフィリピンの人々は、カトリックの教えをすべて無批判に受け入れているわけではありません。欧米のカトリック信者から見ると、フィリピン人のカトリック信仰は一風変わったように映るようです。
フィリピン人のちょっと変わった信仰ぶりを紹介しましょう。
1-1.同性愛には厳しいはずなのに……
カトリックの教えのなかで離婚や中絶と並ぶタブーといえば、同性愛です。カトリックでは同性愛行為は罪深いものとされています。
離婚や中絶の禁止については厳格すぎるほどのフィリピン社会ですが、同性愛についてはどうかといえば、極めて寛大です。
世界的な世論調査を行う専門会社GALLUPが、世界各国を対象に「自分の住む国が”同性愛者”にとって住みやすいか」を調査したデータがあります。この調査は2009年から2013年にかけて、15歳以上の1000人から回答を受けたものです。
その調査によると「自分の国が同性愛者にとって住みやすい」と答えた人は、フィリピンで58%に達しています。
調査したなかでは世界で第22位、アジアでは他国に大差をつけてのダントツの1位という結果でした。
おそらくこの数字の高さは、大多数の日本人にとって意外な結果ではないでしょうか?
ニューハーフが多いタイのほうが同性愛に対して理解があるのかと思いきや、フィリピンの方が同性愛者に対して暖かい視線を向けていることが、データとして示されています。
ちなみに日本は28%で世界第50位、アジアでは第4位でした。
たしかに、フィリピンにはオカマの男性やトンボイの女性が多い印象を受けます。フィリピン社会は同性愛者だからといって差別したり、それを罪深いことと考えるような空気はあまりありません。
同性愛者の親族がいても、フィリピンではそれをひとつの個性として受け入れ、特別扱いしない人が大半のようです。少なくともフィリピン社会には、同性愛を宗教的なタブーとするような偏見はありません。
国民のほとんどが信心深いカトリック教徒の国であるにもかかわらず、フィリピン社会の同性愛者に向ける寛容さは、他のカトリック教国と比べて異質なものを感じます。
1-1-1.フィリピン初のトランスジェンダーの国会議員誕生
先の大統領選の際に、フィリピンではある一人の人物の議会選挙が注目されました。それは49歳になるジャーナリスト、ジェラルディン・ローマンさんです。
ローマンさんは男性として生まれましたが、自分が男性であることに違和感をもつトランスジェンダーであることに気がつき、1990年代に性転換手術を受けました。それ以来、女性として20年間を過ごし、パートナーにも恵まれています。
そんな彼女が、自分がトランスジェンダーであることを公表した上で、マニラの北にあるバターン州の議員になるために自由党から立候補したのです。
フィリピンがいくら同性愛者に寛大であっても、当たり前ながら偏見をもつ人がまったくいないわけではありません。たとえば、元世界ボクシングチャンピオンで議員のマニー・パッキャオ氏です。
パッキャオ氏は「ホモセクシャルは動物であることよりも悪い」と発言し、物議をかもしました。
それでも、この発言に対してフィリピン国内や世界中から抗議が寄せられ、パッキャオ氏は後日謝罪しています。
ローマンさんは選挙遊説中にも暴言を浴びせられましたが、ジャーナリストとしての経験を活かして政策を熱心に語り続けました。
そして、結果は……。
見事に当選を果たしています。フィリピンではじめてトランスジェンダーの国会議員が誕生したのです。ネット上には彼女の当選を祝うたくさんのメッセージが寄せられていました。
こうした事例から、フィリピン人がカトリックの教えにただ盲目的に従っているわけでないことがわかります。
離婚や中絶の禁止が厳格に行われているのは、カトリックの教えだけが一人歩きしているわけではなく、フィリピン固有の文化に根差している面もあるのかもしれません。
1-2.【博愛はどこへ消えたのか?】ローマ法王訪問時に起きたこと
カトリックの教えのなかでなにが最も重要なのかは、見解が分かれるところです。ですが、原罪や博愛が、カトリックの教えの要であることは間違いありません。
では、フィリピンに博愛が根付いているのかと言えば、手放しでその通りとは言えない面があります。家族や友人は大切にするものの、その反面自分と関係ない人々に対しては、案外クールなところがフィリピン人にはあるからです。
ストレートチルドレンが多いのに、たいした対策がとられていないことにも、それが表れています。
2015年1月に、ローマ法王フランシスコ1世がフィリピンを訪問した際にも、カトリックの精神がほんとうにフィリピンに息づいているのか疑問に思える対応が見られました。
イギリスメディア「Daily Mail」の報じた内容は、あまりにも衝撃的でした。
ローマ法王が、フィリピンを訪問したときの様子はテレビでも繰り返し放送されました。でも、今から振り返ると「あれ?」と思えることがあります。
普段はストレートチルドレンがたむろしているはずの路上に、彼らの姿がまったく見えなかったことです。
ローマ法王がフィリピンに滞在する間、ストレートチルドレンたちはどこにいたのでしょうか?
実は政府が子ども保護法を適用して、路上で暮らす幼い子供たちを保護して施設に強制的に収容していたのです。それでも、ほんとうに子供たちが手厚く保護されていたのであれば問題ありません。
しかし、実際は違いました。
「保護」とは名ばかりで、子供たちは罪人同様の扱いを受けていたのです。
ストレートチルドレンたちが収容されたのは、劣悪な環境の留置所でした。それは路上生活よりもはるかにひどい環境でした。
子供たちは檻のなかに閉じ込められ、コンクリートの上で寝るよりありませんでした。食事は床にまかれた残飯を食べ、排泄はバケツのなかで行われました。とても人間としての扱いを受けているようには見えません。
柱に手錠でつながれて泣き叫ぶ13歳の少女や、骨と皮だけになって横たわる幼い少年の写真が公開されたことで、世界中の非難がフィリピンに寄せられました。
大人の犯罪者といっしょに留置所に放り込まれた子供たちもいました。そこでは、子供たちは日常的に大人から虐待を受けていたと報告されています。
留置所の職員はそれを知っていながらも、見て見ぬふりをしていたとレポートされています。
ロサリンダ・オロビア・マニラ社会福祉省署長は、ローマ法王の来訪に備えてストレートチルドレンの多くを強制的に収容した事実を認めています。彼女はその目的について聞かれた際、「町中の見栄えを良くするために行ったわけではない」と言っています。
あくまで「ストリートチルドレンたちが、ローマ法王に対して物乞いする恐れがあったために行った」と主張しています。
「ストリートチルドレンたちが法王の心優しい気持ちを逆手にとり、自分たちの利益のために利用しかねないからだ」と、その正当性について現地新聞社の「マニラスタンダード」紙のインタビューで語っています。
その言葉からは、ストリートチルドレンたちへの博愛精神がまったく感じられません。ストリートチルドレンといえども、自分と同じ人間であるという思いがあれば、こんな非人間的な行為に至ることはなかったでしょう。
ストリートチルドレンたちは、なにも自ら好んで路上で生活しているわけではありません。親に捨てられるなど、子供ではどうにもならない事情から、路上で暮らすより他に生きる術がないのです。
犯罪を犯しているわけではなく、ただ路上で寝起きしているという理由だけで留置所に放り込まれるのは、あまりに理不尽です。
汚い身なりをしていて目障りだからと排除するような社会は、カトリックの目指した理想の社会ではないはずです。
もちろん、こうした無慈悲な対応はローマ法王の意思とはまったく関係ありません。カトリック教会も一切かかわっていません。
しかし、カトリック信者が多いフィリピンでこのような無慈悲なことが行われていたという事実には、カトリックの教えと矛盾するものを感じます。フィリピンの人々にとって、カトリックの教えとはなんなのでしょうか?
ストリートチルドレンたちを保護するという名目で留置所に収容することは、フィリピンに要人が訪問するたびに繰り返されています。
2014年にオバマ大統領がフィリピンを訪問した際にも、同じように無慈悲な対応が行われたと「バハイ・トゥルヤン・ストリートチルドレン・チャリティ」代表のキャサリン・シェリー氏は語っています。
1-3.ドゥテルテを支える「イグレシア・ニ・クリスト」
フィリピンにはカトリック教会以外にも数多くのキリスト教会があります。アメリカの植民地時代には、宗主国アメリカからさまざまなプロテスタント教会も入ってきました。
カトリック教会以外のキリスト教のなかで、今日もっとも強い勢力を誇っているのが「イグリシア・ニ・クリスト」です。
「イグリシア・ニ・クリスト」はタガログ語で「キリストの教会」という意味です。
ドゥテルテ大統領とカトリック教会との対立を考える上で、「イグリシア・ニ・クリスト」を無視することはできません。
ドゥテルテ大統領が、歴代の大統領とは異なりカトリック教会との対決姿勢を露わにする背景には、「イグレシア・ニ・クリスト」の支持を受けていることも関係していると指摘する声もあります。
もともとドゥテルテ大統領が大統領選に勝利できたのも、「イグリシア・ニ・クリスト」の支援があったからこそです。
2016年に行われた大統領選挙では、ドゥテルテとグレース・ポーの2人が抜けだし、激しく争っていました。
どちらが勝つか予断を許さないなか、投票直前の5月5日、プロテスタント系キリスト教団体のイグレシア・ニ・クリストがドゥテルテ支持を表明したことが、両者の明暗を分けました。
イグレシア・ニ・クリストは300万人の信者を抱えると言われ、結束の固い組織票をもつことで知られています。
イグレシア・ニ・クリストがドゥテルテを支持するということは、ドゥテルテに確実に300万票入ることを意味していました。この票が決定的となり、ドゥテルテ大統領が誕生したのです。
イグレシア・ニ・クリストの信者数300万は、およそ8000万人を超すカトリック信者数と比べればほんのわずかに過ぎません。しかし、カトリックの信者と違ってイグレシア・ニ・クリストの信者は、教会が支持する候補者にほぼ間違いなく一票を投じます。
そのため、イグレシア・ニ・クリストは常に政局のキャスティングボードを握ってきました。
過去の大統領選挙においても、1998年以降はエストラーダ・アロヨ・アキノをそれぞれ支持してきました。これまでのところ、イグレシア・ニ・クリストが支持した候補者は全員当選し、大統領の座を手にしています。
当初は、まさか大統領になるとは予想されていなかったドゥテルテが当選できたのも、イグレシア・ニ・クリストの支持を取り付けることに成功したことが大きく影響していると言われています。
では、イグレシア・ニ・クリストとは、どんな宗教なのでしょうか?
1-3-1.イグレシア・ニ・クリストとは、どんな宗教なのか?
イグレシア・ニ・クリストは、フェリックス・マナロというフィリピン人によって1914年に創設されました。
幼い頃に父を亡くしたマナロは、職を転々としながらも神学や聖書を学び、黙示録7章に預言されている「東の方に上ってくる天使」こそが自分であるという啓示を神から受けます。それがイグレシア・ニ・クリストの原点です。
つまりイグレシア・ニ・クリストは、創始者のフェリックス・マナロこそが神の使いであるとする信仰です。
イグレシア・ニ・クリストでは偶像崇拝を完璧に否定します。
イエスやマリアの偶像のみならず、イメージやシンボルも含めてです。そのため、イグレシア・ニ・クリストにはキリスト教会には当然あるはずの十字架さえ、まったく見当たりません。
第2次世界大戦頃までは、小さな宗教集団に過ぎなかったイグレシア・ニ・クリストですが、戦後はじわじわと信者を広げていきました。
しかし、マナロこそを神の使いとする異端のキリスト教であったため、当初カトリック教会はイグレシア・ニ・クリストを危険な洗脳集団と捉え、1950~60年代には反イグリシア・ニ・クリスト運動が起きました。
ところが、社会的に孤立を深めるなか、イグレシア・ニ・クリストの信者たちは他の宗教団体には見られないほど強く結束していったのです。周囲から弾圧される分、教団内部で互いに助け合う制度が整えられ、一種の社会共同体が誕生しました。
1963年に創始者のフェリックス・マナロが死亡すると、息子のエラーニョ・マナロが教団を継ぎました。エラーニョは父とは異なり教団内部でこり固まるのではなく、逆に教団内部で行われていた相互扶助のシステムを、信者ではない人たちにも開放していきました。
移動型無料クリニックをはじめとして、信者ではない貧しい人々のために多くの社会奉仕活動を積極的に施したのです。こうした活動により、イグレシア・ニ・クリストの社会的評価は一変しました。
多くの信者を集めるとともに、海外にまで進出したのです。マルコスが大統領だった時代から、海外に出て働くフィリピン人が増えました。そのなかには当然ながら、イグレシア・ニ・クリストの信者も多数含まれています。
そこで問題となるのが、海外にはイグレシア・ニ・クリストの教会がないことでした。カトリックはもちろん、他のプロテスタント系であれば、どこへ行ってもたいていは教会があります。
でも、フィリピン人の教祖がはじめたイグレシア・ニ・クリストだけは、フィリピンを一歩出ると教会がまったくありません。どうしたのかといえば、固い絆で結ばれているイグレシア・ニ・クリストの信者たちは、自らの手で教会を作り始めたのです。
1968年にハワイに教会が誕生して以来、現在では世界100カ国以上にイグレシア・ニ・クリストの教会ができています。
こうして信者が出稼ぎに出た国に次々と教会ができ、いつのまにかイグレシア・ニ・クリストは世界的な宗教へと発展したのです。
このことは、キリスト教の歴史において画期的なことです。これまでは、西洋を中心とするキリスト世界から宣教師が東洋に送り込まれていました。ところがイグレシア・ニ・クリストによって、この伝統が逆転したのです。
東洋から西洋へ向けて宣教師を送り出すという新たな流れが、生まれることになりました。
イグレシア・ニ・クリストが世界中に信者を増やす上で大きな役割を果たしたのが、信者同士でなければ結婚できないという定めです。
そのため、海外で働く信者と外国人が恋に落ちた場合、結婚するには外国人がイグレシア・ニ・クリストに改宗するよりありません。フィリピン人の海外進出と国際結婚を背景に、イグレシア・ニ・クリストは急速に世界中に信者を増やしていったのです。
信者同士の結束が固い分、イグリシア・ニ・クリストには厳格なルールがあります。週2回の集会に参加することは信者の義務です。基本的には、どんなことがあっても参加しなければいけないとされています。出席状況は毎回厳しく管理されています。
時間にも極めて厳しいことで知られています。日曜日の朝と木曜日の夜に礼拝が行われますが、開始時間になるとすぐに扉は閉ざされます。少しでも遅刻した信者は、なかに入れません。
フィリピンの人々は時間にルーズですが、イグリシア・ニ・クリストの信者だけは異なります。彼らの時間に関する考え方は、日本人の感覚に近いといえるでしょう。
収入の10%を教会に収めることも信者に課せられた義務です。労働組合への加入も禁止されており、フィエスタへの参加も禁じられています。ですから、クリスマスを祝うこともしません。
イグリシア・ニ・クリストの信者は、ストイックなまでにキリストの教えを守ろうとしています。
カトリックとイグリシア・ニ・クリストの仲は以前ほど険悪ではありません。
しかし、政治に幾度となく介入してきたカトリック教会にとって、少数勢力とはいえ事あるごとにキャスティングボードを握るイグリシア・ニ・クリストの動きは、警戒すべきものになっています。
イグリシア・ニ・クリストの支持を受け、ドゥテルテ大統領がカトリック教会と対立する構図は、しばらく続くと思われます。
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