こんにちは、CEGAの小仲です。
日々学校運営事業にたずさわる中、英語の訛りを気にする日本人留学検討者が、相変わらず非常に多くいるように感じています。私も現在はセブの英語学校事業の中で「訛り」というものに関して日々思うことがあり、また、もう20年近く前になりますが、世界1周放浪の旅に出ていた頃は、旅先で各国の「訛り」というものを意識していたのを覚えています。
「地球の大きさを肌で知りたい」という思いから、日本から船で中国に渡った後は陸路移動にこだわり、数々の国境を越えてきた中で感じたことがあります。
それは
「みんなそれぞれ自分たちの訛りの英語を堂々と話している」、そして「みんな自分たちの英語スキルの範囲で一生懸命伝えようとしている」ということです。
そこには、話す際に自分の訛りとか英語力に躊躇している素振りはみじんも感じられませんでした。
そこで、今回はここで改めて、
① 訛りとはそもそも何なのか?
② 日本人が他国民に比べ、訛りを極度に気にする心理的理由は何か?
③ 訛っていると英語のコミュニケーションで困るのか?
このあたりを整理してみたいと思うに至りましたので、お付き合いいただければ幸いです。
日本人が訛りを気にする理由と他国の英語事情
フィリピン人の英語は訛っている?
今は、ネット上でセブ留学に関する様々な情報が網羅されており、気になることがあれば気軽に検索して調べることができるようになりました。
それでもなお、英語初級者の方を中心に、英語の訛りに関する質問を受けることがあります。
フィリピン人の英語は訛っているかどうかの質問を受けた際は、私はこのように回答しています。
「フィリピン人を含め、英語を話す世界中の人々の英語は訛っています。アメリカ人やイギリス人などのネイティブスピーカーも同様に訛っています。」
このように答えると、拍子抜けされる方がいますが、これが事実なのです。
「言語の訛り」とは、共通語、もしくは標準語のように、基準となる言語があり、そこから離れている、または違っている話し方をする場合のことをいいます。
つまり、基準となる英語が存在しないと、「訛っている、訛っていない」という話自体にならないわけです。
そもそも「基準となる英語」というものが存在するのか?
そこで、基準となる英語は世界のどこかにあるのか?という疑問ですが、これがないのです・・・。
考えてみれば当然ですよね。
例えば、どこかの国が「我々の国で使用される英語が世界の標準英語だ!」と公式に発表したとしましょう。すると当然、ただちに他の英語使用国からの反発を招きます。
アメリカ人は、
「世界のボスは我々なんだから、アメリカ英語こそが標準英語に決まっているだろ」と、ドヤ顔で主張し、
イギリス人は、
「英語の起源は我々ですし、そもそもアメリカという国を作ったのもイギリス人なのですが」と、謙虚ながらも皮肉交じりで主張することでしょう。
インド人は、
「英語を話す人口が一番多いインド英語こそが、今では標準英語でアルヨ」と、彼ら得意の自己主張攻勢に出てくるでしょう。
カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなども、当然彼らのスタイルで反発してくるはずです。
このように英語の標準化は不可能なのです。
つまるところ、訛っているかどうかの判断は、主観的なものでしかないのです。「アメリカ人からすれば、イギリス英語は訛っている」と感じるでしょうし、「オーストラリア人からすれば、アメリカ英語は訛っている」という、自己を中心とした判断でしかなくなるわけです。
それでも尚、日本人が訛りを気にする訳は?
そう考えると、それぞれの国からしたら、他はみんな訛っているわけですから、もはや訛りというものを気にする必要がないのでは、ということになってきます。
それでもなお、日本人が訛りに過剰反応を示すのはなぜでしょうか?
いくつか考えられますが、一つ大きな理由として、日本の英語教育の影響が大きいはずです。
中学、高校と、英語教育はコミュニケーション能力を伸ばすための授業ではなく、数学や理科のように、ひたすら答えを解答するための科目でした。
そのため、「正しい答えがあるはずだ」という思い込みが刷り込まれ、自分たちが習っている英語が世界標準英語で、その他は「不正解な英語」と考えるようになったのではないでしょうか。
また、他の要因として、日本人の品質至上主義、ブランド信仰が強すぎる点も考えられます。
完璧を追及することが日本人の特徴的な国民性ですが、言語にも完璧なものを追及するあまり、「訛り=完璧じゃない英語」的な公式が頭の中でできてしまったのだと思います。
日本人が思う「完璧な英語」とは、学校教育で習うアメリカ英語、もしくはイギリス英語を指すことが多くなってしまったのでしょう。
訛りを気にすることは英語習得上、プラスかマイナスか?
こうして分析してみると、「訛りがある英語」というのは、つまり、「自分が認めたくない発音の英語」を指すことだということが見えてきます。
個人の自由意志ですので、自分の理想の訛りがないと思う英語を追及することで、英語学習のモチベーションにつながるとうことであれば、プラスに働く可能性があります。
ただし、日本語には、英語の発音との共通点がほとんどありません。発音の全く違う言葉を第一言語とする日本人が、英語学習をする中でぶつかる大きな壁を乗り越えることができれば、の話となります。
大きな壁とは、「日本語訛り」です。
この「日本語訛り」は、若い頃から英語になじんできた人以外は、簡単には落とすことができません。そこが大きな壁なのです。日本語訛りがいつまでも邪魔をして、いくら他国の英語訛りになりたくても、簡単にはなれないのです。
逆に言うと、他国の訛りが移る以前に、自身の母国語訛りから脱却することができない。
つまり、自分が理想としない訛りの国の英語教師に英語を習ったとしても、それが移る心配は、少なくとも1~2年程度の留学期間であれば、全く心配する必要がないわけです。
自分の理想とする訛りがあり、モノマネのように徹底的にそのトレーニングをすれば数年後くらいにはかなり近い訛りが得られるかもしれません。
ただ・・・、
そこにそんなに精力を注ぐくらいなら単語やイディオムを一つでも多く覚えて、さっさと一定のコミュニケーション力を身に着けて、仕事なり就学なりの次のステップに速やかに進んだほうが、人生効率的ではないでしょうか?
中国人は、一般に日本人より英語習得スピードが速いと言われます。
その理由は、母国語の発音がやや英語に近いなどの利点もありますが、最大の要因は、英語を単なる道具としてしか見ていないからです。
要は、「意思疎通する道具」であること以外に、英語に何も期待していないのです。
「訛りや細かい文法なんかどうでもいいから、さっさと伝わる程度の英語を身に着けて、すぐにビジネスを始めよう」といったように、超合理的にとらえているからです。
語学習得に関するこの合理性は、是非日本人にもほしいものです。
フィリピン・セブ留学を考えている方は、すでにどこに留学すれば合理的に英語力を伸ばせるか気付けている方なので、その心配は不要かもしれません。
英語は各母国語訛りが飛び交う時代に
現在、英語を母国語とする人口は、3億人ちょっとくらいです。しかし、英語をまともに使いこなせる人口はその5倍の15億人と言われています。
その数字からも分かるように、すでに英語は、その母国語だけの言語ではなくなっています。今後、この割合の差がさらに広がるのは必至です。
それぞれの国の母国語訛りの英語が、もっと飛び交うようになり、イギリス英語だのアメリカ英語などを気にする人はいなくなることでしょう。
伝わる英語であれば、訛りがどうであろうと問題とならない時代が到来します。つまり、「訛りを気にする」こと自体が、間違いなく時代と逆行していきます。
もちろん伝わらないと意味がないので、一定の標準的発音練習はもちろん必要ですが、日本訛りを恥ずかしいと思う現状から、自信をもって堂々と日本訛り英語を発信してゆける時代にしていきたいですね!
CEGA
代表 小仲英樹
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